スタッフN村による着物コラム

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秋の我が家の周辺はトピックスがいっぱい。裏山の彼岸花が満開になりました。

そして、お向かいのお宅で飼っている二代目のヤギに待望の赤ちゃんが生まれました。

 

毎夏よその牧場に預けて妊活に励んできたのですが、3年目にしてようやく授かりました。

これは生後三日目くらいの姿ですが、もういっちょ前に立って歩きます。動物の赤ちゃんってなんでこんなに可愛いんでしょうね。

今のところはニーニーと子猫のように親の跡を慕って鳴いてます。数ヶ月もすれば親と一緒にベーベーと「エサよこせー」と鳴き騒ぐんでしょうが(笑)。

 

91.文楽『鑓の権三重帷子』

先月は三谷幸喜の新作文楽で、なんちゃって近松でしたが、今月はホンモノ(笑)の近松門左衛門作『鑓の権三重帷子(やりのごんざかさねかたびら)』です。

この作品は篠田正浩監督の映画『鑓の権三』で見ました。主演は岩下志麻と郷ひろみ(!)。錦帯橋の上で撮影したというラストシーンしか覚えてないけど。

篠田監督の近松ものといえば『心中天網島』が有名ですが、こちらはややトウのたった岩下志麻にぴっちぴちの郷ひろみという組み合わせがなんともエロい。

と、映画の話はさておき、文楽です。いまだ終熄の兆しが見えぬコロナ禍の中、暑さの方はようやく収まりつつあったので、着物は紬の単衣にしました。

ギリギリまで無地の阿波しじらとどっちにするか悩みましたが、9月も中旬を過ぎると、夏物はなんだかなあになりますね。洋服なら気にしないのに。

帯はごく初期に作った綿バティックの二部式帯。その辺のアジア雑貨屋で買った半端な大きさの布を、京都のカクマ帶店さんが上手に繰り回してくれました。

帯留めはあかしゆりこさんのガラス製、足元は雨が降りそうだったので、川越唐桟の柄足袋にカレンブロッソ、マスクは保多織の手ぬぐいで作ったものです

先月のパルコ劇場ほどではありませんが、国立劇場もコロナ厳戒体制で、検温、アルコール消毒、マスク着用は必須です。入場も距離をとって整列。

麻生財務相みたいな透明のマウスシールドを付けた男性が呼び止められ、マスクお持ちではありませんがと聞かれてました。持ってないと言ってましたが、

入場拒否はされてなかったようです。皆さん、劇場ではマスクのほうが一般的です。せめてバッグに使い捨てマスク一枚を忍ばせておきましょう(笑)。

客席はご覧の通りののディスタンス席。使用禁止カバーが掛けられ、荷物も置けません。太夫が語る床の前、上手三分の一ほどもごっそり使用禁止。

国立小劇場は席数560ほどですから、満員御礼と言っても半分も入れないでしょう。その上一演目ずつの三部制でチケットも割安。採算合うんでしょうか。

そしてこの公演、初日に裏方さんの一人に微熱があり、初日の二部、三部と翌日を休演。検査の結果陰性とわかって、三日目から再開という経緯もあります。

初日二日目のチケットを取っていた人にはなんともお気の毒ですが、いささか神経質なほどに感染対策を徹底しているわけで、逆に安心とも言えます。

小耳にはさんだ話では、演者は毎日PCR検査を受けているとかいないとか。まあ、半年ぶりの再開ですから慎重の上にも慎重を期しているのでしょう。

さて舞台の幕が開き、「浜の宮馬場の段」、太夫は豊竹藤太夫、って誰それ? と思ったら、知らないうちに文字久太夫が藤太夫になってました。

最近歌舞伎も文楽も知らんうちに名前が変わってることが多くて、ちょっと見ないうちに誰が誰やらわからなくなります。

お話の方は、鑓の名手で、茶道にも秀でた文武両道のイケメン・笹野権三、茶道の相弟子・川側伴之丞の妹お雪と言い交わした仲。

遠乗りの馬場に待ち伏せて、近頃つれないと責めるお雪と乳母に、お兄さんが気難しくて言い出しにくいと言い逃れ、権三は乳母にとりなしを頼む。

機嫌直したお雪は手ずから自分と権三の紋を刺繍した帯を贈る。

茶道師範の浅香市之進の出張中、若殿の祝言の茶会が「真の台子」という超正式な形で開かれることになり、その作法は一子相伝の極意。

権三は市之進の妻・おさゐに極意の記された巻物を見せてもらい、ライバルを蹴落とそうと思い立つ。

おさゐには十三歳になるお菊という自慢の娘があり、お菊を藩きってのイケメン権三と添わせたいと思っている。

そこへ訪れて巻物を見せてほしいと願う権三に、娘の婿になれば、一子相伝の伝授をしようと言うおさゐ。権三はためらいながらもこれを承諾。

その時お雪の乳母が浅香家を訪れる。伴之丞を嫌うおさゐは居留守を使い、巻物を見せるから夜また来るようにと権三を裏口から帰す。

下女に伝言を頼む乳母の話を聞いておさゐはびっくり仰天、権三とお雪の祝言の仲人を頼むというのだ。嫉妬に怒り狂うおさゐ…

はいここまでが前半、「浅香市之進留守宅の段」までであります。心中に至るいちずな恋物語の『曽根崎心中』や『心中天網島』とはだいぶ趣が違います。

「油壺から出すやうな、しんとろとろりと見とれる男」と描写される権三ですが、人物像はなかなかえげつない。

お雪の乳母がその不実をなじるのも、乳母の手引でしのび逢いのあと、何度文を出しても返事もない、「一夜限りに切り売りする娘御ぢゃござらぬぞ」と

舌鋒鋭く遠慮もあればこそ。そこはそれあの兄上がと兄のせいにする権三。

その兄も夫のあるおさゐに色目を使い、ライバル権三には嫌味たらたらの、まあ、近松定番の小悪党ですが、

それにしても一子相伝の極意欲しさに恋人を裏切り、十三歳の娘の婿になるのを承諾する権三、いくらイケメンでもそれはいかがなものか。

三十七歳の母に一回り年上の男を勧められ、十三歳のお菊はえー、オジサンじゃん、と嫌がります。いちいち年齢が細かいのは、おさゐと夫も一回り違い。

おさゐと権三も一回り違い、で、権三とお菊も一回り違いで全員酉年。このギリギリありかなー、という年齢差がこのお話のミソであります。

藤太夫から織太夫(アタシはまだ咲甫太夫のほうがしっくりくる)へのリレーでしたが、ところどころ寝落ちしていて、記憶がまだら(笑)。

お次はクライマックス数寄屋の段。切り場語りの咲太夫が出てきてびっくり、まるで別人のように痩せています。前回よりさらに一回りちっちゃい。

でっぷりしてた昔の半分くらいになってます。おいおい大丈夫かと思いましたが、さすがに声はよく出て、発音もより明瞭。でもちょっと心配だなあ。

さて、おさゐは数寄屋の庭で、権三が来るのを待ちながら、嫉妬と怒りに身悶えている。「稀男なればこそ我が身が連れ添ふ心にて、大事の娘に添はせるもの」

あ、ここで言っちゃってますね、おさゐは権三に惚れているんですね。袖食いちぎらんばかりに身をよじり、涙に暮れているところへ権三がやってくる。

二人は数寄屋の内に入り、ここからは障子にシルエットが映る。おさゐが渡す伝授の巻物を食いいいるように読み耽る権三。

そこへお雪の兄・川側伴之丞が、おさゐを口説き、色仕掛けで巻物を手に入れようと忍び込む。喧しい蛙の鳴き声が止んだので、誰か来た、と外を窺う権三。

おさゐはこんな所に誰も来ない、さては私とこうしているのを妬む女に覚えがあろうとブチ切れて、権三に飛びかかりお雪の刺繍帯を奪い取る。

ムキーッとばかりに解いた帯で権三を打ち叩き、帯を庭へ放り投げ、権三が取りに行こうとすると、自分の帯を解いてこの帯なされと投げつける。

権三が女帯などできるかと同じく庭へ放り投げると、隠れていた伴之丞が二人の帯を拾い、不義の証拠だと言い立てて逃げていく。

万事休す、と腹を切ろうとする権三をおさゐは押し留め、もはや二人は廃れ者、せめて夫に女敵討ちを遂げさせ、武士の一分を立たせてほしいと懇願する。

不承不承ながら、権三は願いを聞き入れ、二人は手に手を取って落ち延びてゆく。

このあとは、流れ流れて京の伏見まで落ち延びた二人が、盂蘭盆会の夜、おさゐの夫市之進と弟甚平に出会い、ともに討たれてジ・エンドであります。

この話、悲劇というよりもやや悲喜劇的な展開で、曽根崎や天網島のような悲壮美やロマンティシズムはありません。

権三にとって鑓も茶道もイケメンぶりも、すべて出世の道具。おさゐは一回りも年下の男を無意識に焦がれ、娘婿として手に入れようとする。

お雪との仲を聞かされ、数寄屋の段で嫉妬に狂う凶暴さは、思わず苦笑。忍んできた判之丞もチャリがかっていて、この場は喜劇と見るべきかも。

その上映画の岩下志麻のイメージがかぶって(あの人の狂乱演技は鬼気迫るものがあるからなあ)郷ひろみ権三たじたじ。

不倫の事実は何一つないのに、不義者として落ち延びねばならなかった二人といえば、先日の『大経師昔暦』もそうでしたが、あちらの二人は主従関係。

こちらは12歳年上の人妻と心ならずもそういうことになってしまった前途洋々のモテ男、最後まで未練がましく愚痴たらたら。

「そなたは人の女郎花、わしが口から女房とは、身の恥楓、徒に染まぬ浮名の過去の業、浅ましさよ」とぼやきますが、おさゐはどうなのか?

落ち延びてからの二人の関係は、絶望の中でのめりこんでいったと考えるべきでしょう。映画では大変にエロいシーンがあったようですが記憶にない(笑)。

太夫はそのつもりで演じたほうが色気が出てくる、という談話があり、衣装も武家らしくないどこか崩れたものに変わってます。

夫に討たれる直前、おさゐは「旦那様お懐かしうございます、ただただ子供のことを頼みます」とかき口説き、「何の奸婦、念仏申せ」とバッサリ一太刀。

おさゐにしてみればどっちも本音なんでしょうな。好いた男との腐れ縁のような旅の中で愛欲は全開、しかし夫や子供への思慕も絶ち難い。

ちょっと設定を変えれば現代劇にもなりそうな、女の業みたいなものが描かれていると思います。篠田監督が取り上げるのも納得です。

映画で見た若い頃にはなんだかなあでしたが、酸いも甘いも噛み分けた(酸い方が多かったかなw)この年になると、おさゐの心情にも共感できます。

代表作とされる心中物とは一味違う、ひねりのきいた近松作品でした。少なくとも『大経師昔暦』よりもぐっと現代的な解釈が可能だと思います。

 

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