スタッフN村による着物コラム

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いつまでたっても梅雨があけず、春物の上着やシャツをしまいそこねていた7月。8月になった途端、猛烈な炎熱地獄がやってきました。

皆様いかがお過ごしでしょうか。月末の誕生日がきたら年金申請に行くのだけを楽しみに、この夏を乗り切りたい私です。

この炎暑の中、庭で唯一元気に咲きまくっているのがこの花です。

サマーポインセチアというんだそうで、以前知り合いが何本か植えてくれたのが毎年増え続け、庭中を暑苦しく染めています。

実際にポインセチアの仲間なんだそうで、赤く見えるのは花びらではなく、葉の一部で、中央のツブツブした部分が花。

これが種になってこぼれ、どんどん増えていきます。切り花になればいいんですが、切るとすぐくたっとしおれて部屋には飾れません。

今度鉢植えにしてみようかな。でもあんまり涼しげじゃないし、ま、庭の彩りってことでいいのかもしれません。

 

82. イマドキ時代小説U

ネタに困ったら時代小説、という奥の手を昨年使いましたが、今年もその時が来たようです(笑)。

今回は、前回取り上げられなかった作家を中心に、最近印象に残った作品をご紹介していきたいと思います。

先だって、上野の東京都美術館で開催された「奇想の系譜展」レポの中で、西條奈加の『ごんたくれ』をちょこっとご紹介しました。

小説のモデルとなった長沢芦雪や曾我蕭白の絵をナマで見たので、読み返したいと思い、ちょうど文庫になったので買い求めました。

小説の主人公は吉村胡雪、その人生に深く関わる絵師・深山筝白、この二人はそれぞれ芦雪、蕭白の名をもじっていますが、それ以外はすべて実名。

当時京都の画壇は錚々たる天才の百花繚乱状態で、胡雪(芦雪)の師・円山応挙、箏白(蕭白)の友・池大雅、偏屈爺として登場する若冲、蕪村、呉春…

まさに字で読む「奇想の系譜展」であります。彼らの絵をちゃんと見る前に読んでもそれなりに面白かったんですが、見る前と後では面白さ段違い!

主役の二人をなぜ仮名にしたのかはわかりませんが、かなり大胆にエピソードを創作しているので、各方面に配慮したのかもしれません。

なんせ長沢芦雪は四十代の若さで大阪で客死、死因は自殺とも他殺とも言われており、蕭白は出自もその師匠もよくわからないときています。

作者は実によく両者の作品をたどり、鑑賞し、その絵がどんな状況下で、どんな心境で描かれたかをていねいに描写しています。

これから読む人は図書館ででも応挙、芦雪、蕭白、若冲あたりの絵をちらりと眺めておくとより楽しめますし、「奇想の系譜展」を見た方はぜひご一読を。

タイトルは不良、やんちゃの意味で、歌舞伎『義経千本桜』のいがみの権太から来た関西言葉。出てくる絵師はある意味みんなごんたくれです。

作者の西條奈加は、なんと日本ファンタジーノベル大賞でデビュー。受賞作の『金春屋ゴメス』は江戸国という独立国を舞台にした近未来SF(!)

ゴメスシリーズもなかなかぶっ飛んでいて面白いですが、その後は主に時代小説を中心に発表、『善人長屋』シリーズの他、短編連作も多数。

現代ものの『お蔦さんの神楽坂日記』シリーズは、気っ風のいい婆さんとその孫の日常ミステリーでこれもなかなか。

近作『無暁の鈴』は、破戒僧の無暁の一生を描き、その波乱万丈っぷりはまったく予想がつかず、ジェットコースターのような展開でした。

わりと予定調和になりがちな時代小説ですが、この人のは意外と展開読めないかも。最新刊の『隠居すごろく』もけっこう意外な方向へ向かってった。

ちなみにこの作品では、組紐師に帯締めを作らせる話になります。以前、帯締めの出てくる時代小説は眉唾だと言いましたが、撤回(笑)。

帯締めがまだあまり世間に知られておらず、これから流行らせようという展開なので、そりゃ降参ですわ。でも帯留めは認めないぞ。

 次はやはり絵師を主人公にした梶よう子の『ヨイ豊』。歌川豊国を4代目として継いだ二代目国貞(清太郎)が主人公。

中身はさておき、この本を手にとって私がのけぞったのは、カバーイラストの作者。なななんと、一ノ関圭じゃありませんか!

絵を描く男を斜め上から捕らえた大胆な構図、力強い描線、人物のぶっとい眉、紛れもなくかつて私が憧れてやまなかった漫画界のレジェンドであります。

40年以上昔、私がまだ高校生で少女漫画雑誌にせっせと投稿していた頃、ビッグコミック新人賞で大賞を獲り、衝撃のデビューを果たしたのが彼女です。

ええ、女性ですとも。東京芸大油絵科在学という、当時の漫画界ではありえない突出した画力、骨太なストーリー、正確無比な時代考証…

どれをとっても顎が外れそうなほどのハイレベルで、しかも当時の青年漫画誌に女性の作家はほとんどいませんでした。

もうね、女子は少女漫画しか描けないんだと思い込み、しかし少女誌の漫画スクールでは少女漫画向きでないという診断が下されていた私には、一大事件。

大学では迷わず漫研に入り、青年漫画を目指してジタバタしましたが、所詮もとの画力が足りなさすぎ、あえなく敗退。未練がましく漫画編集者として就職。

仕事でお会いすることは叶いませんでしたが、作品はしつこく追っかけました。なんせ極端な寡作で、まああの描き込みではやむを得ませんが、

ぽつりぽつりと思い出したように発表される作品を集めてもやっと単行本3冊。

『らんぷの下』『裸のお百』『茶箱広重』、今も私の宝物です。

さて、ここでようやく小説の話に戻るわけですが、『ヨイ豊』を読みすすめるうちに、あれ? どっかで読んだような話だぞ、という既視感が。

師匠の娘婿となり、豊国を継いだものの、大師匠に比べれば力不足、才能ある弟弟子には突き上げられ、挙げ句に卒中で倒れてあだ名が『ヨイ豊』…

うわ、『茶箱広重』とまったく同じ流れだ! 茶箱の方は、東海道五十三次の歌川広重を継いだ男の話で、やはり娘婿となり弟弟子に妻も広重の名跡も奪われ、

維新後は名もない絵師として輸出用の茶箱に貼る絵を描き続け、ついたあだ名が『茶箱広重』って、ね? 同じでしょ?

いや、『ヨイ豊』をディスってるんじゃないんです。むしろ確信したね。明らかにこれは『茶箱広重』へのアンサーソングだと。

茶箱にもちらっとヨイ豊が登場するし、ヨイ豊にも二代目広重の登場シーンがあるんです。で、間違いなくカバーイラストは作者のご指名でしょう。

いやあ、あたしゃ嬉しかったねえ。ここに一ノ関圭をリスペクトし、インスパイアされ、そしてこれほどの大作を書き上げた作家がいる!

『ヨイ豊』をお読みになる際は、『茶箱広重』もぜひ併せてお読みください。ちなみに現在新刊で手に入るのは小学館文庫版のみのようです。

この人の漫画は文庫判型じゃキツイなあ…B6の単行本は古本で結構なお値段でした。電子版かオンデマンドやってないのかな。

おっと、すっかり一ノ関圭の紹介みたいになってしまいましたが、梶よう子は『ヨイ豊』以前もほとんどの作品を読んできた大好き作家です。

『御薬園同心 水上草介』シリーズは、ぽわんとした薬草園の同心(という役職があるんだとか)が主人公のちょっとミステリーな連作集。

『みとや・お瑛仕入帖』シリーズは、兄と二人で小さな雑貨屋を営むお瑛と、それを取り巻く人々の市井もの。

他にも朝顔の品種改良に勤しむ貧乏御家人とか、離縁されて実家に戻り、筆法指南所を始める武家娘とか、火事で家族を失った浮世絵の摺師とか…

どこか切なく、慎ましく生きる主人公と、周囲の人々との温かな日常を描いた作品が多いです。西條奈加との違いはそこかな。

世間の主流に真っ向から抗う人物の多い西條奈加と、一歩引いた慎ましい人物を描く梶よう子。『ごんたくれ』と『ヨイ豊』はまさに好対照です。

人気の北斎と娘のお栄を描いても、この人が書くと信州小布施から弟子入りしてきた高井鴻山の目線になります。

この『北斎まんだら』と朝井まかての『眩』も比較しながら読むと面白い。西條奈加、梶よう子、朝井まかて、この3人は今最も新作が待ち遠しい作家です。

さてと、ここまでは褒めまくりでしたが、以下少々辛口になります。

以前、戦後生まれの作家が書いた時代小説なんてちゃんちゃらおかしくって、と書きましたが、それは悲しいかな事実です。

読んでいてそれはないだろうという描写が、ここまで褒めまくってきた作家でもなくはない。ましてここに取り上げなかった作家においてをや。

帯締め帯留めどころではない、ちょっと時代劇ドラマを見てればわかるような初歩的な間違いがぞろぞろ出てきます。

最も腰を抜かしたのは、暗闇で近づく敵に、武士が刀の「目釘を抜いた」という描写。おいおい、それじゃ刀身が柄から外れちゃうだろ。

たぶん「鯉口を切った」と言いたかったんだろなあ。さらにビックリ、桃山時代の絵師が「袱紗」の上に紙を広げて絵を描いている。

これも文脈からすると「毛氈」らしい。細かいことを言うとキリがないけど、さようしからばと侍言葉の大店のご隠居、べらんめえ口調のお店者、

太物屋の店先には片貝木綿、「やんごとない」事情で薮入に帰れない奉公人、(例えば)鈴木家の花と申します、ならともかく堂々と鈴木お花と名乗る女…

いちいち気にしていると小説を楽しめないので、面白ければ目をつぶることにしてますが、さすがにウンザリして二度と手に取らない作家が何人もいます。

テレビでほとんど時代劇を見ることもなくなった近頃、仕方ないのかなあ。水戸黄門を見てれば、印籠の前後で口調が変わるのは一目瞭然だし、

落語の『文七元結』を聞けば、左官の長兵衛と小間物屋の手代・文七の言葉遣いははっきりと違う。噺家なら前座見習いにだってできることです。

時代小説を書こうとするなら、池波正太郎や司馬遼太郎くらい読むでしょう。読めば自然に身につくんじゃないかと思うんですがねえ。

まあ、これは作家はともかく、編集者、校閲者の責任が大きい。原稿、初校、二校三校(まで取ってるかどうかしらんけど)、訂正の機会は何度でもあるはず。

本になる前に気づいて、作者に恥をかかせないのが君たちの仕事じゃないのかね。業界OBのはしくれとして、声を大にして言いたいところです。

もちろん、『村上海賊の娘』や『ぬけまいる』の若い主人公が、ギャルやヤンキー言葉でしゃべるのは、世界観としてアリ、それは否定しませんが、

周囲の武士や長老や長屋のおかみさんがそれらしく喋っていてこその対比です。

時代小説、ひところに比べると書店のスペースもぐんと増え、司馬遼太郎の『関ヶ原』や『燃えよ剣』にも映画化!の帯が巻かれて絶賛新装平積み中。

若き作家も編集者も、戦前生まれの大先生たちの小説をもう一度読み返し、顔を洗って出直してきてもらいたい。オバさん読者の切なる願いです。

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