スタッフN村による着物コラム
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明けましておめでとうございます。
年末年始にも大火事や地震やテロや大雪があり、心傷む光景を目にしながらの新年となりました。遅ればせながら被災された皆様にお見舞い申し上げます。
欧米の政情不安、埒の開かない中東情勢、東アジアの政治的混迷、不気味な株価高騰、ひっきりなしに流れる地震速報…
今年もなにかと心配事の絶えない一年だと思いますが、とりあえず私の周囲は暖かく穏やかなお正月でした。
今日現在この冬最大の寒波に覆われている日本列島、北から南から大雪の映像が報じられていますが、ここ関東南部ではぽっかり冬晴れ。
とはいえ毎朝氷点下の冷え込みの中、裏山の小梅が早々と花をつけました。
冬将軍の圧政に抵抗するけなげなレジスタンス戦士が、春はそう遠くない、と告げているようです。
56.文楽『仮名手本忠臣蔵』鑑賞
新年第一回目は旧臘ネタですいません。昨年から今年は国立劇場開場50周年ということで、大きな企画が目白押しです。
例年12月の文楽は若手公演なんでパスしてますが、今回はオールスターの『仮名手本忠臣蔵』通し上演とあっちゃ、行かざあなるめえ。
この大作、大劇場の方では3ヶ月がかりで歌舞伎の通し上演をやってますが、文楽は1日でやっちまおうというのですから大変です。
第1部が大序から六段目まで、第2部が七段目から十一段目まで。第一部は午前10時半開演。私なんか間に合う訳がない。
開き直ってまあ四段目の判官切腹くらいに間に合えばいいやと思いつつ、それでもちょっと頑張ってみようと、着物はいつもの手抜きコーデ。
頂き物の韓国製なんちゃって大島の着物に、祖母譲りの八寸を自分で直した半幅帯、イマイチだったなんちゃって紅型の着物を仕立て直した羽織。
あかしゆりこさんの帯留にカレンブロッソのカフェ草履は晏で購入。
これなら20分で着られます。バスを待たずに駅まで車を飛ばし、その甲斐あって、二段目のラスト近くには到着できました。
忠臣蔵のストーリーをいまさら解説する必要もないでしょうが、『仮名手本』は江戸時代の話を南北朝時代に置き換えたりして、史実とはだいぶ違います。
映画やドラマではおなじみ吉良上野介(仮名手本では高師直)が浅野内匠頭(同じく塩谷判官)を勅使接待の指南役としていびり抜き、
恨みに思った浅野が殿中で刃傷に及び、身は切腹お家は断絶、大石内蔵助(同・大星由良助)以下47人が艱難辛苦の末仇を討つ、という話です。
まあ、作品によっては吉良が悪いヤツじゃなかったり、浅野がメンヘラだったり、幕府批判のための仇討ちだったり、いろんな解釈がありますけど。
仮名手本では発端が色恋沙汰なんですね。高師直が塩谷判官の妻・顔世御前に横恋慕し、袖にされたのを恨んで判官に絡み、かっとなった判官が刃傷に及ぶ。
師直との間に遺恨があったのは判官の同僚の桃井若狭介で、こっちが師直を斬る気満々だったのが、家老の加古川本蔵の機転で回避する。
で、師直に斬り掛かった判官を羽交い締めにして止めるのがこの本蔵。その結果を悔いて、浪人した大星のもとをある決意のもとに訪れるのが九段目。
まあ、それはまたあとの話なんで、第一部の六段目までは師直の横恋慕と、もうひとつ、お軽勘平というバカップルの話で展開していきます。
忠臣蔵ものの解釈がすでに出尽くした感のある現代において、仮名手本忠臣蔵をひとつの解釈と考えれば、この大古典もかえって新鮮味を感じます。
そもそもこの大作中、最重要ヒロインとも言えるお軽という女、顔世御前の侍女なんだが、名前の通り頭も軽い。
師直が顔世に送った恋歌の返歌(もちろんNO!)を届けるため、貴人の接待でてんやわんやの殿中にわざわざやって来たのは、恋しい勘平に会いたさ見たさ。
顔世がなにも取り込み中の今日でなくてもと言うのを、なんのこんな歌の一首や二首、と無理矢理もぎ取って来たようなもの。
勘平も勘平で、返歌を取り次いだあとは、お軽に袖引かれるまま、仕事も放り出して物陰でいちゃいちゃ事に及んだ(と思われる)。
んな事やってる間に、よしゃあいいのに届けちまった返歌を見た師直がキレて猛然と判官に絡み、切ったはったの大事件。
騒然とする館の裏門に慌てて駆けつけた勘平、すでに門は閉ざされ、主君のもとにも戻れずに立腹切ろうと刀に手をかけるが、そこへお軽がとりすがる。
今死んだところで誰が褒めてくれようぞ、ひとまず私の親里へ逃れ、時節を待って大星様へお詫びの段、と、二人でお軽の実家へ旅立って行く。
どうです、バカでしょう? この二人。全ての原因を作ったのはお軽で、勘平はお軽に言われるがままのお間抜け武士。
勘平さんに会いたいばっかりに届けなくてもいい手紙を届け、勘平さんと夫婦になりたいばっかりに、武士の一分も捨てさせて実家に転がり込む。
文楽(ないし歌舞伎)の代表的な悲劇のカップルとして誰でも知ってるお軽勘平の実態はこんなことなんです。もうほとんど喜劇ですよね。
このお軽文使いの段、裏門の段はあまりの間抜けっぷりにか、歌舞伎では上演されません。代わりに「道行旅路の花婿」として美しい舞踊で表現されます。
どちらも天下の花形役者が演じる役ですから、バカに見えちゃあ困るんでしょうな。そこいくとこっちは人形なんで容赦ないです。
判官は即日切腹と決まり、国元から駆けつけつつある大星を待ちわびる。「由良助はまだか」「未だ参上つかまつりませぬ」の有名なやり取り数度、
ついに待ちかねて九寸五分の短刀を腹に突き立て引き回すところに駆け込む大星。判官は「この九寸五分は汝へ形見」と血刀投げ出し息絶える。
即日屋敷を追い出される家臣一同、ぶっちがいの青竹に閉ざされた門前で大星は一人、形見の九寸五分で提灯の紋章を切り抜いて懐に納め、
代々仕えた塩谷屋敷を後にする。この間10分もあろうか、舞台は無音。三味線も浄瑠璃もなく、大星の人形だけが演じる無言劇。
背景の書き割りがばたんばたんとめくれて、さらに遠景となり、屋敷から遠ざかって行くのを表現。大夫が突然「はったと睨んでぇぇー」と叫び、ちょーん。
歌舞伎でもここは無言ですが、判官の無念、大星の怒りを深ーく表現する名場面です。ちなみに、六段目までの間で、大星メインの段はここだけ。
後半でも七段目だけです。茶屋でチャラチャラ遊びながら、実は仇討ちの準備を着々と進めてた、っていうアレね。
忠臣蔵の主人公は大石内蔵助(大星由良助)だと思いがちですが、仮名手本は違うのよねー。そこがま、面白いんですが。
さて五段目はがらりと場面変わって夜の山崎街道。お軽の実家に身を寄せた勘平は、しがない猟師に身をやつし、狩りの途中で大雨に降られ難渋中。
そこへやってきたのがかつての朋輩千崎弥五郎。勘平はこれ幸いと路上でべらべら言い訳を始め、さらには仇討ちの企てに加わりたいと千崎にかき口説く。
仇討ち計画は極秘中の極秘、千崎はあたりをはばかり、身の言い訳にまぎれて企ての連判のと、左様な噂かつてなし、とつっぱねる。
勘平のアホさ加減にあきれつつも、さすがに哀れと思った千崎、塩谷判官の石碑を建立するため、御用金を集めている、と企てをほのめかす。
そっか、お金があれば参加できるんだー、と理解した勘平は、お軽の親に話せば、田畑売っても金整えてくれるはず、と千崎に請け合い、二人は別れる。
実はお軽とその両親は、なんとか婿殿をもとの侍にしてやろうと、田畑ならぬお軽を身売りして内緒の金策中。
祇園の茶屋で半金の五十両を受け取った親爺さんはまさにこの山崎街道を家路に急ぐ。そこへ現れた強盗の定九郎、無慈悲にも親爺を刺し殺し、金を奪う。
思わぬ大金ににんまりする定九郎を銃弾が襲い、あえなく絶命。間抜けなビギナー猟師の勘平が、猪と間違えて撃ち殺したんである。
勘平は猪でなく人間だったことを知って慌てふためくが、懐の五十両に気付くと「天の与え」とかほざいてネコババし、金を千崎に届ける。
カラスカアで夜があけ、お軽の実家では戻らぬ親爺と婿殿を案じる母と娘。そこへ祇園の茶屋からお軽の身柄を受け取りに来る。
せめて親爺殿が戻ってからとすったもんだの中に勘平帰宅。金は(ネコババしてw)できたし、親爺殿も戻らぬにお軽は渡せないとつっぱねるが、
昨夜親爺殿に確かに五十両、この着物と共布の財布に入れて渡したと言われてギクリ。手元のネコババ財布と男の着物を見比べて、こりゃ間違いない。
昨夜猪と間違えて撃ち殺したのは親爺殿であったかとさあもう冷や汗三斗、しどろもどろでお軽を送り出す。
不審がる老母のもとに、猟師仲間が親爺殿の遺体を担ぎ込み、勘平絶体絶命。
こなたが殺して金取ったのじゃな、ここな人でなし、鬼よ蛇よと老母は勘平の髻掴んで引き倒し、大騒ぎの中に千崎弥五郎と原郷右衛門が訪ねて来る。
取り込み中みたいだからと遠慮する二人に「いやもう些細な内証事」とほざいて紋付に着替え、両刀たばさんで二人を出迎える。
大星が、貧しい勘平が五十両の大金を届けたことに感じ入り(ホントは怪しみ)、不忠不義のその方の金は受け取れぬ、と金を返して来たという。
それ見たことかと婆さんは二人に勘平の悪事を訴える。二人は怒り、嘆き、亡君の恥辱とまで言われた勘平はとっさに短刀を腹に突き立てる。
苦しい息でなおくだくだ言い訳を並べる勘平に、千崎が遺体の傷を検めると「鉄砲傷には似たれども、これは刀で抉った傷」、婆さんも勘平もビックリ。
そういや来る途中に見た、鉄砲で撃たれた旅人の死骸、ありゃ裏切り者の斧九大夫の息子で、山賊やってる定九郎だったなあと郷右衛門。
はからずも舅の仇を討ったことになると、郷右衛門は内緒の仇討ち連判状に勘平の名を加えてやり、はらわた掴んで血判を押させる。
勘平は大喜びで死んで行くが、可愛そうなは残る婆さん。夫も婿も死に、娘は身売り(実はお軽に兄がいるのだが、これも七段目で仇討ちに加わってしまう)。
いつも六段目を見るたびに、ひたすらこの婆さんに同情を禁じ得ない…。
さて長々とストーリーの説明が続いてしまいましたが、この勘平という男がいかにすっとこどっこいであるかを証明したかったもんで、つい、ね。
家中みんなから不義(武家では職場恋愛御法度)不忠者と思われてるのに、謝ればなんとかなると思ってる甘さ、舅姑への上から目線、
極秘の計画を大声でしゃべくる思慮のなさ、ネコババした金で仇討ちに参加できると思う虫の良さ、思い込みと早とちりで腹を切っちゃう軽率さ。
このバカ侍のどこをそんなにも江戸の庶民は愛したんでしょう。案外「侍って
バッカじゃね? こちとら庶民でよかったあ」と笑ってたんじゃないのかな。
勘平があんまりバカなので、大好きな片岡仁左衛門がこの役の時はすごくイヤでした。本人も好きじゃないそうな。ま、勘平は音羽屋に任せておこうよ。
それから、今回の公演でむむむ、と思った点。本来文楽では勘平がわざわざ紋付に着替える演出はなかったはず。
歌舞伎の六段目は、五代目尾上菊五郎の演出が事細かに張り巡らされ、もはや様式美に達してまして、勘平が(こっちは帰宅してすぐ)紋付に着替えたり、
二人侍を迎えるところでは刀の鯉口を切り、刀身を鏡にして髪を整えたりと、キザな所作がついていて、今回はやったら人形にそれをやらせてました。
まあそれによって勘平の軽薄さがより際立つわけで、まさかそれを狙った訳でもあるまいと思うんですが。
そういえば定九郎も、以前見た時はむさ苦しい山賊スタイルだったと思うのですが、今回は歌舞伎風に黒紋付の着流しでした。
これも落語で有名な初代中村仲蔵が、割り振られたこのつまらない役をなんとかカッコ良く見せようと工夫した演出。
歌舞伎を見慣れた人はこの方がしっくりくるのかもしれないけど、文楽が歌舞伎に媚びなくたっていいと思うのよね。
まして江戸時代や明治時代に工夫された演出を今さら取り入れたって、ねえ?
私は、文楽は文楽としての矜持をしっかり持ってほしいと思ってます。今回の演出はハンターイ!
文楽オールスター出演とはいいつつ、最近名人上手が次々と舞台を去る中、世代交代の真っ最中でもあり、とくに印象に残った人はいませんでした。
来月は『曾根崎心中』を観に行きます。おおっ、というような大夫、三味線、人形がいるといいな。
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