スタッフN村による着物コラム

「オキモノハキモノ」 に戻る

 

二年ぶりに植木屋さんに入ってもらい、もっさもさに茂った庭木をバッサリ散髪してあげました。

松も紅梅も楓もサッパリ。弱ってしまったハナミズキやツゲや、日陰で花をつけたことないコブシなど、密になった木も整理。何事も密はいけません。

ついでに庭木というより収穫用に植えてある梅も、思い切って天辺を詰め、収穫しやすいよう剪定してもらいました。

もう蕾が膨らんでいてちょっと惜しかったのですが、茂り放題だった枝はだいぶ中の方が枯れていました。

これで今年は梅干しも梅酒も漬けられません。梅の木の周りはお向かいの子ヤギの運動場(餌場?)と化しています(笑)。

 

94.二月文楽鑑賞『曲輪文章』『菅原伝授手習鑑』

緊急事態宣言が再発令され、さらに3月まで延長というご時世に、出かけましたよ今回は(笑)。

12月にキャンセルした時より、一日の新規感染者数は多かったと思うけど、不思議なもので増加傾向の時よりも、減少傾向時のほうが気がとがめない。

というより、自粛に飽きちゃったんだな。いや、決して褒められた話じゃないんですが、今回の宣言ではイベントは中止にならないもんで。

せっかく上演している演者やスタッフを応援したいし、自分の楽しみも少しは欲しいし、と言い訳しながら数日前から着物の取り合わせを考えてました。

しかし! 天は見逃してくれず、フラフラ出歩いてんじゃねえよ!とばかりに観劇当日はピンポイントの暴風雨(泣)。

年に何度もない着物お出かけの日にそりゃないぜ、と泣く泣く多くもない洋服(しかもユニクロ)を引っ張り出し、どうにか出かけました。こんな感じ(笑)。

今回は夏に三谷文楽を見に行った初心者の友人が、本公演も見たいというのでお付き合い。ランチもしようと劇場隣のホテルグランドアークで待ち合わせ。

緊急事態宣言下、暴風雨の平日とあってレストランはガラガラ。お値段もリーズナブルで(サービス料もなし!)、国立劇場の腹ごしらえにはオススメです。

 

さて三部制の第二部は、まず『曲輪文章』吉田屋の段(「文章」は二文字を合成して一文字で表しますが表示不能)。

これは私が昔、知り合いの古典芸能通に初めて文楽に連れてきてもらった時の演目。その時は何が面白いのかさっぱりわからんと不平タラタラの私に、

それならこれはどう?と 歌舞伎の同じ演目を勧められたのが運命の出会い。当代片岡仁左衛門の襲名公演でした。まさに恋に落ちるとはこのことか!

あれから二十余年、京大阪金毘羅博多まで仁左衛門様を追っかけ続け、気がつけば着物着て文楽通いの今に至る、思えばその長い旅路の出発点でした。

お話は、というと、一応『夕霧阿波鳴門』という長い物語の一段なのですが、ほとんど細かい要素を省いてこの吉田屋の段のみ上演されることが多いです。

そうなると、もうほんとにたわいない話で、落ちぶれた大店のボンボンと、遊女の痴話喧嘩。この演目にドラマやストーリーを期待してはいけません。

豪商藤屋の跡取り息子の伊左衛門、大阪新町の遊女夕霧と馴染を重ね、子まで成した仲だが、放蕩の挙げ句大借金を背負い、今は勘当の身。

正月の準備で賑わう揚屋(遊女と客を遊ばせる店)の吉田屋に、紙衣(紙製の粗末な着物という設定、実際の舞台では手紙を継ぎ合わせた体の美しい絹物)

に菅笠のみすぼらしい姿で現れ、主の喜左衛門を出せと横柄に呼ばわる。若い衆が追い払おうとするが、喜左衛門が笠の内を覗いてびっくり、

「あなたは藤屋伊左衛門様」と下へも置かず手厚く奥座敷へ通す。勘当以来の逼塞ぶりを案じる喜左衛門に、鷹揚に答える伊左衛門だが、

病に臥せったと聞く夕霧の様子を涙混じりに尋ねる。幸い回復して、今は隣座敷で侍客の相手をしていると聞いた伊左衛門は、すねて帰ろうとする。

喜左衛門は二人を会わせてやろうと、伊左衛門を引き止め、しばらくお待ちをと席を立つ。一人昔の栄華を懐かしみ、寝転ぶ伊左衛門。

そこへ座敷を抜け出してきた夕霧が声をかけても、悋気にすねて知らんぷり。揺り起こされて起き上がれば悪態三昧、こらえかねて夕霧も言い返す。

益体もない痴話喧嘩の後、ようやく仲直りすると、喜左衛門夫婦が伊左衛門の勘当が解け、夕霧の身請けも決まったと知らせに来て、めでたしめでたし。

ね、何が面白いんだと思うでしょ? 初心者の友人は殴ってやろうかと思った、と言ってました。しかしこれを仁左衛門様が演じるともうカワイイのなんの…

おっと、これは歌舞伎じゃなくて文楽でした。すいません、何度見たかわからない仁左衛門様の吉田屋を脳内再生しながら見てたもんで(笑)。

序盤はチャリ場が得意の睦太夫が軽妙に語り、後の痴話喧嘩は配役を分けての掛け合い。咲太夫と織太夫の師弟カップルに喜左衛門は藤太夫となかなか豪華。

前回あまりの痩せっぷりに心配していた咲太夫、ちょっとふっくらしてきたかなと一安心です。

人形は伊左衛門が吉田玉男、夕霧が豊松清十郎とスター級だったけど、脳が勝手に仁左衛門と玉三郎に置き換えてしまうので、印象に残らなかった。ゴメン。

 

写真は休憩時間の中庭。白梅が満開です。雨は止んでる…クヤシイっ! でもこの天気でも根性でお着物の方がちらほら。尊敬するなあ。

 

さてお次は『菅原伝授手習鑑』寺子屋の段。仁左衛門を始め数々の役者、文楽でも何回観たかわからないおなじみの演目。

人形配役も吉田屋に比べて地味だし、見飽きてるし、実はあんまり期待してなかったんですが、ところがどっこい、おいおいご説明していきます。

菅原伝授手習鑑は菅丞相(菅原道真)が藤原時平との政争に敗れ、大宰府流刑となった顛末を軸に、それに関わる人々の悲喜こもごもを描いた大作で、

見どころはたくさんありますが、寺子屋の段は特に人気があり、しばしば単独で上演されます。こういう上演形式を「見取狂言」といいます。

大筋を知らないとわかりにくいのですが、隣の初心者はイヤホンガイドを借りているので私が説明しなくても大丈夫。

菅丞相の書道の弟子、武部源蔵は丞相の一子・菅秀才を我が子と偽り自分の寺子屋に匿っている。源蔵の留守に、小太郎という新入生が母親とともに訪れる。

源蔵が戻るまで、隣村で用事を済ませてくると、母親は小太郎を預けて立ち去る。入れ違いに源蔵は思いつめた様子で帰ってくる。

菅秀才を匿っているのが時平方にばれ、首打って差し出せと厳命された源蔵は、寺子屋の子供を身代わりに立てようと思うも、みな山家育ちの鼻タレ小僧。

そこいくと新入生の小太郎は、育ちの良さそうなきれいなお子様。これしかないと決意を固めるところへ、早くも首受取人一行がやって来る。

検分役には時平方で唯一菅秀才の顔を見知っている松王丸。この男、もとは菅丞相に仕えた三兄弟の長男だが、仔細あって時平の忠実な家来となっている。

寺子の顔を一人ひとり確かめて親に引き取らせると、さあ首を出せと迫る。奥で小太郎の首を打って差し出すと、松王丸は菅秀才の首に間違いないと太鼓判。

一行が首を携えて去ると、小太郎の母親が戻ってくる。口封じのために源蔵が母親を斬ろうとすると、息子はお役に立ちましたかと意外な一言。

そこへ松王丸が再び現れ、小太郎は我が子、これはわが妻の千代だと語る。松王丸が時平に暇を願うと、菅秀才の首実検に協力すれば許すと言われた。

大恩ある菅丞相のため、夫婦は我が子を身代わりとする計画を立て、このような仕儀に至ったと聞き、源蔵も妻の戸浪も菅秀才も涙にくれる。

松王丸は救い出した菅丞相の御台所を招き入れ、菅秀才と対面させ、夫婦は用意の白装束で小太郎の遺骸の野辺送りをする…

どうです、吉田屋とは打って変わってドラマチックでしょう。仁左衛門様の松王丸も源蔵もステキ…おっとだから今日は文楽だって。

前半はどってことなかったんですよ、寺入りは若手の希太夫、続いて苦手の呂太夫で、ときどき船こいでたくらいで(笑)。

後半、太夫が藤太夫に代わります。戻ってきた千代が斬られかかり、「菅秀才のお身代わり、お役に立ててくださったか」と言うのに源蔵が戸惑っていると、

松王丸が「女房喜べ、倅はお役に立ったぞ」と現れる。恩知らずと呼ばれる自分が菅丞相の御恩に報いることができた、持つべきものは子だ、と言うと、

千代はそれはあの子によい手向けと泣き崩れ、さっき別れ際にいつになく後を追うのを叱った悲しさ、なまじ美しく生まれたのが身の因果とかき口説く。

それを叱って松王丸が、小太郎はさぞうろたえて未練な最期だったでしょうと問うと、源蔵は、潔く首差し伸べ、にっこりと笑ったと答える。

「あの、笑いましたか、笑いましたか、ワハハハ、でかしおりました、ワハハハハ…」と松王丸は呵々大笑の末にこらえきれずに泣き笑いとなる、

ここが歌舞伎でも義太夫でも聞かせどころ。千代の口説きと松王丸の泣き笑い、毎回なんてひどい話だと腹立ち半分で見ていたのに…泣けた。

夫婦は恩義と忠義と子供への愛のはざまで長いこと悩み、苦しみ、泣いて泣いて、その挙げ句に出した結論なのでしょう。

松王丸の「覚悟したお身代わり、内で存分ほえたでないか」というセリフ、いつも聞き流してましたが、ここで夫婦が長いこと話し合ったことがわかります。

それが何十回見てきた寺子屋で、初めて腹に落ちたのです。松王丸の泣き笑いより、千代の口説きがより胸に迫りました。

松王丸は息子を立派な奴、健気な奴、手柄者と褒めた後、照れ隠しなのか、菅丞相流罪の原因となった責任を負って死んだ弟の桜丸のことを持ち出して、

息子に比べて弟が不憫だと泣きます。男はどこまでも建前論です。千代はひたすら我が子への愛惜に身を委ねているのに…。

ここが不自然だとして「倅…桜丸…倅…」と入れごとをする役者を見たことがありますが、それは余計なお世話であります(誰とは言いませんがね)。

藤太夫は見事にここを語りきりました。亡き師匠、住太夫のドキュメンタリーでサンドバッグのように怒られていたあの文字久太夫(当時)が!

文楽の義太夫で泣くことはなかなかなく、住太夫の『沼津』で一度だけ大泣きしました。それ以来の義太夫泣き、しかも寺子屋史上初!

もうね、そのことに感動しちゃって。初心者はキョトンとしてましたが、別席で見ていた文楽仲間のTさんも同じ感想でした。やはり場数は踏まないとな。

いい加減見飽きた演目で、さしたる期待もしていなかった、そんな時に突然襲う感動の嵐、これだから伝統芸能はやめられない、と思った今回の観劇です。

 

劇場を出ると嘘のように晴れ上がった空、しかし立っていられないほどの風が吹き付け、やっぱり着物にしなくてよかったな、と納得の一日でした。

 

スタッフN村による着物コラム

「オキモノハキモノ」 に戻る