スタッフN村による着物コラム
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早いもので、今年ももう半分過ぎてしまいました。
花の季節が終わり、夏から秋にかけて実りの季節に入ります。
我が山里のメインである梅は、今年開花してから寒い日が続いて、成り具合はイマイチですが、ささやかに梅酒や梅干しを漬ける分には十分そう。
梅の収穫は梅雨の雨に当たってから、といわれているのでもう少し先ですが、
その前の小さな楽しみが木イチゴです。
裏山に勝手にはびこってるのをちまちま摘んでは冷凍し、冷凍保存袋いっぱいに貯まったら(1キロくらいになります)ジャムにするのです。
タネが多くてそれほどウマいもんじゃありませんが、色が綺麗なのと、なにより「裏山の木イチゴで作ったジャム」っていう物語が気に入ってます。
子供の頃読んだスプーンおばさんや赤毛のアン…に出て来たかどうかはともかく、なんかそれっぽい気分にさせてくれる「裏山の木イチゴのジャム」です。
51.カラヴァッジョと黒田清輝
晏の東京展でお会いした近藤ようこさんに、上野の東京国立博物館で開催中の黒田清輝特別展へのお誘いをいただきました。
ちょうど上野では東京都美術館で伊藤若冲展、国立西洋美術館でカラヴァッジョ展が開催中。どっちかは見ようと思っていたので、はしごすることに。
桜の季節も終わったゴールデンウィークのちょっと前、あまり人出が多くなさそうな平日、コラムネタ作りなので着物で出かけました。
雲一つない晴天で、4月なのに暑いくらいのこの日。川越唐桟にバティックの帯、ポリ絽の羽織を着ましたが、羽織は要りませんでしたね。
近藤さんとは黒田展の入り口で待ち合わせ、その2時間前にまず西洋美術館のカラヴァッジョ展へ。
いやあ、若冲展はニュースなんかで取り上げられるたんびにもの凄い人出らしいので始めから敬遠しておきました。
その後見に行った友人の話では、入場までに2時間以上並び、絵はがき買うのにも40分並んだそうです。若冲人気恐るべし。
カラヴァッジョのほうはチケット売り場で並ぶこともなく、すいすいっと入場できました。写り込んでいるオジさんは無関係。
こちらもその後西洋美術館の建物がル・コルビュジエ作品ってことで世界遺産に登録勧告されたとかで、今頃どっと混んでるかも。
カラヴァッジョは16世紀末から17世紀初頭のイタリア人。38歳で亡くなった彼には60点ほどの真筆が現存するのみ。
画家が亡くなるまで手元に持っていたという『法悦のマグダラのマリア』が2014年に発見され、今回世界に先駆けて公開されるというのが目玉です。
カラヴァッジョは酒飲みで乱暴で喧嘩っ早く、絵を描いてなければただのヤクザか?という男で、ついに殺人犯として逃亡中に病没したそうな。
いっぽう絵画においては、ルネサンス以降様式化してしまった宗教画に、リアルでドラマチックな描写と、極端なほどの光の効果を持ち込み、
近代絵画の創始者の一人に数えられる大画家でもあるのです。
彼の追随者は「カラヴァジェスキ」と呼ばれ、ジョルジュ・ラ・トゥールやフェルメールなどもその影響を大きく受けているのだとか。どうだエラいのだ。
そういう破天荒な人生を送った男の描いたものですから、なんつうか非常に物騒な絵で、部屋に飾っておきたいようなものじゃありませんな。
ポスターにもなっている『バッカス』や『果物籠を持つ少年』『トカゲに噛まれる少年』(タイトルからして物騒だw)など初期の作品は、
丸顔で団子鼻のぶちゃいくな、明らかに同じ人物ですが、これらは自画像らしいです。モデル雇うお金がなかったのかケチなのかナルなのか。
背景はほとんどなく、その代わり手に持つ果物やワイングラスやガラスの鉢などが超リアル。ガラスの映り込みまで克明に描かれてます。
後期になるほど光の方向が強調され、『洗礼者ヨハネ』という作品なんか、人物の顔は斜め下を向いて陰になり、表情さえわかりません。
で、『法悦のマグダラのマリア』ですが、この絵、物騒きわまりないですね。
女の顔はほとんど陰になってますが、青ざめた肌に唇は紫、半眼の目尻からは涙が一筋、鼻は上を向いてあんまり美人じゃない。
手の組み方も首と肩の位置関係もなんだかヘン。あ、他の絵でも首と肩の位置がおかしいのがあります。胸から腹にかけてもなんだかよくわからないですね。
バロックの巨匠のデッサン力を私ごときがうんぬんするのもナンですがw。
でもこの鬼気迫る表情、新聞の解説ではこの女、死にかかってると書いてありました。画家が死ぬまで手放さなかったという、何かがあるんですね。
展示された51点の中で、カラヴァッジョの真筆は11点。あとはいわゆる「カラヴァジェスキ」たちの参考作品。
やっぱり真筆は群を抜いて物騒です。『メドゥーサ』なんて生首からピューピュー血が吹き出てます。個人蔵だそうですが、部屋に飾るのか?これを。
追随者の作品はそれなりでしかありませんが、中に私の好きなジョルジュ・ラ・トゥールが一点ありました。日本の美術館の所蔵でした。へへ、もうけ。
私の前を歩いていた老夫婦、「斬首」というテーマのコーナーで、延々と並ぶ生首絵を前に奥さんが「やだあー」と旦那さんの陰に隠れちゃった。
カワイかったけど、おかーさん、来る美術展を間違えたね。黒田清輝展ならこんなコワい思いは絶対しないからね。
さて、肉汁したたるステーキを食べた後のように胸焼けしながら、上野公園をさらに奥へ、待ち合わせの東京国立博物館(東博)に。
東博は、本館、表慶館、平成館など、ぐるりと塀に囲まれた6つの建物の総称で、それぞれの館がいろんな展示をしていて、一日中楽しめそう。
写真のドーム状の建物は表慶館。黒田清輝展は本館の左奥にある平成館が会場です。平成11年開館の最も新しい建物。こちらも適度にすいていて誠に結構。
今年生誕150年の黒田清輝は薩摩藩士の家に生まれ、伯父の子爵家の養子となって明治の中頃にフランスへ留学。
当時全盛の印象派の影響を受けて帰国し、日本の洋画界に新風を吹き込みます。
そして東京美術学校(今の東京芸大)の教授となり、日本の美術教育の基礎を築きます。晩年は子爵家を継いで貴族院議員にもなります。
どうです、近代絵画の創始者たるカラヴァッジョとは対照的な、栄光に満ちたこの人生。しかしその作品は…おいおいたどって行きましょう。
最初は薩摩閥のエリート子弟として、法律を学びに留学したんですが、パリですっかり絵画にかぶれちゃって、画家を志すことを決意、
古典と印象主義の折衷的な「外光派」といわれるラファエル・コランに師事します。そもそもそれが間違いのもとですなw。
コランは黒田を始め、その同志・久米桂一郎や彼らの後輩の師として日本ではそれなりに知られてますが、当のフランスでは全く忘れられた存在だそうな。
コランの代表作と言われる『フロレアル』が参考展示されてましたが、これがまあキレイなだけのつまらん絵。これを師と仰いでしまったか、黒田君…。
外光派といいつつ、明らかに室内で描かれた裸婦がわざとらしく草原に横たわり、写真館で撮った写真か、コラージュみたいなリアリティのなさ。
厳格なアカデミズムでもなく、印象派のチャレンジングな表現もない。でもま、ぽっと出の日本人留学生にはわかりやすかったんでしょうね。
とはいえ、黒田の初期作品は、レンブラント風の自画像あり、モネ風の風景画や静物画あり、ルノアール風の婦人像あり、ミレー風の農村風景あり、
いじらしいほど貪欲に、あらゆるテクニックを吸収しようとしています。
そりゃそうでしょうな。二十歳そこそこで400年からの歴史を持つ西洋絵画の大海原に放り出されたんですから、
あれもステキ、これもカッコいいと、目移りもするでしょう。押し寄せる刺激に手が追いつかない、そんな印象を受けます。
そして、『読書』(パンフ右参照)がサロンに入選し、画壇デビュー。
鎧戸から漏れる光を一所懸命表現していて、初々しいですよね。モデルのマリア・ビヨーは黒田の恋人だそうです。
しかし帰国と同時に別離なのはご多分に漏れず。まったく明治の留学生ときたら、森鴎外も広瀬武夫もどいつもこいつも…w
そして意気揚々と帰国し、久米桂一郎と「天真道場」を開き、後進の指導に当たります。
しかしパリのサロンで入選した裸婦像『朝妝』(焼失)を、内国博覧会に出品すると、女の裸絵は公序良俗に反すると社会問題にまで発展。
その後も『裸体婦人像』の展示に際しては、下半身に布を掛けられ(「腰巻き事件」)、社会の無理解に悩みます。
このあたりは一ノ関圭さんの漫画『裸のお百』に詳しいので、興味ある方はご一読を。
しかし東京美術学校に新設された西洋美術科の教授となり、公務に追われるようになると、だんだん作風が変わって行きます。
誰でも知ってる『湖畔』(パンフ左参照)はこの頃の作品ですが、初期の『読書』と較べてみて下さい。土産物屋の絵はがきみたいでつまんないでしょう?
こんなつまんない重要文化財見たことないw。なんか日和っちゃったんですかねえ。いかにも日本人ウケしそうな構図、題材、モデル、筆致、色彩…
この頃のエラいさんの肖像画も何点かありました。「フツーに描けよ、フツーに」と言われたんでしょうか、どれも実につまんない絵です。
そして文展(文部省美術展覧会の略)の開設、審査委員となり、帝室技芸員、帝國美術院長、貴族院議員を歴任、58歳で亡くなります。
公務に追われる後半生の作品はほとんど軽いスケッチばかり。明確なテーマを持つ構想画を目指していた黒田としては忸怩たる思いがあったでしょう。
最後の展示室には黒田のもう一つの代表作で重要文化財の『智・感・情』だけが展示されています。
これは『湖畔』と同じ頃に描かれ、パリ万博で銀賞を受賞しました。教科書にはよく『湖畔』が代表作として載ってますが、黒田としては心外でしょうな。
でもま、教科書に裸婦像三連発を掲載する訳にもいかんでしょうから、そのへんは仕方ないとしても、黒田渾身の作品であることには違いない。
しかし、パリから最新の技法を獲得して来た黒田の集大成が、平坦な金無地に、濃い輪郭線を持った日本画っぽい作風に落ち着いたのは皮肉というか、
日本に西洋画を普及させ、定着させようと奮闘した、黒田を含むすべての人々の苦—い思いがにじみ出ているような気がします。
参考展示として、教え子である青木繁の『日本武尊』がありましたが、困窮の果てに若くして死んだ青木の方が、よっぽど好き勝手に描いてたんでしょうね。
人殺しの汚名にまみれて死んだカラヴァッジョにしてもさ。なんだか見終わってしみじみ黒田は幸せな画家だったのだろうか、と思ってしまいました。
近代絵画の扉を開いたカラヴァッジョ、その300年後、鎖国を解いて間もない極東の島国から欧州を訪れた黒田清輝。
大きな川の源流と、その流れの末を見るような、合わせ技で非常に興味深い展示でありました。
あ、参考展示といえば、ジャン・フランソワ・ミレーの『羊飼いの少女』も。ミレーの作品の中では一番好きな絵。すっごくトクした気分です。
このあとまだまだ上野のお山散策を続けたのですが、それは次回に。いやー、上野のお山はむっちゃ楽しいワンダーランドですぞ!
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