スタッフN村による着物コラム

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今年は暖冬だ、なんてことを気象庁が言っていて、うちのあたりもさして霜も降りぬまま、このまま年越しか?と思っていたら、

今朝起きてびっくり!ご覧の通りのうっすら雪化粧。今朝、というのは冬至の翌朝です。

ほとんど奥多摩と言っていい青梅の山里でも、クリスマス前に雪が積もるのは本当にまれです。

朝日が登ると同時に、あっという間に融けてしまった、実にはかない雪景色でした。

ちなみにスタッドレスタイヤは今月の初めに交換済み、おさおさ怠りありません。もっと降ってもいいよ()

 

85.「築地明石町」の謎

私は15,6歳の頃から、好きなものがあまり変わらない人間です。というより、好みのベースがだいたいその頃に出来上がっちゃったみたいです。

洋服は中学時代にハマったアイビーファッションがベースで、メンズクラブ的センスが未だに抜けません。着物の好みにも影響してます。

高校時代はヘビーデューティーといって、チェックのネルシャツ、ジーンズ、ダウンジャケットが三種の神器。ユニクロのラインナップは今大変ありがたい。

映画は中学生の時にNHKの教育テレビでなんとなく観たフェリーニの『道』が、還暦を過ぎた今でもベストワン。何十回見返したことか。

小説は中3の春休みに読んだ司馬遼太郎の『燃えよ剣』。読み返した回数が最も多い小説だと思います。おかげで好きな歴史上の人物No.1は土方歳三。

途中坂本龍馬に浮気したこともありますが、私の若い頃はとにかく倒幕派が偉くて、佐幕派は頭が悪いの因循姑息だのとなにかと肩身が狭かった。

いまやあのイケメンな写真のおかげか、歴女人気はトップクラス。このあいだBSプレミアムの『英雄たちの選択』を見ていたら、

脳科学者の中野信子さんが、土方はものすごく頭のいい人だと激賞、司会の磯田道史さんも、彼が明治政府に参加していたらどんなに良かったろうと、

もう皆さん褒めまくり。ま、そういう番組ではありますが、長年馬鹿だ馬鹿だと蔑まれてきた新選組ファンとしては、涙が出るほどうれしかったですよ。

だいたい徳川慶喜にもう少し根性があって、明治政府がもう少し賢かったら、幕府の有為な人材がむざむざ死なずに済んで、

日本の近代はもちっとマトモなものだったんじゃないか、少なくとも現代に連なる薩長閥の驕りは…ってそういう話をする場所じゃないですね。

で、ここから今回のメイン、鏑木清方の「築地明石町」の話。この絵をいつどこで見たのかは覚えてませんが、多分一目惚れです。

高校生の時、誕生日のプレゼントとして姉にねだって買ってもらった清方の画集は、今でも大事に手元にあります。

今回、“幻の”「築地明石町」特別公開というインフォメーションを新聞で見て、あれ? なんで“幻”なんだろうと不思議に思ったんですね。

画集の解説にもそんなことは書いてないし、何度か清方の作品展を見ていて、なんとなく実物を見たような気がしていたのです。

どうやら清方の死後しばらくして、1975年以降所在不明となっていたようです。清方の没年は’72年で、なんだ、私が中学生の頃はまだ存命だったんだ。

私が惚れ込んだ頃にはすでに所在不明だったので、見たというのは勘違いでした。切手にもなってるし、何かと目にする機会があったからかなあ。

どういう経緯か個人蔵となっていたものを国立近代美術館が買い取り、今回「新富町」「浜町河岸」と合わせた三部作を一挙公開というので、こりゃあ行かねば。

ちょうど近くの母校の記念ホールで、サークルのOB会があったので、早めに出かけて竹橋まで足を伸ばしました。

冷たい晩秋の雨がしとしと降る日で、着物で出かけようと準備万端整えたのですが、どうやら終日止みそうになく断念、その代わり足回りは軽快です。

近頃、美術展はちょっとメジャーなものだと30分や1時間の行列は当たり前で、どんなものかと少し心配だったのですが、悪天候が幸いしてか人出はまばら。

会場もこぢんまりとした一室のみの展示室。入ってすぐにこの絵に描かれた浅葱の江戸小紋と黒の被布を再現した着物が展示してあります。

十二幅対の「明治風俗十二ヶ月」に続いて、展示室の正面、右から「新富町」、中央に「築地明石町」、左に「浜町河岸」と並んでいます。

真っ先に「築地明石町」の前に立ち、ガラスにへばりついて舐めるように見入りました(それくらい空いていた笑)。

思ったより大きな絵で、実際の人物の3分の2くらいでしょうか、半身をひねって後ろを見返るようなポーズ、遠景に外国船のマスト、足元には朝顔。

浅葱色というか青磁色というか、細かい江戸小紋の着物に黒の被布、ところどころ赤い裏地が覗くこの色合い、長年憧れてやまない実物に、ついに会えた!

ちょっと背筋がゾクゾクっとしましたよ。この少し気だるい視線の向こうには何があるんだろう…

近寄ったり離れたり、ためつすがめつ見ているうちに、あれ? と思い始めました。このひと、襦袢着てない…足袋も履いてない…

アップになったチラシをよく見てください、半襟がありませんね。浴衣なのか、って江戸小紋の浴衣はなかろう。被布も着てるんだし。

実はこの絵は、発表当時、“洋妾(らしゃめん)”を描いたものでは? と言われていたそうです。洋妾、外国人相手のお妾さんですね。

築地明石町というところは港に近く、外国の商館の立ち並ぶエキゾチックな街だったそうです。しかし作者の清方はこの解釈を強く否定しています。

「築地明石町は上流婦人の散歩コースだった」というのが清方の主張ですが、ではこのひとが上流の奥様だとしても、うふふ、なんだかワケアリっぽい。

よくよく見ると、帯をちゃんと締めてるかどうかも怪しい。何らかのシチュエーションから、慌てて着物をまとい伊達締めか何かを巻きつけたか、

被布を羽織って前を掻き合せるような仕草、裸足に下駄をつっかけて、よく見れば前髪や鬢の後れ毛も少々乱れ気味。

朝顔が咲いているということは早朝です。この見返り気味のポーズ、物憂げな眼差し…

するってえと奥さん、散歩の途中にあなたどちらへいらしたんで? と、つい艶っぽい想像がはたらいてしまう。

画集の解説にも、ネット検索でも、何もエピソードは出てこないのですが、「この絵にはもう少し意味深な物語もありそうだ」と展示の解説文。

自分が着物を着るようになって、初めてこの絵の不自然さに気がつきました。襦袢を着ていない、江戸小紋と被布なのに裸足、うふふ、そうだったのか。

15,6の小娘には想像もつかないシチュエーションでさあね。いやあ、歳を取るってのも悪いことばっかりじゃありませんや。

両脇に目をやると、右は「新富町」。乙な年増の芸者が縞の着物に小紋の羽織、雨下駄に蛇の目傘をさしている。

地味な着物と羽織に羽裏の赤と襦袢の水色がアクセント。半襟の薄紫も粋ですね。背景は明治時代に賑わった新富座。

関東大震災で消失したというので、この絵が描かれた昭和5年にはもうなかった風景です。絵看板によると『仮名手本忠臣蔵』が上演中のようです。

左は「浜町河岸」。〽浮い〜た浮いた〜とは〜まちょおがあ〜〜しに、とは『明治一代女』の歌い出し、ってみなさんそんな歌知らんよなあ(笑)。

歌の主人公は芸者ですが、こっちはまだおぼこい娘さん。小紋の中振袖に襦袢、帯、手柄も下駄の鼻緒もビビッドな赤。

稽古扇を手に、袂を捌いて、踊りをさらいながら稽古の帰り道。この娘がやがて芸者として売出し、明治一代女の花井お梅になるのでしょうか。

こうしてみると、三部作それぞれが、年齢や環境は異なるものの、明治の女性たちのさまざまな物語を語りかけてきます。

清方は東京・神田生まれ、生粋の江戸っ子です。やはり美人画の巨匠で京都人の上村松園と較べてみると、衣装の好みがはっきり違います。

男女の違いもありますが、東西の違いがより大きいように感じます。で、どっちが好きかと言われたら、私は圧倒的に清方なんだよなあ。

歳を取るにつれ、自分の中の関東性(決して東京とは言わない、つか、言えない)というか、あずまえびす的な部分がより強くなってきたと感じています。

衣服の好み、味覚、生活習慣、年中行事、言葉の言い回し、歴史観…ことごとく箱根の関より向こうとは違う気がしてならない。

着物を着るようになってますますその感は強くなってきました。色柄やコーディネイト、着付けに至るまで、関西風にはなじめません。

先日、漫才コンビ「ナイツ」の塙宣之が書いた『言い訳〜関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』という本を読んで、うなずけるところが多々ありました。

関東芸人と関西芸人の違いを論じているんですが、そういや私は漫才も本場の関西より関東のほうが好きだわ。ナイツにサンドウィッチマン、U字工事とか。

(そう言い切ってしまうと、片岡仁左衛門と文楽好き、というのが説明つかなくなってしまうので、基本的に関東好み、くらいにしておきましょうかw)

ほぼ半世紀を経て鏑木清方に再会し、改めて感じたのがなんのこたあない、15,6の頃からベースがほとんど変わってない、ということだったんですね。

「歳よ、あの野郎をどうすべえ」という多摩弁のセリフで始まる『燃えよ剣』にシビレたあの日から、いや、青梅総合病院で生まれ落ちたその日から。

人は生まれ育った風土からは逃れられない、還暦を過ぎてそんなシンプルな事実につくづく思い至った次第です。

(追記・歴代土方歳三役者の私的ベストワンは山本耕史。元祖の栗塚旭もカッコいいけど関西人だ。今度映画化の岡田准一も関西だし、そもそも身長が…)

 

本コラムも今年の最終便です。皆様、よいお年をお迎えください。令和二年が平和で穏やかな年でありますように。

 

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