スタッフN村による着物コラム

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先だっての東京展には、遠路はるばるの方も、そうでもない方も、肌寒い気候の中おいでいただきまして、ありがとうございました。

肌寒いのも道理。写真は初日の二日前、410日昼頃、そろそろ止むかな? という時間の我が家の庭であります。

このあとみぞれから雨に変わったので、積雪としてはピークです。木瓜の花もツツジの花も綿帽子かぶってます。

こんな異常気象ですから、開催期間中も肌寒い日が続き、夏物や浴衣を手にとる方はいつもの年より少なかったような気がします。

私も暑かった去年は阿波しじらを着ていったりしましたが、今年は袷を着たいくらいの寒さでした。お客様の気持もよーくわかります。

先日冨田のブログでえらく持ち上げられて面映いのですが、私は私でkimono gallery晏に関わってなかったら、およそ着物を着る機会はないでしょうな。

春秋の東京展に着物で行き、コラムを書くためにできるだけ着物に関係ありそうな場所へ出向き、着物アンテナは絶えず四方八方へ向けておく。

持ちつ持たれつというか本末転倒というか、そんな関係を保ちつつ、細々と続く私の着物ライフなのであります。

 

79.多分最後なんじゃないか結婚式

東京展の翌週末、甥の結婚式がありました。二人しかいない甥の、長男の結婚式もここでレポしましたが、今度は次男の方。

私には子供はいないし、これから結婚するような若い友人もいないし、結婚式に招待されるのもこれが最後なんじゃないかと思います。

手持ちの江戸小紋で間に合わせるつもりだったんですが、たまたま姉の友人から浜縮緬の白生地をいただきました。

こりゃもう染めて仕立てるっきゃないと、早速高松の冨田に送って、江戸小紋か色無地にしたいと相談したところ、シボが大きく江戸小紋は難しいという。

それでは色無地にして洒落紋を入れようと、色見本と紋見本を送ってもらい、出来上がったのがこの写真であります。

 

 

薄い銀鼠に、背中に波千鳥の一つ紋。生地がたっぷりあったので、八掛も共八掛。普通の色無地や江戸小紋の反物代程度で仕立て上がりました。ラッキー。

帯は金系銀系2本しか持ってない袋帯の金の方。ごく初期に買ったもので地味めですが、やっと年齢が追いつきました(笑)。

小物は上の甥の結婚式で使ったのを流用、バッグはどこかのバーゲンで買った龍村、草履はカジュアルなのしか持ってなくて、唯一あったエナメルの草履。

これもごく初期に京都祇園の丶や(ちょぼや)で買った、どっちかというと粋筋っぽいかかとの低いもので、礼装用じゃないけどまあいいや。

ホントはもっと濃い色の帯があればよかったんですが、結婚式はコーデより格優先。まだ少し肌寒く、この上に母のを仕立て直した紋紗の黒羽織を着ました。

さて、写真の場所は披露宴会場の明治記念館の中庭ですが、挙式は明治神宮でした。明治神宮の結婚式なんて初めてで、びっくりすることばかり。

さっそく今度もネタにしてやろうと思います。身内でもなんでも使い倒すぞ。ご祝儀がっぽり取られてるしな(笑)。

そもそも明治神宮に行ったことがなかったんです。原宿駅の真ん前だよな、となめてたら、境内の広いこと広いこと。

行けども行けども本殿にたどり着かない。向こうからぞろぞろやって来る外国人観光客を避けながら、砂利道を必死で歩くもどかしさ。

写真なんか撮ってる余裕はありません。集合場所の神楽殿に着くまで15分くらいかかりました。集合時間ギリギリです。

集合時間が12時半で、式は1時半から。親族顔合わせというのがあって、まあ昼時ですから軽食くらい控室に用意してあるかと思ったらなーんにもない。

神域に付き、飲食禁止なんですと。桜湯が一杯出ただけ。駅前のドトールで念のためマフィンかじっといてよかった。

披露宴は3時半だから、それまで飲まず食わず。境内に飲み物の自動販売機はあるけれど、その場で飲まなきゃいけないらしい。キビシー。

紋付袴の新郎と、白無垢に綿帽子の新婦が入ってきて、先方のご親族と対面。あちらは新婦の妹二人に従兄弟のお嫁さんもいて、振袖や訪問着で華やか。

こっちは亡き義兄の姉夫婦、私、姉の長男夫婦とその息子、その上私の弟夫婦は披露宴に出ればいいと勘違いしてて欠席という、寂しい陣容。

新郎は半端な長髪に無精髭で黒紋付。いいのかこれで。続々集まってくる友人もムサイ男かコブ付きの夫婦。まあ、新郎新婦が30代ではこんなものかも。

いよいよ挙式のため、本殿へ向かいます。係の女性の案内で、神官と新郎新婦を先頭に、しずしずと神楽殿から外へ出てびっくり。

回廊をグルーっと回って本殿に入るのですが、その周りを観光客がびっしり。

日本人より外国人が多い。それが全員スマホをこちらに向けている。

上の甥の時は湯島天神というこぢんまりした神社で、控室から本殿へも屋内の廊下を通り、橋掛りのようなところでちょっと外から見えるだけでした。

それでも参拝客から歓声が上がり、ばしばし写真撮られたけど、そんなもんじゃない。完全に晒し者(笑)。みるみる世界中に我々の姿が拡散していきます。

いやまあ、私も海外旅行に行って結婚式に出くわしたら写真は撮りますけどね。

わざわざさあ撮れ(しかも動画!)と言わんばかりのお練り行列。

そして我々の方は専属カメラマン以外撮影禁止でスマホは電源オフ。式場に入ると、簡素な卓子に折敷と盃が置かれ、列席者が床几に座ると扉はぴしゃり。

んで、篳篥と箏の生演奏も厳かに、拝礼のあと、祝詞があったり三三九度があったり巫女舞があったり、そのたびに立ったり座ったり、なかなか忙しい。

小さな子供が何人かいて、甥の3歳の息子は健気におりこうさんでしたが、友人のコブが「いたいー、つまんないー、かえりたいー」とむずかり始めました。

母親はまだ乳飲み子を胸に抱いていて、父親が必死にあやしているらしいのですが、おむずかりはエスカレートするばかり。

係の女性が飛んできて、お静かにと言いはするが、父親が外へ連れ出そうとすると、扉は式が終わるまでは頑として開けない決まりらしい。

そのうち他の子供にも伝染し、私の後ろでは折敷がガシャーンとひっくり返り、新婦側の子供もぐずり始め、祝辞を述べる神官はワントーン声を張り上げる。

腹立たしいやらおかしいやらで、なんだか退屈はしないで済みました。

なかなかスラップスティックスな式が終了し、記念撮影の場所へ移動。またも来る時と同じようにしずしず行列。

さっきとは別の観光客のスマホ放列の中をくぐり、階段状にしつらえた屋外の撮影所で整列。幸い好天に恵まれましたが、雨降ってたらどうするんだろう。

長男息子は最前列で祖父の遺影を抱えてじっと我慢。カメラの上にアンパンマン人形が置いてあり、「はーい、アンパンマン見てねー」の掛け声でパシャリ。

小さい子供対策もいろいろ考えるもんです。「おりこうだね、よくできたね」と褒められた長男息子、せっせと子供用の椅子をお片付け。

いつも幼稚園でやってることらしいんですが、「んまあおりこう!」と、祖母(姉)も大叔母(私)もデレデレ。そしてこの記念撮影もスマホ放列の中でした。

記念撮影の間も次の挙式組が本殿に向かっていきます。それもそのはず、〇〇家結婚式という名札を数えたら17組ありました。

式が一組約30分としても、最終組はいったい何時に終わるのだろうと余計な心配をしてしまいます。

さて一行はマイクロバス2台に分乗し、披露宴会場の明治記念館へ。私は原宿側から入ったので、代々木側に向かって神宮の森を突っ切ることになります。

鬱蒼とした、都心とは思われない森の中、くねくねと走るバス。ふと、一昨年詣でた鹿島神宮を思い出しましたが、なんか違う。

そう、木々の樹齢が違うのです。明治神宮の森は1920年に、全国から献上された木を移植して作られた人工林で、樹齢はせいぜい百年かそこら。

鹿島神宮の森は樹齢4,5百年はザラで、どうかすりゃ千年近い木もあり、遠近感がおかしくなるような森でした。ふふん、まだまだお若い、明治神宮(笑)。

建築中の国立競技場を見上げ、バスは明治記念館へ。ほとんど隣接してると思ってたんですが、けっこう遠かった。つか、外苑広すぎ。

披露宴までの間、中庭の芝生で撮影タイム。てな次第で、冒頭の写真になるわけです。ご覧の通り、見事な快晴です。

中庭に散らばった出席者たち。弟夫婦もようやく現れました。ツツジや八重桜が咲き乱れ、新婦の家族も咲き乱れ、ちょっと細雪な気分(笑)。

真ん中で座り込んでいるのがおりこう長男息子です。花嫁は白無垢を着たままですが、綿帽子を取るとイマドキな洋髪でした。

6年前、上の甥の結婚式では文金高島田で、よその花嫁の洋髪白無垢にのけぞったものですが、最近じゃこれが主流みたいですね。

まあ、およそ半日も文金高島田のカツラ載せてたらキツイわな。お色直しも楽だし。綿帽子かぶってたら全然わからないしね。

そして披露宴開始。やれやれ、おなか空いたよー。50人ほどのこぢんまりしたパーティーで、中庭に面した明るいサロン・ド・エミールという部屋。

壁紙一面に舞い飛ぶ鳳凰が描かれ、席次表も引き出物のカップもみんなその柄。

ウェディングケーキも巨大なキャンドルもない、つつましいしつらい。

鏡割りと餅つきというイベントはありましたが、親族代表で私の弟が挨拶し、新婦の先輩が乾杯の音頭を取っただけで、

友人の下手くそな歌や、恥ずかしい暴露スピーチもなく、落ち着いた好ましい宴です。お料理は和食ですが、子どもたちにはお子様ランチ風別メニュー。

フライドポテトやグラタンなど、ちょっと食べてみたいぞ明治記念館のお子様ランチ。弟夫婦と私のテーブルには、なぜか私の料理だけ先に運ばれてくる。

なんでだろうと思ったら、返信はがきに「食べられないものがあったらお知らせください」とあったので、「生のエビ・カニ」と書いたのでした。

そりゃもう刺し身だけでなく、煮物焼き物蒸し物まで、徹底した別メニュー。生でなければ大丈夫なんだけどなあ、と伊勢エビの鬼殻焼きを横目に眺めつつ、

私の焼き物は鯛。それはそれで美味しかったけどさ。お椀の蒲鉾まで違っていたのには笑っちゃいました。

 宴は和やかに進み、お色直しで新郎新婦いったん退場。新婦に続いて新郎退場のエスコートに突然私が指名されました。

「聞いてねーよ」とぶつぶつ言いながら前へ出ると、それまでJ-POP主体のBGMQueenの「I Was Born To Love You」に。

「あたしが出てきたらQueenってスゴイじゃん」と新郎にささやくと、「かーちゃんに訊いて仕込んどいたッス」だって。クーッ、泣かせるねえ。

席に戻って弟に「ボヘミアン・ラプソディ」のほうがよかったなあと言ったら、「ママ、僕は死にたくない」なんて歌を結婚式で流せるか! と言われました。

そりゃそうだ。お色直し中、お約束の「今日までの二人ビデオ」が上映されましたが、なななんと、先程の挙式から、げ、ついさっきの私までが映ってる。

いったいいつ編集したんだろう。プロってスゲー。そしてこれなら「結婚式のビデオ見る〜?」と見せられても腹は立たないな、と思ったものです。

ウェディングドレスとタキシードに着替えた新郎新婦再入場。新婦から両親へ感謝の言葉と花束が贈られ、最後の新郎の挨拶。

あのちっちゃかった甥が立派にメモも見ずに挨拶し、「天国で親父も見ててくれると思います」と言ったときには、

義兄の葬儀のとき、健気に凛として振る舞っていた彼の姿を思い出し、弟も私も思わずだはーっと号泣。大人になったのう、おぬし。

そして外に夕闇が迫る頃、宴はお開きとなり、若者たちは二次会へ、ジジババたちはそれぞれの家路へつきましたとさ。

平凡な私事に、長々とおつきあいいただきありがとうございました。まあ、このコラム、ほとんど私事といえばそうなんですがね(笑)。

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