スタッフN村による着物コラム

「オキモノハキモノ」 に戻る

いよいよこのコラムも平成最後となりましたが、令和となっても引き続きよろしくお願いいたします。

ご近所さんから、知り合いのおばあさんが介護施設に入所するので。身辺整理のための着物をごっそり預かったと相談がありました。

さっそく姉とその友人と共に乗り込み、捨てるもの、いただくもの、小学校の学芸会の衣装に使えるもの、再生できるもの、と仕分けしまくりました。

手織りの久留米絣や、しつけのついたままの紗の単や、ステキなものも多かったのですが、持ち主は小柄な人らしく、私には小さすぎる…残念!

捨てたりバラしたりするには惜しいので、お茶をやってる友人に送って仲間にシェアしてもらい、私は帯や小物をいただきました。

絽綴の夏帯とか、黒の博多献上とか、未使用の羽裏生地とか、戦利品はいろいろですが、写真はその中の半幅帯と羽織紐、扇子です。

捨ててしまったものの方が多いですが、少しでも活かすことができ、ご近所さんも喜んで、持ち主に報告するとのこと。

洋服やインテリアに再生する方法もありますが、着物として生まれた布は、最後まで着物として使ってあげたいと、着物好きとしてはそう思いますね。

 

78.『奇想の系譜展』鑑賞

上野の東京都美術館で開催中(4/7まで)の『奇想の系譜展』を見に行くことになり、先日の戦利品を活用しようと思い立ちました。

先程紹介した半幅帯と羽織紐から考え始め、まず祖母の着物を仕立て直した縞の羽織を決めました。

これは「絹綿交織」という、昔はけっこうポピュラーだったらしい織物。漢字で書くとごっついですが要は綿シルクです。

明治末生まれの祖母が若い頃のものですから、おそらく大正時代、百年は経ていると思われますが、手触りが良くて愛用しています。

着物はウールか木綿と考えましたが、これが縞物ばっかりで、無地は藍の双子織か茶の保多織のみ。羽織と帯の色あいからすると茶の一択です。

ずっとほったらかしでかなりヨレてましたが、手洗いしてアイロンかけてやったらピシッと戻りました。やはり木綿着物は時々洗ってあげましょう(笑)。

帯締めは帯の中にかすかに入っている青緑色に揃えて、履物は保多織鼻緒のカレンブロッソ。美術館はけっこう歩くので、疲れないための必須アイテムです。

身支度よーし、ツレ二人と美術館前で待ち合わせ。前日に桜の開花宣言が出て、さぞ混み合うかと思いましたが、平日なのでそこそこです。

まだ一分咲きというところですが、早々と花見の準備が始まっています。写真をよく見ていただくと、外国の方がとても多いのがわかります。

 

さてこの『奇想の系譜展』は、美術史家の辻惟雄氏の著書『奇想の系譜』に取り上げられた6人プラス2人の画家たちの作品を展示しています。

ご存知伊藤若冲を始め、曽我蕭白、岩佐又兵衛、長沢芦雪、狩野山雪、歌川国芳に鈴木其一、白隠慧鶴を加えた8人です。

今でこそ大人気の若冲も、ほんの20年ほど前は知る人ぞ知るマイナー画家。日本美術の本流といえば狩野派、円山派、琳派、歌麿広重というところでした。

今回の画家たちはその本流からちょっと外れたところで独自の画境を切り開いていった個性派揃いです。

チケット売り場で5分ほど並び、展示室へ。最初の部屋が伊藤若冲で、すごい混みよう。今回は初展示の初期作『梔子雄鶏図』もあり、さすがの人気。

若冲は京都錦小路の大きな八百屋の主人で、弟に店を譲ってからは悠々自適で絵を描いていたので、お金の心配はなかったようです。

なもんで、ニワトリばっかり描いてようが、作品が売れなかろうが、そこはもう勝手気まま。ある意味究極の旦那芸ですな。

若冲は何年か前の「ブライス・コレクション」や、皇居三の丸尚古館の「動植綵絵」の展示を見ているのでけっこうお腹いっぱい。混んでるし次へ進もう。

続いて曽我蕭白。この人こそヘン。濃い墨書きは超絶技巧だが、着色された色はどぎつく、描かれた仙人や聖人や童子の表情はキモい。美人も美しくない。

署名もフザケたような書体で従四位下式部太夫蛇足軒琿雄入道十世曽我蕭白左近次郎なんちゃらと、4行くらい書き込んでたりする。

しかもそれが一定してなくて全部の絵に違う署名が入ってる。相当な偏屈者だったらしく、円山応挙を敵視し、

「本物の画が欲しければ私に頼め、ただの絵図を求めるなら円山応挙に頼め」と嘯いていたそうな。しかし蕭白の屏風や襖絵、欲しくねーな(笑)。

次の部屋は長沢芦雪。蕭白、若冲とはほぼ同時代の人で、師匠は円山応挙。応挙の孔雀図の模写もあって、これのみ細かく彩色してますがあとはほぼ墨絵。

この『白象黒牛図屏風』は六曲二双の屏風ですが、屏風いっぱいに象と牛が描かれ、真ん中の二曲なんてほとんど何も描いていないように見えます。

しかし牛の足元の子犬や、象の背中のカラスがユーモラスで可愛い。以前ブライスコレクションでも見てますが、あの時は照明が暗くてよくわからなかった。

私は今回の8人の中で断然芦雪のファンになりました。

『群猿図襖』の猿は漫画のように表情豊かで、襖を立て、濡れ描きでささーっと描いたらしく、墨が垂れています。恐るべきデッサン力。

なめくじの這った跡をぐりぐりーっと一筆書きにした『なめくじ図』、親子ザルのとぼけた表情がたまらん『猿猴弄柿図』、めっさカワイイ『降雪狗子図』…

気づいたら芦雪の絵葉書ばっかり買ってました。かなり壮絶な人生だったようで、45歳の若さで亡くなっています。

そのあたりは、芦雪と蕭白がモデルの小説『ごんたくれ』(西條奈加)に詳しい。架空の名前になってますが、かなり史実に忠実で、若冲も出てきます。

次は岩佐又兵衛。これまでの3人とは少し時代を遡ります。数奇な運命と言ったらこの人以上数奇な人物はそうそういないでしょう。

織田信長に反逆し、一家眷属皆殺しにあった戦国武将・荒木村重の子。赤ん坊だった又兵衛を乳母が抱いて逃げ、一命をとりとめたというのだから驚きです。

そのあとほどなく織田政権は崩壊、又兵衛は母親の姓である岩佐を名乗り、絵師として豊臣から徳川の世を生き、73歳まで長命しました。

父親の荒木村重は、籠城の最中に城を捨てて逃亡、自分だけ生き延び、茶坊主として秀吉に仕えた日本史上屈指のヘタレですがそれはまた別の話。

そういう生い立ちだからなのか、作品は血腥く毒々しく、『山中常磐物語』という大和絵風の絵巻物は、残忍な殺人現場がリアルに描かれています。

絵巻物の前で人の流れが止まってしまい、またもや渋滞し始めたので、ここはさらっと通過することにしました。

次は狩野山雪。本流中の本流、狩野派ですが、本家が江戸へ活動の場を移した後、我らこそ真の狩野派と気を吐いた京狩野の婿養子。

きらびやかな障壁画で、私には「本流」との違いがよくわからなかったので、

ここもさらっと通過。

次の白隠慧鶴はちょっと変わり種です。職業画家ではなく、禅宗の高僧で、民衆教化の手段として絵や書を書いていました。

こーれがユーモラスで可愛くて、それでいて深くて、私は今回芦雪の次にファンになりました。

最高に好きなのは『蛤蜊(はまぐり)観音』。ボッティチェリのヴィーナスならぬ、蛤から生まれた観音菩薩の周りに海の生物の精が集まっている。

観音の顔も、海の精たちの顔もにこやかでユーモラスで、園山俊二の漫画みたい。微妙にヘタウマで見ているこっちもついニコニコ顔になっちゃう。

蕭白や芦雪や若冲も、この自由奔放な画風から影響を強く受けているそうです。書も紙幅いっぱいにただ「南無阿弥陀仏」とぶっとく書かれたお軸がなんだか有り難い。

8人の中で、ある意味最も現代的な作風でした。

続いて鈴木其一。こちらはぐっと時代が下って幕末の絵師。すでに琳派や若冲など先達の影響を強く受け、同時代の北斎にも刺激を受けていたようです。

なので、テクニック的にはかなり近代的。ちなみにほとんどの先行画家が虎を描いているのですが、せいぜい毛皮くらいしか見ていないのでみんなヘン。

耳が寝ていたり、朝鮮民画のマネっぽかったり、誰の虎図だったか忘れましたが、尻尾はヒョウ柄という珍品まで。

その中で其一の『百鳥百獣図』の虎が一番上手でした。象やラクダもいて、もしかするとこの時代になれば実物を見ることができたのかもしれません。

最後は歌川国芳。8人の中で最も新しい時代の人物。幕末の末も末、あと7年で明治という年に亡くなった浮世絵師です。

アルチンボルドの、果物や野菜を組み合わせて人物の顔を表現した絵をご存知かもしれませんが、こっちは褌一丁の裸の男の組み合わせで顔を表現。

題して『みかけハこハゐがとんだい丶人だ』(笑)。他にも3枚続きの錦絵で『宮本武蔵の鯨退治』や巨大な骸骨が覗き込む『相馬の古内裏』やら。

ただ、残念ながらほとんどが浮世絵ですから摺物で、しかも以前他の展示会で摺物は大体見ているので、ここもスルー。つか、もう疲れちゃった。

浅草寺に奉納された巨大絵馬が二点、これは肉筆画で、『一ツ家』の鬼婆がたいそう不気味で結構でした。

はあー、混んでるのも混んでたけど、これだけアクの強い画家ばかり8人はやはり多すぎ。足の疲れより頭の胸焼け(?)がキツイです。

今度芦雪と白隠だけの展示やってくれないかなあ。もっと点数増やして。若冲が入ると混むから、若冲抜きでいいや。

でもやっぱり鳥は若冲が群を抜いて上手いですね。龍は誰かなあ。岩佐又兵衛と芦雪のがかっこいいな。で、虎はみんな下手くそという結論でした。

スタッフN村による着物コラム

「オキモノハキモノ」 に戻る