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家紋の話

家紋のはじまり  ・女紋のこと  ・源氏香之図(香の話)


家紋のはじまり

家紋の発生は約900年ほど前と考えられています。

平安後期に公家が家の印(しるし)として用いはじめました。たとえば徳大寺家で木瓜(もっこう)を、西園寺家では巴(ともえ)を用いました。

はじめは、自家の牛車などにこれをつけたり、手回り品などに用いました。一つは他家との区別ですが、一つは好みの模様を手慰みにつけたもの。

すなわち趣味ですが、次第に個人の所有を示すように変化しました。

そのうち武家でも用いるようになりました。清和源氏の武田氏が「割り菱」などを用いたのが、武家が家紋を用いた古い例です。

鎌倉時代になると、武家は戦場で敵味方の区別をつけなければなりません。

そのため、貴族とは別の実用的な立場から家紋を用いました。たとえば、島津氏が「十の字」、最上氏が「扇に月の丸」を用いました。

これが、近世になりだんだん庶民一般にも広まり、家の印(しるし)として公私ともに認められるようになりました。

家名がふえるから、当然家紋もふえます。同系の家は宗家や主流と分けるために一部のデザインをかえました(原形はそのまま)。

たとえば葉脈の数を多くしたり輪郭を細くしたりするような具合に。

だから同系の紋でも、20種、30種と数が多くなりました。菊紋などは天皇家でご使用の紋ですが、その数は今160種以上もあります。

菱紋などは実に200種以上に及びます。

そのバリエーションの豊かさは世界に誇れるものと言えるでしょう。

また、その形がシンプルで、愛らしく、種類が動植物、用具、自然、文様、あらゆるものに及んでいます。

これが、単なる模様ではなく、すべて「家」のしるしだというところが、世界に比類のない点でもあります。

今、調査されているところで、家紋は約二万種ほどあります。パターンからいっても、これは世界最多であり、西洋の紋章(エンブレム)も日本の家紋に及びません。

そればかりか西洋では貴族のシンボルではありますが、日本では庶民にまで広まり、とくに特権階級の専有物ではないのです。

 

女紋のこと

庶民の紋付のはじまりは、羽織が正装として承認された元禄時代のことです。ちなみに紋付着物はまだありませんでした。

女性に羽織着用が許されるのは、江戸もずっと後の時代のことです。ですから、女性が紋付を着るようになってから、まだ日は浅いのです。

礼服紋付は、最初は男性社会だけのものでしたが、江戸後期になると、女性も紋付を着るようになりました。

嫁ぐときに持ち込む衣服やタンスなどの道具類に女紋を付けるのは江戸時代から行われてきました。

さすがに今日では、家具などの調度品に家紋をつけることはなくなりましたが、留袖や訪問着といった礼服に、女紋をつける風習は継続しています。

婚時の衣服に女紋をつける風習が根強くつづいているのは、江戸時代の離婚法度に家紋が使われたことによります。

離婚法度の条項に、女の所有物を勝手に持ち出して紛失すれば、生涯離婚まかりならぬという条文があります。

そのため、女性は自分の所有物を明確にしておく必要がありました。そこに女紋が登場したのです。

嫁ぐときに持ち込むものは、家具調度はもとより、衣服にいたるまで女紋をつけて、それを自分の所有物であることの目印としました。

しかもそれを三通の目録にしつらえ、一通は自分が所有し、一通を婚家に渡し、仲人にも一通預ける念の入れようでした。

それは離婚の難をまぬがれる方策であり。やむなく離縁されれば、自分の所有物を自由に処分し、以後の生活費の足しにしました。

女紋は、離婚回避と、やむなく離婚された後の生活に備えてはじまったのですから、実家の紋所を女紋としたのが、おそらく最初でしょう。

実家の紋をつけるにしても、紋所を囲んだ丸を取り除いたものを女紋としたり、囲んだ丸の線を細くしたものを女紋としたりする習わしもあります。

自分の好みの紋を女紋とし、それをつけて嫁ぐ風習もみられます。蔦や揚羽蝶といった優しい図柄を女性らしいと、各自が選んでつけました。

江戸時代には女性の人権はないも同然で、まして女には家の相続はさせませんでした。

したがって、女性がつける紋は単なる印にすぎず、家紋としての体裁は調えていなかったのです。

今でも花嫁の女紋の風習は、あやふやながらも根強く継承されてはいますが、実際には形式的なもので、その思想的意味の伝承はなされておりません。

広範囲で婚姻縁組みが行われるようになり、各地で伝承してきた習わしが入り交じることで、どれが正しいのか見極めがつかなくなりました。


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