スタッフN村による着物コラム
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新型コロナどこ吹く風で、山里は秋の恵みでいっぱいです。
今年は夏の梅も豊作でしたが、栗、柿、そして柚子も大豊作。
台風で木がゆすられると、自らの棘で実を傷つけてしまうのですが、今年は台風の上陸が一度もないという記録的な年になりそうです。
おかげさまで見事につやつやすべすべの美肌柚子。悪いことばかりじゃないよ、と自然に慰められたような気がします。
92.ミュージカルと志の輔らくご
やっぱり来ました第三波。手肌が荒れるほど手を洗い、アルコールを揉み込み、マスクしてうがいして三密避けて、インフルの予防接種も受けました。
できる限りの対策をして、なんとかこの冬を乗り切っていきましょう。
コロナ感染数がやや小康状態だった先月、あんまり逼塞していてもメンタルにも社会的にも良くないと、ちょこちょこ出かけてみました。
まずは珍しくミュージカル。黒澤明の名作映画を原作にした宮本亜門演出の『生きる』鹿賀丈史バージョンです(市村正親とのダブルキャスト)。
ミュージカルイマイチな私ですが、姉が鹿賀丈史の熱狂的ファンで、これまでも『レ・ミゼラブル』や『シラノ』などに付き合わされてきました。
今回は再演ですが、初演は遠慮したので、しょうがねーな、付き合ってやるか(チケ代姉の補助付き)と腰を上げました。
劇場は日比谷の日生劇場。ふだんあまり近づく機会もない界隈ですが、さて何を着ていこう? なんせ着物か、さもなくばユニクロという生活が長い私。
姉は着物を着ないので、悪目立ちするのもよくないし、当日の予報は雨。着物という選択肢はない。
CMで深キョンが履いてるユニクロのパンツを新調して、随分前に買った無印良品のデニムジャケットで誤魔化しました。結局ユニクロかい(笑)。
日生劇場は東京宝塚劇場と隣合わせ。ちょうど開演時間が近く、華やかなエントランスに現妙齢や元妙齢の女性たちがどんどん吸い込まれて行きます。
でもお召し物はみなさん案外控えめ。熱心なファンほど目立たない服装を心がけるそうで、悪目立ちするとファン同士の間でハブられるんだとか。
宝塚も三回くらい観てますが、出てくるのが全部女性で、それを観てるのもほとんど女性、ってのが小中高大共学の私には耐えられない(笑)。
角を曲がって次の建物が日生劇場。こちらも開演間近なのにひっそりと静まり返ってる。大丈夫か、『生きる』。
エントランスではすでにおなじみとなった検温、手指消毒、チケットは自分でモギリます。客席も一席おきのモザイクディスタンス。
それでも三階席まで人の姿があるので、そこそこの入りと言えるのかな。私達はちょっとコネ使ってチケットゲットしたので、6列中央の良席です(笑)。
お芝居はというと、黒澤映画の中でも屈指の地味さ(笑)を誇る、しかし屈指の泣けるお話。
市役所市民課の課長・渡辺勘治、妻には先立たれ、事なかれの平々凡々な年月を勤め上げ、定年退職目前にして末期の胃癌と診断される。
絶望し、無断欠勤して、酒場で知り合った無頼作家と遊び回ってみるが、虚しいばかり。そんな渡辺が部下の小田切とよに街で出会う。
役所なんかもう辞めるつもりと言うとよの若さと明るさに惹かれた渡辺は、とよに病を告白、自分の人生の空虚さを嘆く。
そんな渡辺にとよは「なにか作ってみたら?」と提案。渡辺はかねてより請願のあった児童公園を作るために奔走を始める。
上司やヤクザや、息子の誤解や、立ちはだかるいろんな壁を乗り越えて、公園は完成するが、開園の前日、渡辺はひっそりとこの世を去る。
どうです、黒澤映画とも思えない地味な話でしょ。当然舞台も衣装も地味。舞台装置はほぼ渡辺の自宅と役所だけ、衣装は古臭いだぼだぼスーツに中折れ帽。
なんでこんな地味な話をミュージカルにしようと思ったのか宮本亜門。その上前半の鹿賀丈史はほとんど歌わず、時々どこにいるのかわからない(笑)。
もちろんそれは演出意図で、渡辺が公園づくりを決意した前半の最後、ようやく「二度目の誕生日」という朗々たるソロを鹿賀丈史が歌う。
鹿賀丈史、知ってる人には今更ですが、もーのーすごーく歌上手いです。深い低音、朗々と伸びる高音、一度ナマ歌聞いたら惚れます(追っかけないけど笑)。
劇団四季出身だからね。料理の鉄人でパプリカかじったり、怪物くんのパパやってるだけの人じゃないのよ。そして今回驚いたのが作家役の新納慎也。
最近テレビでよくお見かけする役者さん、大河ドラマ『真田丸』では豊臣秀次でした。まあー、いい声、歌上手い、魅力的。こういう人だったのね。
真面目一筋だった渡辺を夜の街へ引っ張り回すちょっとワルい役ですが、狂言回し的な役どころで、主人公よりソロパート多い。
あと、テレビでお見かけする人としては、助役の山西惇。俗物で悪辣で渡辺の最大の障壁。チコちゃんの「たぶんこうだったんじゃないか劇場」でおなじみ。
この人も京都大学の学生劇団「そとばこまち」の出身ですから、舞台の人なのは知ってたけど、ミュージカルまでこなすとは意外でした。
大詰め、舞台は突然葬式の場面に。役所の面々や息子夫婦が居並ぶ中、街のおかみさん連中、とよ、作家たちが次々と弔問に訪れ、渡辺への感謝を語る。
とよにたぶらかされて不審な行動ばかりしていると疑っていた息子は、父の最期の働きを知り、愕然とする。
そして完成した公園のブランコ、雪の中渡辺の姿が浮かび上がる。渡辺はここでひっそりと亡くなっていたのだ。
ブランコを揺らしながら「♪いーのちーみじーかしー恋せーよ乙女—♫」と『ゴンドラの唄』を口ずさむ渡辺。もうここで涙腺は大決壊ですね。
映画では名優・志村喬、もちろんここで大号泣ですが、鹿賀丈史ですからチョー歌うま(笑)。これか、これがやりたくてミュージカルなんだな。
ミュージカルとしては渋くて地味でしたが、観客席には年配の男性も多く見かけました。これもまた、ちょっと珍しい現象です。
でもなあ、やっぱりミュージカルならレミゼやシラノみたいに華やかな活劇で、加賀さんのソロをもっといっぱい聞きたかったな、という感想でした。
落語の方は久々の立川志の輔。川崎市の登戸まで遠征ですが、これが日生劇場より全然近いんだな(笑)。立川から南武線で20数分。
この会はもともと川崎市民の友人が、5月2日の公演として取ってくれたもの。コロナ禍で延期となり、ようやく開催となりました。
ただ、ディスタンス席ではなく、フルで売られたチケットそのままなので、劇場の入場制限が緩和されるまではヒヤヒヤものでした。
秋川きららホールの一之輔独演会なんか、3月から8月に延期してもだめで、結局来年3月まで延期だもんね。10月に延期というのはラッキーでした。
今回はリケジョでスー女で落女の友人夫妻と、例の何でも首突っ込みたい暇な主婦との4人組。天気もよし、久々に着物にしました。
久留米絣におなじみ祖母の着物で仕立てた百年羽織。帯は知り合いの母上の形見分けで頂いた八寸を自分で半幅に改造しました。
帯締めは真田紐に、先日アフリカ物産展で見つけた、アフリカ布のピンバッジを帯留めに。羽織紐はインドネシアあたりのブレスレットです。
足袋は川越唐桟、下駄は焼き杉の台に男物の鼻緒をすげた、愛媛の内子座の出店で買ったもの。すべて色目だけで選びました。アネノマスクも色を揃えて。
一応独演会なのですが、前座は八番目の弟子だという志の大で「元犬」、次に七番目だという二つ目の志の麿の「初天神」。
なんだか弟子の蔵出しみたいだけど、前座のほうが上手だったね、とひそひそ(笑)。
そして志の輔登場。実はこの会はもともと祭日の昼公演として売られたチケットがそのままスライドしているので、平日に来られない人や、
感染を懸念してキャンセルした人が多いようで、ところどころまだらにゴッソリ空席になっています。通常の志の輔の会ならおよそ考えられないこと。
そのまだらな客席を眺めやりながら、ほんとにねえ、こんなご時世の中、わざわざ足を運んでいただいて、と何度も何度も謝意を述べる志の輔。
最もチケットの取れない噺家の一人で、しかも寄席には出ない立川流ですから、
こんなスカスカの客席は逆に新鮮なのかも。
8月以降発売の会はすべて市松状態のディスタンス席だし、どうしてもマクラがコロナぼやきになるのはどこの高座でも同じでしょう。
話の流れは忘れましたが、話題が魚肉ソーセージに及んだときは客席の一部がドッと湧きました。前日のガッテンが魚肉ソーセージ特集だったんですね。
どんな大看板になっても、志の輔はやっぱりガッテンおじさんです。そして噺はご隠居と大工の八つぁんの会話へ。
何を聞いても知らないということがないご隠居に、矢継ぎ早に質問をぶつける八つぁんと、ほとんどこじつけで答えるご隠居、古典の『やかん』か?
いや、古典じゃない…「ニュースで『バールのようなもの』で、って言ってたんですがね」、キターッ、志の輔らくご初期の名作『バールのようなもの』だ!
道具箱にバールがあるので、検問で警察に疑われないかと心配する八つぁんにご隠居は「バールのようなものってのはバールじゃないから安心しろ」と言う。
「女のような、と言ったら女か?」「男ですね」「肉のような味がしますね、と言ったらそれは肉か?」「肉じゃありませんね」「な?そうだろう?」
この屁理屈に納得してしまった八つぁん、家に帰って女房に馴染みのホステス、つまり妾に会ってたんだろう、となじられて、さっそく屁理屈をこねる。
「あの女は妾じゃない、妾のようなものだ」と言ってかえって逆上され、額を割られた八つぁん、ご隠居のところへ戻って抗議するも、
「世の中のあらゆるものは『ようなもの』と言うと違うものになるんだが、妾だけは違う、『妾のようなもの』と言うとかえって強調されるんだ」とご隠居。
なるほど、志の輔の新作は、近年の『歓喜の歌』や『大河への道』のような大作ばかり聞いてるけど、初期の小品はきちんと古典の骨格に則ってるんだ。
『ちはやふる』や『つる』のようなご隠居の屁理屈、『子ほめ』や『青菜』のようなオウム返しで大失敗。「妾」という単語に少々違和感があるのはご愛嬌かな。
休憩を挟んで、遠峰あこのアコーディオン漫謡(アコーディオンで日本民謡や世界の民謡を弾き語る)。志の輔はこういう芸人をゲストに呼ぶのが好きだなあ。
そして再び志の輔、このパターンなら次は古典だけど…お、『茶の湯』だ!
大店のご隠居、小僧の定吉を連れて郊外の隠居所に越してきた。毎日暇なご隠居、前の持ち主が残していった茶室があるので、茶の湯を始めようと思い立つ。
道具一式は揃っているものの、ご隠居も小僧もあやふやな知識しかなく、抹茶の代わりに青きな粉を泡立ててみるが、泡が立たない。
定吉の発案で椋の皮を入れるともうもうたる泡、この怪しげな茶の湯を下痢に苦しみながら二人で楽しんでるうちはいいが、客を呼ぼうということになった。
犠牲者は長屋の店子の豆腐屋、鳶の頭、手習いの師匠。もとより茶の湯の作法など知らず、恥をかきたくないと夜逃げの算段までする始末。
三人揃えばなんとかなると、隠居所へ乗り込み、怪しげな茶(のようなもの)を飲まされて悶え苦しむが、出された藤むらの高級羊羹でなんとか口直し。
(藤むらというのは文京区に現存する老舗で、キャンディーズのミキちゃんの実家だと志の輔言ってましたが、事実上廃業状態らしいです)
味をしめたご隠居と定吉、次々客を呼んで茶の湯(のようなもの)三昧だが、あまりに羊羹代がかさむので、オリジナル菓子(のようなもの)を創出。
ふかしたサツマ芋に黒砂糖と蜜を混ぜ、灯し油を塗った茶碗で型抜きした、名付けて利休饅頭。口直しがこれでは羊羹目当ての客の足も遠のく。
ある日蔵前の知り合いの旦那が茶の湯を教えてほしいとやってきた。久々の犠牲者に張り切る隠居、いつもより盛大に泡立った茶に、腐りかけの利休饅頭。
蔵前旦那は吐き出すわけにもいかず、厠に駆け込んで窓の外を見ると一面の畑。えいっと饅頭を投げ捨てるとお百姓さんの顔にベチャ!
お百姓さん、「ああ、また茶の湯か」
ここまで書いてきて気が付きました。この日のテーマは「の、ようなもの」だったんだな(笑)。
茶(のようなもの)を飲まされた人々の苦悶の表情、間の良さ、だばーっと吐き出してしまうリアルさに、隣の友人(ヒマな主婦)も身悶えしてました。
そしてあんな志の輔のしわがれ声なのにこましゃくれた定吉のカワイイこと。芸の力ですねえ。
何年かぶりの志の輔でしたが、やっぱり間違いないとガッテンした一日でした。
そういえば、8月の三谷文楽以来、接触確認アプリ、通称COCOAをインストールして外出してますが、いまだ感染者との接触情報なし。
いろいろ問題の多いアプリのようですが、なるべく多くの人がインストールしないと意味ないらしいので、外出の多い方はぜひインストールしてください。
ちなみに劇場や映画館で電源を切ると、COCOAも切れてしまうので、機内モードにしてBluetoothはONにしておけとリケジョのお達し。
なんだかよくわからないなりに仰せに従っている私です(笑)。
スタッフN村による着物コラム
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