スタッフN村による着物コラム
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いやー、おっでれえたのなんの。11月24日、雪っすよ、雪。
なんでも関東では54年ぶりの11月の雪だそうで、生まれてないとは言わないが、記憶にはありませんね。
写真でもおわかりかと思いますが、まだ紅葉も終わらないのにこの雪。辺り一面銀世界っす。
相次ぐ自然災害やBrexit(イギリスのEU離脱)、トランプ当選、朴槿恵大統領の失脚などなど異常事態の続く今年ですが、これもその一環なんでしょうか。
今年も残すところあとわずか、穏やかに新年を迎えられることを祈ってやみません。
55.タッキー&白酒
つっても、ジャニーズじゃないっす。こちとらTOKIOとV6の境目があいまいという程度のジャニオンチです。
タッキーというのはこいつです。
ジョウビタキ、スズメ目ツグミ科の冬鳥。背中の白い斑がおしゃれで、カッ、カッと火打石を打つような鳴き声が特徴。
ここ何年か秋になるとウチの周りを飛び回るようになったというか、私が野鳥に興味を持ちはじめたので特定できたのかもしれませんが、
タッキーと呼んで愛でているんですね。こいつが来ると、ああ秋も深まったなあと感じます。
去年まで1羽だけだったんですが、今年は2羽並んで飛び回ってます。つがいかとも思うのですが、色柄がまったく同じなので両方男子?もしやBL?
ところでそのうちの1羽が、私の居室のテラスにすっかり居着き、間近に観察できるのはうれしいんですが、テラスはフンだらけ。いいけどね、臭わないし。
その上だんだん図々しくなってガラス戸が10センチも開いていようもんなら家の中に入って来るようになっちゃいました。
ウチはガラス窓だらけなので、よく野鳥が通り抜けられると思って飛び込んできます。
猛スピードで激突し、首を骨折してお亡くなりになってるヒヨドリを片付けたことも二度三度。
タッキーはヒヨドリほどでかくないので、激突死はしませんが、ひとたび中に入ってしまうとガラス戸からガラス戸へ飛び移り、大パニックに陥ってます。
これ幸いとカメラ構えて追いかけ回したので、ロフトに上がって下りてこなくなっちゃいました。
ロフトの窓は網戸がはめ殺しになっていて開かないんですよ。下に私がいると下りてこないので、仕方なくガラス戸を全開にして外出しました。
2時間ほどして戻ったら、どこかへ飛び去ってくれましたが、あっちこっちフンの置き土産。つか、防犯より野鳥の救出の方が重要マターか!?
これにこりて少しは遠ざかるかと思いきや、大雪の日にまた10センチの隙間から侵入。仕方なく外気氷点下近いのに窓全開。いいかげん学習しろ!
この冬はタッキーとの攻防が幾度となく繰り返されそうです。
白酒、というのは落語家・桃月庵白酒です。隣町のあきる野市五日市地区(旧・五日市町)のホールで独演会があったので出かけました。
実は同じ頃、あきる野市のキララホールで立川談春の独演会があり、発売日の朝、車を飛ばしてチケット買いに行ったのに、瞬殺で売り切れてたんです。
壮絶にがっかりしている私を気の毒に思ったのか、係の人が「白酒さんの会ならまだ買えますよ」と案内してくれました。
値段は半分、席数は5分の1くらい、演者の実力は8割くらい…かな? そりゃお買い得だわ、と勢いで購入。白酒にはちと失礼な話ですがw。
五日市は少し遠いかな? と思ったのですが、車で行くのが一番早い。うちから峠を三つほど越えますが、30分強で到着。電車だと1時間以上かかります。
五日市は古い町で、かつては木炭産業で栄え、明治の初めには憲法草案(通称五日市憲法)が作られたほど、高い文化を誇っていました。
明治のシルクロードと言われた秩父−八王子−横浜ルートの途中にあり、秩父の絹が横浜へ運ばれ、横浜から秩父へ自由民権思想が伝わり、
秩父困民党の運動が広がる中、五日市でも憲法草案を起草するほど民権意識が高まった、と中学生の頃に習いました。
周辺市町村が合併してあきる野市が誕生するとともに五日市町は消滅。JR五日市線のどんづまり、秋川渓谷の観光拠点駅としてその名を留めています。
どんづまり、ってそれが端的にビジュアルなこの光景。地上の終着駅って多いけど、高架でどんづまり、って珍しくないですか?
万一電車が暴走したらここから落っこちるわけで。なんかシュール。
歴史のある町らしく、レトロな町家が点在する通りをしばらく行くと、本日の会場、たぶん旧町役場の3階にあるまほろばホールです。
会議室にパイプ椅子を並べた程度を想像していたら、木目も美しいステージと、ゆったりとした122席の客席を持つ立派なホールでした。ゴメン、舐めてた。
池袋演芸場ほどの広さのホールは満席で、年配者が多いけど、携帯着信や声高な私語やレジ袋のガサガサ音もない、たいへんマナーのいい客層でした。
開口一番は桃月庵はまぐりという前座の『黄金の大黒』。前座ネタとしては珍しいです。いいかげん『道灌』や『子ほめ』は聞き飽きているので、新鮮。
続いて真打ち登場。桃月庵という亭号の真打ちは白酒だけなので、さっきのはまぐりは彼の弟子です。そうか、もうちゃんと弟子とって育ててるんだ。
彼の師匠は五街道雲助、先日紫綬褒章を受章したことはマクラでも触れていました。
雲助は十代目金原亭馬生(古今亭志ん生の長男で古今亭志ん朝の兄で池波志乃の父)の弟子ですから、古今亭の一門てえことになります。
師匠が五街道雲助などという変わった名前なので、その弟子たちも桃月庵白酒以下、隅田川馬石、蜃気楼龍玉と、どこの一門だかわからない名前が並びます。
しかし芸筋は正統派、ころころと肥えた外見によく響く美声と歯切れのいい口跡で、若手というよりもう立派な中堅。ようこんな山奥まで来てくれました。
一席目は『笠碁』。おお、このネタは柳家系以外では初めてだ。
ご近所同士、ヘボ同士の碁敵が、この一手、待つ待たないでケンカになり、あげくは昔の金の貸し借りまで持ち出して物別れ。
雨が何日も降り続くとまた碁が打ちたくてたまらず、忘れた莨入れを口実に出かけようとすると傘がない。
仕方なく大山参りの菅笠をかぶって相手の店の前を行ったり来たり。相手の方も碁盤を前に待ってるくせに、声をかけるのも業腹で見送ってばかり。
しまいにたまらず「ヘボ」と声をかけたのをきっかけに上がり込み、夢中で打ち始めるが碁盤の上に雫がぽたぽた。「いけねえ、かぶり笠を取りねえ」
ツンデレなオジさん二人の意地の張り合いがおかしく、店の前を行ったり来たりするその姿を追いかける目の動きがリアルで、じつに達者な一席でした。
仲入りあって、二席目。軽く師匠の受章について触れて(とはいえ、あまりテレビに出ない雲助にはイマイチ観客もピンと来てないのが悲しい)…
「おまいさん、ちょっと、起きとくれよ、おまいさん!」おおっ、『芝浜』だ!
たっぷりやったら時間かかるぞー、と思ってたら、魚屋の熊さん、女房に追い立てられて出かけるとすぐに戻って来て戸を叩く。
息を切らして芝の浜で財布を拾ったと家に転がり込む。うわ、展開早っ。普通浜で一服つけて、顔を洗おうと波打ち際に出ると、なにやら紐がひっかかり…
てな調子で、財布を拾うまでの描写が延々長く、また夜明け前の浜の光景を彷彿とさせるその演技が…云々と講釈のたれどころなんだが、そこバッサリ!
四十二両のあぶく銭に浮かれ、友達を呼んで大盤振る舞い、酔って寝込んでまたおかみさんに叩き起こされ、夢でも見たんじゃないかと言われて真っ青。
もともと腕のいい魚屋、ふっつり酒を断ち、身を粉にして働き、表通りに店を構えた3年目の大晦日、おかみさんから重大な告白。
あの四十二両は夢じゃなかった、あんたに目を覚ましてもらおうと心を鬼にして嘘をついたと謝るおかみさんに、熊さん怒るどころか大感謝。
あんた、お酒飲みなよ、え、いいのかい、となみなみついだ酒を口元まで持って来て、「よそう、また夢になるといけねえ」
笑点でネタになるくらい有名なこのサゲですね。おかみさんの告白も、演者によっては泣かせどころとばかりねっちりこってりやりますが、
この熊さんは怒らないし、おかみさんもそんなに深刻なメロドラマにしない。実にテンポのいいあっさりした『芝浜』でした。
年末と言えば芝浜、今や落語会の「第九」ともいうべき芝浜…って、そんな大層なものにしちゃったのは立川談志とその一門なのよね。
浜の描写といい、おかみさんの大げさな泣き芝居といい、談志の名演ってやつもDVDでだけど見たよ。
でもそれは一つの解釈だし、『芝浜』、『芝浜』ってものすごい大ネタみたいに扱うのもどうなのよ、と思ってた。
こないだ笑点で、昇太が円楽に「芝浜できねえんだろー」とからかわれ、「できるけどやらないの!」とやり返してましたが、ひとつの見識だなと思いました。
昇太の『芝浜』も聞いてみたいような気もしますけどね。どんなんやろ。
そゆわけで、端正ですっきりとした、後味のいい落語会でした。案内してくれたキララホールの人、ありがとう!
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