スタッフN村による着物コラム
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ぼーっと生きてたら今年ももう残すところあとひと月半になってしまいました。チコちゃんに叱られそうです。
先だっての東京展にお越しいただいた皆様、遠路はるばるの方もそうでもない方も、ありがとうございました。
N村さんですよね、コラム読んでます、とお声をかけてくださった方もあり、嬉しいやら照れくさいやら。
そんなこんなでバタバタして、更新が一ヶ月滞ってしまいました。申し訳ありません。今後ともゆるーく頑張って参りますのでよろしくお付き合いください。
写真は散歩の途中、空き家になってしまった近所のお宅の垣根で満開になっていた山茶花です。一句ひねりました。お目汚しご容赦。
山茶花や主なき垣に咲き零る
74.歌舞伎『平家女護島』鑑賞
ほぼ一年ぶりの歌舞伎です。と言っても相変わらず国立劇場専門で、いまだに新しい歌舞伎座には足を踏み入れてない私。
10月初め、天気は晴れ、最高気温25度超えの予報で、よっぽど単にしようかと思いましたが、ようやく訪れた着物ハイシーズン、頑張って袷にしました。
着物は久米島紬。ユウナ染めという色目で、ユウナという木の灰で染めたものだそうです。グレーと言うか、ちょっと光沢のある銀鼠色です。
さすがに暑かったですが、襦袢はサラシ胴のうそつきにして、肌襦袢(代わりのババシャツ)も省略。長襦袢よりなんぼか涼しい。
帯は韓国で買ったチョゴリの生地で仕立てたもの。ソウル在住の知人に東大門市場の問屋街にあるチマチョゴリの専門店へ連れて行ってもらいました。
ちなみにチマチョゴリは、ワンピースではなくチマとチョゴリが組み合わさったツーピース。巨大なスカート部分がチマ、短い上着がチョゴリです。
欲しいのは上着のチョゴリのぶんだけだというのをなかなかお店の人に理解してもらえず、通訳する知人も四苦八苦でした。
あのでっかいチマの生地まで買ったら着物ができてしまいます。なんとか説得してもらいましたが、裏地として赤いジョーゼット風の布がついてきました。
こちらはリバーシブルとして活用し、反対側は黒地が透ける赤の無地帯になっています。帯締め帯揚げも帯の柄に合わせて(本人の柄ではない)ピンクです。
バッグは京都の三条通のお店で買ったこぎん刺し風の手提げ、草履はちょい良さ目の印伝の鼻緒にエナメル台。浅草の長谷川商店で買ったもの。
国立劇場の庭に萩が咲いていたので、背景に入れてもらいました。偶然帯周りの色とシンクロしてます。
さて、今回の『平家女護島』は、多くの場合「鬼界ヶ島の場」のみを『俊寛』の外題で上演することが多く、9月の歌舞伎座では吉右衛門が演じてました。
その前後に序幕の「六波羅清盛館の場」と三幕目「敷名の浦磯辺の場」「御座船の場」をつけて通しでの上演は大変珍しい。
いわゆる『俊寛』はもう、仁左衛門を始め、九代目幸四郎、吉右衛門、十八代目勘三郎と、当代の名優で数々見てますが、通しは初めて。
去年の3月に、文楽の通しがあったのですが、時間の都合で別の演目を選択しました。あとで床本(上演台本)を読んでビックリ。
床本だけでもスペクタクルっぷりが伝わってくる面白さで、見なかったのをえらく後悔したものです。このたび歌舞伎で上演すると聞いて飛びつきました。
(去年このコラムで歌舞伎卒業宣言しましたが、それは仁左衛門追っかけの卒業です。これからは演目重視で見たいものがあれば見るってことで)
平清盛と俊寛僧都の二役を中村芝翫、俊寛の妻・東屋を片岡孝太郎、後白河法皇が中村東蔵、あとは弟子や息子たちの若手連中というやや地味な一座。
中村芝翫というと私なんかは先代の顔の長い女形のイメージで、いまだに橋之助と言ったほうがピンとくる。あー、あの橋之助が俊寛やる歳になったんだー。
見た中で一番若い俊寛かと思ったら、彼ももう53歳なのねえ。勘三郎なんか四十代でやってたもんね。そして長男が立派に橋之助になっていた。
今の芝翫を見るたび、ついつい思ってしまうのは、奥さんの三田寛子は偉いよなあってこと。男の子三人歌舞伎役者に育て上げ、自らも活発にテレビ出演、
ワイドショーのコメンテーターからEテレのレギュラー、そして亭主のスキャンダルには神対応(笑)。まさに梨園の妻の鑑、富司純子か三田寛子か、ですね。
そんなこともあってイマイチ威厳に欠ける現芝翫ですが、兄・福助の歌右衛門襲名が棚上げの今、名門成駒屋の総帥であります。ガンバれハッシー(笑)。
さて舞台の方は、御簾の垂れ込めた六波羅館。後白河法皇を中心とする平家打倒の企て「鹿ヶ谷の陰謀」が顕れ、鬼界ヶ島に流罪となった俊寛僧都、
その妻の東屋(孝太郎)が捕らえられ、連行されて来た。怒り心頭の清盛(芝翫)だったが、目の前に引き出された東屋の美しさに心を奪われる。
側妻として仕えるよう命じる清盛に、自分は俊寛の妻だと激しく拒絶する東屋。
俊寛の帰還は東屋の返答次第と、上臈たちに機嫌を取らせる清盛。
さらに重臣が、源義朝の妻で、今は清盛の愛妾となった常盤御前の例を引いて説得にかかると、東屋は常盤御前を不義者呼ばわりして夫・俊寛に操を立てる。
いずれ平家を滅ぼす義経の母・常盤御前ボロクソ(笑)。東屋は郎等の有王丸の名を呼びつつ、助けに来るのを待ちわびる。
そこへ清盛の甥・能登守教経(橋之助)が登場、清盛に逆らわず、貞女の道も立つ返答をと謎をかけ、その意を察した東屋は教経の温情に感謝して自害。
あっぱれ貞女と教経はその首を打つ。東屋の死を知った有王丸(福之助)は清盛の首を取ると叫びながら六波羅館に乱入する。
教経は血気に逸る有王丸を抑えつけ、主人のためにもここで無駄死にをするなと諭し、東屋の首を渡して立ち去らせるのだった。
能登守教経って、マイ・ベスト平家男子だったりするんですが、歌舞伎文楽ではたいていいいヤツとして出てきます。
平家物語では壇ノ浦で義経を間一髪で取り逃がし、敵の郎等を重石代わりに両脇に抱えて入水する大豪傑なんだけど、なぜか情に厚く知的な役になってる。
演じる芝翫の長男橋之助、いい若衆になりましたね。凛々しく爽やかな教経です。有王丸の次男福之助は元気いっぱいですがまだまだ練習芝居かな。
芝翫、孝太郎は立派な大歌舞伎だけど、芝翫はやっぱり私にとってはまだハッシーだな。巨悪、というにはいい人感が漂っちゃうのよ。
ところで有王丸は原典では鬼界ヶ島まで俊寛を尋ねて行く弟子で、なんとなく小坊主のイメージだったけど、前髪の荒若衆だったのでちょっとビックリ。
さて続いてはおなじみの「鬼界ヶ島の場」。蓬髪にボロをまとった俊寛が杖をつきつきよろぼい出てくる。芝翫はこっちのほうがしっくりくる。
よれよれの姿なのでつい誤解しちゃうけど、俊寛って爺さんじゃなくて、平家打倒を企てるくらいに元気な壮年なんだよね。まさに芝翫でちょうどいい。
俊寛とともに流された丹波少将成経と平判官康頼が訪ねてきて、成経が島の娘千鳥と恋仲になった話をすると、俊寛は喜んで祝言をあげようと言い出す。
山の清水を酒に見立てて三三九度を交わす中、沖合に大きな船が現れる。帝の中宮となった清盛の娘・徳子の安産祈願のための特赦が行われたのだ。
しかし上使・瀬尾太郎兼康の読み上げる赦免状に俊寛の名がない。清盛の俊寛への憎しみはそれほどまでに強く、俊寛だけを島に残すよう命じたのだ。
嘆き悲しむ俊寛に、もうひとりの上使・丹左衛門尉基泰が、清盛嫡男の小松内府重盛と能登守教経の温情で、備前国まで戻ることが許されたと告げる。
三人は千鳥を連れて赦免船に乗ろうとするが瀬尾が阻み、千鳥の同行を許さない。三人は船に押し込められ、千鳥は浜に取り残される。
鬼界ヶ島に鬼はなく、鬼は都にありけるぞやと嘆き悲しみ、果に自殺しようとする千鳥を、船から飛び出した俊寛が押し止める。
妻の死を知った俊寛は、もはや都に戻る意味はない、自分が島に残るから千鳥を乗せてやってくれと懇願するが、瀬尾は頑として聞き入れない。
俊寛は瀬尾の佩刀を奪い、斬り殺す。上使殺害の罪を犯した上は島に残らざるをえないと主張する俊寛の意を汲んで、丹左衛門は千鳥の乗船を許す。
やがて船は出て行き、ひとり残る俊寛、ちぎれるほど手を振り、思い切っても凡夫心、浜辺を走り、崖をよじ登り、おおーい、おおーいと叫び続ける…
船は水平線の彼方に消え、呆然と佇む俊寛、で、幕であります。あまりにも有名な名場面ですね。
ゲップが出るほど見たこの芝居、申し訳ないがほとんど寝てた。千鳥が一人嘆き悲しむあたりで目が覚めた。なんだかひょろ長い千鳥だなあ。
演じる坂東新悟はあの長身でいかつい坂東彌十郎の息子。それが女形だと聞いてどんなもんだろうと思ってたけどやっぱりデカイ。
顔立ちは細面であまり親父さんには似ず、声も可憐で悪くはないが、やたら手足が長い。島育ちの海女というワイルドな役だからまあアリかなあ。
玉三郎も女形としては背が高く、背を盗む(低く見せる)のに苦労したそうだけど、この子はもっと苦労しそうだなあ。膝や腰を傷めないようにね。
丹左衛門は橋之助二役。こちらも爽やかな捌き役がよく似合い、先が楽しみな立役です。
芝翫の俊寛はこれから何度も演じて持ち役にしていくのでしょう。これまで見てきた先輩たちと較べるのはまだちょっと気の毒かな。
次は初見の「敷名の浦磯辺の場」。備後の国までたどり着いた赦免船。俊寛が赦免されたと聞いて有王丸が迎えに来る。
しかし康頼、成経、千鳥から事の次第を聞いて絶望した有王丸。切腹しようとするのを千鳥たちの説得で思いとどまる。
そこへ清盛が後白河法皇を伴い、厳島神社参詣に向かう御座船がこの浦に入るとの知らせ。丹左衛門は清盛へ報告に向かうことにするが、問題は千鳥の存在。
清盛に知られると赦免がおじゃんになるかもしれないと、丹左衛門は千鳥を有王丸に託し、陸路で都へ向かわせる。
この場は若手ばかりで、説明的な場面でもあり、特に印象に残るものはありませんでした。
続いて「御座船の場」。船首に金色の竜頭を据え、色とりどりの几帳を並べた朱塗りの豪華な船が舞台いっぱいに登場。
乗船しているのはボロボロヨレヨレの俊寛から、絢爛たる衣装に身を包み、傲然とふんぞり返る清盛に扮した芝翫と、東蔵演じる上品な後白河法皇。
ゴッシーと呼ばれた大河ドラマ『清盛』での松田翔太の後白河が記憶に新しいですが、その前の『義経』の平幹二朗がブキミでよかったなあ。
赦免船を漕ぎ寄せ、丹左衛門が一連の報告をすると、清盛はなぜ俊寛を死罪にしなかったと叱責し、赦免船が離れると怒りの矛先を法皇に向ける。
平家のおかげで今の地位にあるのに、その恩を忘れて平家打倒を企てるとは言語道断、今回の厳島参詣の真の目的は法皇暗殺だと言い放つ。
そして清盛は畏れ多くも法皇を海に突き落とす。そのありさまを磯で見ていた有王丸と千鳥、千鳥はざんぶと海に飛び込み、抜き手を切って法皇を救う。
御座船の船子たちの攻撃を切り抜けた有王丸に背負われて法皇は危機を脱するが、清盛は怒り心頭で千鳥をひっ捕らえ、船に引きずりあげる。
責め苛む清盛に、千鳥は親同然の俊寛夫妻の仇と言い放つが、抵抗むなしく惨殺され、海へ投げ込まれる。
御座船に傲然とそっくり返る清盛、船は大きくグルーっと回り、その権勢は頂点に達したかに見えたが、波間から東屋と千鳥の怨霊がせり上がる。
二人の怨念に取り憑かれ、清盛は燃え盛る地獄の苦しみに悶えるのであった。
はい、なんとも不吉な終わり方であります。
うーん、しかし清盛の極悪っぷりは期待したほどではなかったなあ。やはり人間が演じる歌舞伎では、文楽の床本通りとはいかない。
だって床本だと、清盛は千鳥の頭を粉々に踏み砕くんだよ。で、千鳥の遺体から火の玉が飛び出して清盛の頭上を車輪のごとく舞い眩くとある。
六波羅館の場でも、教経が清盛に東屋の首を突きつけて、「あんたはこの女の顔だけ好きなんだから、顔持ってきましたよ」と言い放つ、その場面はなかった。
芝翫もどこかいい人っぽさが抜けきれない、というか、歌舞伎では役者をあまり悪く見せたがらないので、どうしても表現がソフトになる。
やっぱ近松は文楽だな。今度文楽で通しがあったら、迷わず見に行こう、と思った次第でした。
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