スタッフN村による着物コラム
「オキモノハキモノ」 に戻る
うちの庭の秋明菊です。
今年は9月が雨続きだったせいか開花が遅く、いつもならお彼岸頃には咲くのに、10月に入ってようやく咲き揃いました。
私が物心ついた頃から同じ場所に同じくらいの量で咲いていますから、もう半世紀以上もそこにある株です。
色がイマイチだとか、秋明菊は一重咲きの方が可愛いよね、とか、切り花にならない(水あげが悪い)役立たずとか、散々に言われてますが、
黙ってけなげに50年(以上)。そう思うとなんだか愛おしいような気がしてきます(笑)
54.9月の文楽鑑賞『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』
9月の国立小劇場文楽公演は『一谷嫩軍記』の通し上演です。昼の部で初段と二段目、夜の部が寿式三番叟を挟んで三段目。
(この「嫩」の字が私のPCではどうしても変換できず、ネットで検索してコピペするという非常にめんどくさい作業をしなければなりません。キライ!)
この演目は、三段目の「熊谷陣屋」の段が独立して上演されることが多く、文楽でも歌舞伎でもさんざ見ているので、まだ見たことのない昼の部にしました。
とはいっても、父をデイサービスに送り出してそれから着付けをして夜は呑むから車じゃなく一時間に1本しかない都営バスJR地下鉄を乗り継いで…
劇場入り口に着いたのが12時頃、上演時間表を見ると初段が12時27分終了、それから30分休憩で二段目が13時からですとお?
途中入場されるのがキライなもんで自分もしないようにしているので、1時間もロスすることになってしまった…。
先に入っている伝芸仲間のTさんが出て来るのを待つ間、本日の着物をご披露いたします。
9月の東京はほとんど雨ばかりで、この日も朝から大雨だったんですが、久々の文楽なので頑張って着物着ました。
春の晏の展示会で購入した川越唐桟の初お目見え。雨の仕立て下ろしはかわいそうだけど、雨の日こそ木綿です。
機械織りでお手頃値段の川越唐桟、実は唯一の織元さんがついに生産中止。在庫はまだあるそうですが、欲しい柄は今のうち、とあわてて購入しました。
川唐は何枚か持ってるんですが、ちょっと非主流っぽいのばかりなので、今回はザ・川唐って感じの、鬼平犯科帳の梶芽衣子(古!)が着てそうな多色の縞。
帯は韓国で見つけた、麻に絹のポジャギ(韓国のパッチワーク)をあしらったテーブルセンターを、京都のカクマ帯店で二部式に作ってもらったもの。
足元は雨の日必須アイテムのカレンブロッソ。保多織の鼻緒です。バッグは姉がフェ○ラーの端切れをどっかで手に入れて、作ってくれたお手製。
朝は土砂降りだったので、雨コートを着て来ましたが、着いた頃には小降りになったので、畳んでしまっちゃいました。
さてようやく劇場の中に入れました。二段目、「陣門の段」からです。陣門とそのあとの組討の段はたまーに単独上演されますが、私は初めて見ます。
『平家物語』をベースに、平敦盛と平忠度のエピソードを大胆にふくらませたストーリー。いや、敦盛は知ってたんだけど、忠度が入ってるのは知らなんだ。
熊谷直実の一子小次郎、先陣の功名を立てようと、平家が立てこもる一ノ谷の陣所にやって来たものの、優しく聞こえる笛の音に鈍る闘志。
そこへ平山武者所が来て、先陣を譲るとおだて、小次郎は陣内に斬り込む。我が子を案じて駆けつけた直実が続き、手傷を負った小次郎を救出する。
平山は討って出た平敦盛に斬り立てられ、須磨浦のほうへ逃げて行くが、そこには敦盛の新妻・玉織姫が夫の行方を尋ねてさまよっていた。
姫に横恋慕する平山は、敦盛は自分が討ち取ったと欺き、連れ帰ろうとするが、夫の仇と斬りかかる姫の胸を刺し、にわかに起こる鬨の声に追われて逃げ去る。
次が有名な平家物語の「敦盛討死」、ここでは「組討」の段。ご存知義経の鵯越の奇襲に遭い(いや、その描写はないけど)、敗れた平家は海へと逃れる。
舟に乗り遅れた敦盛、やむなく馬で波間に乗り入れると、熊谷直実に呼び止められて一騎打ちとなり、落馬して押さえ込まれる。
首をはねようとした熊谷は、その若さ(16歳)と高貴さに驚き、「この君一人助けしとて勝軍に負けもせまじ」と敦盛を逃がそうとする。
それを見ていた平山武者所ほか多数が、平家の大将を見逃すとは不忠者と罵るので、手傷を負った我が子と同年輩の敦盛を泣く泣く斬首。
無冠大夫敦盛、討ち取ったりと呼ばわると、先ほど平山に刺されて虫の息の玉織姫、むっくと身を起こし、せめて名残にその首を見せてと訴える。
姫はもう目も見えず、敦盛の首をかき抱いて息絶える。熊谷は敦盛の遺骸を馬に乗せ、涙ながらに引いてゆく…。
はい、このあと薩摩守忠度のエピソード「林住家の段」があって二段目終了、三段目の「熊谷陣屋」へと続きます。
「林住家の段」はひとまずこっちへおいといて、敦盛話のほうにしばらくおつきあいください。
ここまではまあちょっと盛ってはあるけど、フツーに平家物語ですよね。ところがぎっちょん、三段目から話は「エエーっ!?」という展開になるんですね。
今回見てない話をするのはちょっとアレですが、「熊谷陣屋」はさんざ見て来たので、私的にはすべてネタバレしてます。
一ノ谷の熊谷の陣屋に、「一枝を伐らば一指を剪るべし」という制札が立てられている。これは初段で総大将義経から熊谷に渡された制札。
桜の枝を折ったら指一本切るぞ、というお触れ、しかしそこにはもう一つの秘密命令が隠されていた。
実は敦盛は、母の藤の方が後白河法皇に仕えて身ごもり、平経盛に嫁してから生んだ子で、なんとしてもこれを助けようと、義経が制札に暗号を込めたのだ。
折から熊谷の陣屋へ、東国からはるばる熊谷の妻・相模が我が子会いたさにやって来る。そこへ源氏の兵に追われる敦盛の母・藤の局が逃げ込んで来た。
藤の局は昔相模と熊谷が駆け落ち同然で夫婦となったのを助けてくれた恩人なのだが、息子の仇・熊谷を討つ助太刀をせよと相模に迫る。
そこへ熊谷が戻って来て、小次郎の初陣や敦盛を討った手柄話をしているところに藤の局が短刀かざして襲いかかる。戦場の習いと諦めるよう諭す熊谷。
御大将義経が陣屋に現れ、敦盛の首実検をすることになり、首桶を持って熊谷が出て来る。
とりすがる藤の局と相模をはねのけ、制札を抜いて「この制札の命令通りに討った首ですが如何!?」と、首を差し出す熊谷。
その首は敦盛にあらずして一子小次郎。驚き嘆く相模とちょっとうれしい藤の局。制札の暗号は敦盛の身代わりに小次郎を討て、という非情なもの。
義経のお褒めにはあずかったが、つくづく武士に嫌気がさした熊谷はその場で出家し、戦場を後にするのだった…
とまあこれが三段目の展開なわけですが、陣門・組討だけだと、どこからどう見ても敦盛を討ったようにしか見えないのよねー。
もちろん、どんでん返しの効果のためには毛筋ほどのネタバレも許されないんだけど、じゃあ小次郎と敦盛はどこで入れ替わったわけー?
首討つ前のえんえん続く熊谷と敦盛(実は小次郎)のやり取りは、味方を欺くための親子コントだったわけー?
というわけで、先に「熊谷陣屋」を見て、あとから「陣門・組討」を見ると、じつにこのあほらしいことになる、という教訓を得た次第。
さてアナザーストーリーの薩摩守忠度のほうですが、二段目の最後「林住家の段」で展開します。
摂津国(今の大阪)兎原の里に住む老女・林のあばら家に、一ノ谷へ向かう薩摩守忠度が一夜の宿を乞う。
林はかつて歌人・藤原俊成家に娘の乳母として仕え、忠度とも見知った仲。偶然とはいえ不思議の縁と喜び、招じ入れる。
忠度は俊成の歌の弟子であり、その娘・菊の前とは恋仲。俊成編纂の「千載集」に作歌が選ばれることを願うが、逆賊となった今は難しい。
俊成は源氏の大将義経に伺いを立てるため、娘を使いに立てるが、忠度はその返答を聞く前に戦場へ向かわなければならなかった。
夜更けて忍び込む怪しの人影、林が取り押さえると不肖の息子・太五平。戦稼ぎをしようと父の形見の刀を盗みに来たと白状。
折から口入れ屋の茂平次が戦の人手探しに来たので、林は刀の折紙(鑑定書)までつけて息子を送り出す。
入れ替わりに尋ねて来たのは忠度の跡を慕う菊の前。どこまでもお供をと願う彼女を、すでに討死を覚悟した忠度はつっぱねる。
茂平次の訴えで、忠度を討ち取らんと梶原景高がやって来るが、雑兵ばらをちぎっては投げの大奮戦にすごすご逃げ帰る。
そこへ義経の使者として岡部六弥太が訪ね来て、忠度の歌「さざなみや志賀のみやこはあれにしを昔ながらの山桜かな」が撰に入ったと知らせる。
忠度は生涯の本望と喜び、縄にかかろうとするが、六弥太は今は討っ手の役ではないと戦場での再会を約し、忠度の右袖を切って菊の前に形見として与える。
夜明けも近いと、六弥太に譲られた馬にまたがり、忠度は一ノ谷の戦場へ向かうのだった…
はい、忠度のお話はこれまで。実は私は間に合わなくて見てないんですが、初段で熊谷の制札のこと、忠度の歌のこと、
敦盛の出自や玉織姫との祝言や平山の横恋慕などは出て来るんですね。そこをちゃんと見てればどのエピソードも唐突な印象はなかったろうと残念至極。
それにしても忠度のストーリーは惜しい! 私は実は卒論に平家物語を選んだくらいに大好きで、薩摩守忠度は中でも一二を争う好きな人物。
卒論ったってまあ、最低枚数ギリギリの、半分は引用半分は感想文といういたってお粗末なものですが、それはさておき忠度。
平家物語では「忠度都落」で俊成に自作の歌を記した巻物を渡して去る、そして「忠度最期」で辞世の短冊を箙に結んで討死する名場面があるんですが、
これがすべて登場人物のセリフで処理されちゃってるんですよね。映画やドラマでもセリフで全部説明する脚本ってダメじゃん。
で、忠度を討つのが岡部六弥太なんですが、まず右腕を切って落とされ、もはやこれまでと観念して首討たれるわけで、右の袖を切るのはその暗示なんです。
六弥太は討った相手が誰だか知らず、箙に結ばれた短冊を見て初めて薩摩守忠度と知る、そこがいいんだけど、戦場での再会を約して別れたらネタバレやん。
その平家物語をベースに書かれた浄瑠璃だし、メインは敦盛と熊谷の話なんで、まあ仕方ないんですが、忠度メインの作品はないものか。
めったに上演されない段ですが、さもありなん、退屈です。太五平のくだりなんか、まったくなくてもいい場面だもんね。
あ、でもこのくだりを語った若手の睦大夫はよかった。チャリ場(コメディ)なんで、テンポが良くて元気があった。眠気がここだけ吹っ飛びました。
やっぱりしょっちゅう上演される「熊谷陣屋」の段がこの演目のキモで、他の段はそこへ向かって流れ込む支流にすぎなかったようです。
自分の鑑賞態度も良くないけど、もうひとつノれなかったので、レポも遅くなっちゃいました。せっかくの通し上演、惜しいことをしたなあ。
最後になりましたが、人形遣いの人間国宝・吉田文雀師が8月に88歳で亡くなられました。引退興行もなく、静かに舞台を去って行かれました。
上品で凛とした女性の役が印象に残ります。『摂州合邦辻』では青い炎が燃えているような玉手御前でした。合掌。
スタッフN村による着物コラム
「オキモノハキモノ」 に戻る