スタッフN村による着物コラム
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先月は雨が降らなくて困っているとお伝えしましたが、その後様相は一変。
8月に入ってから梅雨入りしたようでw、毎日どこかの時間帯に雨が降り、観測史上連続降雨日最長記録に並んでしまいました。
畑は水浸し、作物は腐る、梅干しは一度出した物をまた樽に引っ込めて八月末にやっと完成。散々な夏ですが、一つだけ元気なものがありました。
珍しく晴れたある朝、午前五時に目が覚めて、庭に出てみると、庭下の石垣を朝顔がびっしり覆っています。
零れ種をほったらかして、芽が出て伸びるままにしておいたものですが、みごとな乱れ咲きとなりました。斑入りの花と、
単色の花。
もとはピンクだった花が青花と交雑して水色になっちゃったのもあります。
この石垣、庭木に隠れて外から見えづらいのが難点。早朝にだけ現れる秘密の花園、ってとこでしょうか。
62.茨城紀行
このコラムでもしばしば登場する、着物仲間のTさんが、ご主人の実家のある水戸に家を建てて6月に転居しました。
なんとか落ち着いたので遊びにおいでとご招待を受け、泊まりがけで新居拝見に行くことに。そこではたと思い当たったこと。
関東に生まれ育った私、実は茨城県にはこれまで一度も足を踏み入れたことがなかったんですね。東北本線も東北道も通ってないので、かすったこともない。
いやー、意外でした。茨城出身の友人も多く、ひよっこも毎日見ているんで、なんとなく行ったことがあるような気がしてたんだなあ。
東京駅から常磐線に乗り換え、千葉県を過ぎて茨城に入ると、たしかに見たことのない風景が広がっています。
延々と続く水田、ところどころ蓮の畑、はるかかなたに筑波山らしい山影を望むものの、山らしい山がない! 関東にこんな風景があったんだあ。
水戸駅までご主人の車で迎えに来てもらい、まずはちょこっと観光しましょうということで、ご夫妻もまだ行ってないという弘道館へ。
弘道館は、九代藩主・烈公こと徳川斉昭が藩士子弟の教育のために建てた水戸藩の藩校で、現存する正門・正庁、至善堂は国の重要文化財だそうです。
烈公とはあの十五代将軍徳川慶喜(幼名七郎麿)の父であり、幕末史の中でなにかとお騒がせな有名人。私はあんまり好かんけど。
新暦お盆あけの平日とあって、見学者も少なく、静かに見学できました。つか、うるさいのは我々だけ。
奥まった部屋の畳の縁をふと見ると、うわあ、三つ葉葵の御紋が織り込んであります。踏んだら打ち首か!?
大政奉還し、将軍職を辞した慶喜の謹慎の間だそうで、そんな歴史的空間にずかずか入り込めてしまうのがなんか不思議な感じです。
水戸と言えば有名な偕楽園は、Tさんちのお散歩コースだそうで、朝6時開園で入場無料だから、明日の朝散歩に行こうということになり、新居へ。
まだ完全に片付いていないので、写真はNGでしたが、夫婦二人住まいということで広々としたリビングのある平屋建て。
ツインベッドのゲストルームもあり、客としては快適快適。広いロフトもあるので、その気になれば10人くらい楽々泊まれそうです。
飲み友達でもあるTさんと、帰りの電車を気にすることもなく、心ゆくまで飲んだくれても、そこは準高齢者たち、翌朝5時半には全員起床。
コーヒーで気合いを入れ、偕楽園へお散歩です。車で千波湖まで行き、そこから広大な公園をひたすら歩くのはなかなかハード。
昨日電車の中から満開の蓮池を見つけたので、行ってみようと調べると、偕楽園の外にある歴史資料館の池でした。
七月中旬の午前6時過ぎ、蓮の花を観賞するにはこの上ないタイミング。しかも池の周りに柵などなく、直に花に触れることが出来ます。
こんなアップ写真をガラケーで撮れる距離ってそうないよ。ちなみに蓮の花が開くとき、ポン!と音がするというのはウソです(笑)。大変静かでありました。
ご主人は車を取りに行き、我々は徒歩で帰宅。さて、茨城観光どこへ行きたい?と訊かれたので、鹿島神宮かなあ、やっぱり、ということで決定!
こちらもピカピカの新車・SUBARUインプレッサに乗り込み、一路鹿島神宮へ。彼の地は千葉県との境で、水戸からは車で一時間半ほどひたすら南下。
鹿島灘を左手に見ながら一般道を快走。あー、海なんか見るの何年ぶりだろ。道路の両脇は延々と広がるサツマイモ畑とメロンのハウス。砂地だからかな。
メロン直売所の看板が次々現れますが、収穫期は終わってるようで、みんな閉まってる。Tさんはメロンにご執心のようですが残念!
次々現れると言えば潰れたレストランやドライブインの廃墟。営業中の店はほとんどない。
メロン農家のバカ息子が始めたはいいけどすぐ潰れ、解体費用がかさむんでほったらかし、という筋かな? 土地余ってるし。
広々とした視界に、鹿島アントラーズの聖地・カシマスタジアムがぬっと現れる。サツマイモ畑に浮かぶ巨大な宇宙船のよう。さあ、鹿島に到着です。
参道を車でゆるゆる進むと、駐車場の呼び込みおばちゃんが、隣接のおそば屋さんで食事をすればタダ、というのでそこに決定。
鳥居脇の別のおそば屋さんの看板を見ると「創業室町時代」の文字が。そりゃアバウト過ぎ。室町時代ってwikiによれば235年間あるんだぜ。
創業天保何年とか嘉永何年とかってよくあるけど、室町時代って(笑)。まあしかし嘉吉だの明応だの、室町時代の年号ってマイナーだからな。応仁だけ有名。
夏休み前の平日ということもあり、境内には人もまばらで、森閑としています。本殿は徳川初期の建造とあって、実に華やかな東照宮スタイル。国の重文。
参道は樹齢千年級の巨樹に囲まれ、人の大きさに較べるとサイズ感がおかしくなりそうな光景。このあたり一帯の樹林そのものが天然記念物なんだそうな。
参道のあちこちにBS時代劇『塚原卜伝』撮影地の案内が。堺雅人主演のなんだか珍妙な時代劇だったけど、それが数年後真田幸村になるとは誰ぞ知る。
境内をひとめぐりしてはたと気付いた。日本中の観光地に溢れかえる外国人観光客がいない! こないだ浅草でびっくりしたばかりなので余計にそう思う。
静かな観光を望む人にはここは穴場かも。茨城県観光協会としてはもっと外国人を呼び込みたいだろうけどね。
父親にお土産の健康長寿のお守りを買って(来年90歳の人に長寿のお守りもないもんだが笑)、門前のそば屋で昼食。磯海苔がたっぷりかかってて旨かった。
さて帰路は内陸側の霞ヶ浦づたいに水戸へ向かうコース。その前に水郷・潮来へ寄り道です。潮来と言えば潮来の伊太郎ちょっと見な〜れば〜♪だよね。
はい、潮来の伊太郎の銅像です。歌碑もあります。そしてなんと、橋幸夫ヒットソングのジュークボックス? ジューク石?が。
ちょっと見な〜れば〜の『潮来笠』、B面の『伊太郎旅唄』はわかるとして、『恋のメキシカンロック』『いつでも夢を』…あと一曲なんだったかな。
ボタンを押すと歌が流れます。私の選んだのはもちろん、昭和のお気楽ソングの代表『恋のメキシカンロック』!あーなんてお気楽な歌なんだ。
ところで子供の頃からなんで唐突にメキシカンロック?と不思議でならなかったんですが、ある懐メロ番組でこの曲の発表年度を見て納得。
1967年、すなわちメキシコオリンピックの前年なんですね。東京五輪の熱さめやらぬ日本で、次期五輪開催のメキシコブームがあったんじゃないかと。
私は小学校に入ったばかりだったので、そこまで気がつかなかった。ちなみに『いつでも夢を』に吉永小百合の声が入ってるかどうかは確認し忘れました。
潮来と言えばもう一曲、潮来花嫁さんは〜潮来花嫁さんは〜ふ〜ねで行〜く〜♪『潮来花嫁さん』の碑もあります。もちろん歌も流れますがこの一曲のみ。
なんだか昭和歌謡史の旅になっちゃったけど、再び車に乗り込み、霞ヶ浦沿いに北上開始。広い、広いぞ霞ヶ浦。こちら側は水郷地帯でどこまでも続く水田。
とおーくに筑波山を望むのみで三百六十度山なしビルなし坂道なし。自転車で走ったら気持ちよさそう。
霞ヶ浦の真ん中へんにある道の駅たまつくりに立ち寄り、今宵のアテに茹で上げの川海老やワカサギの茹で干しなんぞを買い込み、帰宅後は今夜も宴会です。
翌日は夕方までに地元に着きたいし、茨城観光も堪能したので、早めに東京へ戻ることに。それだと少し時間が余るので、美術館でも寄ろうとネット検索。
東京駅から徒歩五分の三菱一号館美術館でダ・ヴィンチとミケランジェロの素描展をやっている。素描展ならそんなに混んでないだろうとこれに決めました。
三菱一号館は前にも河鍋暁斎展で行ったことがあるけど、ジョサイア・コンドル設計による明治時代の洋館で、建物自体ステキなところ。
いやこれ、正解でした。素描なので展示品自体は小ぶりですが、当たり前だが腰を抜かすほど巧い! そしてイマドキの美術展としては非常にすいている!
両巨匠それぞれ対象へのアプローチが違うので、非常に興味深い展示でした。
素描や彫刻のひな形からは、完成作品ではなかなか見えてこない巨匠の人間性が窺い知れます。ダ・ヴィンチのオタク性とかミケランジェロの粘着性とか。。
一言で言うなら、理想の人体を追求するダ・ヴィンチ、人体表現の極限を目指すミケランジェロとでも申せましょうか。
9月24日までやってますから、興味のある方、お近くまでお出かけの方はぜひご覧になることをお勧めします。
茨城(南部)観光とダ・ヴィンチとミケランジェロ。なんと濃い二泊三日でありましたことか。
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