スタッフN村による着物コラム

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先日当サイトでもお伝えしましたが、漫画家の近藤ようこさんが文化庁メディア芸術大賞マンガ部門を受賞されました。

我ら着物仲間として、ささやかながらお祝いをしようと、2月某日東京は麹町に集合。当サイト運営者の冨田もはるばる高松より上京しました。

実は祝賀会の前に、国立劇場で文楽を鑑賞し、麹町の料理屋に移動して祝杯をあげるという段取りで、文楽については本文でレポします。

メンバーは右からボタドリの生みの親、デザイナーの大野さん、洋服感覚のカジュアルウール。

隣の近藤さんのお召し物は、すごくやわらかな手触りで、色合いも春らしく優しい紬ちりめんに、すくい織の帯、Tさんからお祝いに贈られた道明の帯締。

次の私は久米島紬に花織もどき帯。シルバーグレーの久米島はゆうな染めといって、ゆうなの木の灰で染めたもの。帯はあくまで“もどき”です、はい。

対面のTさんは紬の着物に華やかな桜の染帯、となりの冨田は染め紬の付下げ、その隣はカメラ担当Tさんのご主人の席。

2月ということで節分にちなんだお料理としつらえで、お祝いの夜は楽しく更けて行きました…

ちなみにお料理は上品ですが、2時間の飲み放題付き。がっつり元はとりましたとも。ええ。

 

42.2月の文楽鑑賞『天網島時雨炬燵(てんのあみじましぐれのこたつ)』

 

文楽のレポの前に、先日亡くなられた坂東三津五郎丈のことを。

三津五郎は故・十八代目勘三郎と同年輩で、八十助・勘九郎の時代からそれはそれはいいコンビでした。

やることなすこと派手で賑やかな勘三郎とは対照的に、端正で大人で、それでいて洒脱で、勘三郎の新作につき合うときは思いっきりハジけてみせたり。

特にファンというわけではなくても、三津五郎が舞台にいることで、どれほど厚みのある芝居を見せてもらっていたか、今さらながら痛感します。

三津五郎の訃報を聞いた時、私が真っ先に思ったのは「困ったなあ」ということでした。そしてその喪失感が日々じわじわと増しています。

勘三郎も三津五郎も、小柄で顔が大きく、歌舞伎を演じるために、踊るために生まれて来たような体型でした。

今の若手はみな顔が小さく腰高で、長い手足を持て余しているように見え、それをカバーする技量もまだ不足です。

彼らの兄貴分としてますます指導力を発揮すべき年代の二人が、60にもならぬ齢で相次いで亡くなるなんて、言うべき言葉も見つかりません。

今の歌舞伎の大立者はみな70歳前後、それに続く60歳前後の立役がごっそりいなくなってしまったのです。

たった二人というなかれ、二人でごっそり、なんです。まして座頭役者の勘三郎以上に、脇でも光る三津五郎の不在がどれほどの痛手か…。

歌舞伎観劇歴わずか15年で「あの頃は良かった」と思うようになるとは、見始めた頃には想像だにしませんでした。

なんだか歌舞伎を見るのがつらくなって来たので、しばらく行くのやめとこうと思っています。

いちいち、この一座に三津五郎がいたらなあ、と思ってしまうんじゃないかと…(実際、去年三津五郎休養中にすでに思った)。

うわー、しかし最後に三津五郎を見たのがテレビの『ルーズヴェルト・ゲーム』になっちゃうのか。悲しいなあ…。

 

気を取り直して、文楽です。このときはまだ三津五郎の訃報の前でした。みんなで国立小劇場前に集合して記念撮影。

国立劇場のゆるキャラ「くろごちゃん」と一緒です。光が入っちゃいましたがくろごちゃん大人気であとがつかえて撮り直しできず。

今回は三部制の第2部で、景事(けいごと・舞踊)の『花競四季寿(はなくらべしきのことぶき)』と『天網島時雨炬燵(てんのあみじましぐれのこたつ)』。

文楽初心者の二人がイヤホンガイドを借りました。私は使った事ないんですが、けっこう便利なものらしいですね。

まずは『花競…』春夏秋冬の情景をスケッチしたオムニバス。春は正月の万才、「きみ、ええかげんにしなさい」というアレではなく、いわゆる三河万歳です。

夏は夜明けの浜辺で恋の憂さをひとりごちる若い海女。これになんと蛸が言い寄ってからむという、ちょっとエロチックなシークエンス。

秋は関寺小町、文楽には珍しく能由来の演目。みすぼらしい老婆となった小野小町が秋の野辺で若き日の恋を追想する、シブーい一幕。

ほとんど動きがなく、浄瑠璃も謡っぽい。これは人間国宝・吉田文雀の持ち役だけど、今回は初日から休演で、弟子の吉田和生が遣います。

住太夫が引退したばかりで、文雀さんも休演とは寂しい限り。ご高齢ではありますが、一日も早い復帰をお待ちしてます。

冬は鷺娘。歌舞伎舞踊では玉三郎の名演が有名ですが、人形はあんなに鬼気迫る舞踊ではないです。でも衣装の引き抜きがあったりと華やかな一幕。

目先の変化が楽しく、難しい筋もないので、初心者でも楽しめたみたい。

しかし問題は次の『天網島…』だったのです。

タイトルを見れば、近松の名作『心中天網島』だと思うじゃん? ところがぎっちょん、換骨奪胎骨抜きバラバラのトンデモ狂言だったとは。

シチュエーションは原作通り、遊女小春に入れあげて家庭崩壊の紙屋治兵衛内。ここへ治兵衛と小春を張り合う太兵衛が怒鳴り込んで来る。

治兵衛が伝界という坊主を通じて太兵衛に借金をし、返した金が偽金だったと言う。伝界と太兵衛はグルで、治兵衛を陥れようとしているのだ。

あれ?こんなエピソードあったっけ?と思ううち、伝界がチョンガレ節とやらの剽げた調子で治兵衛のヘタレぶり、世間の評判を唄い囃す。

床の咲甫大夫もいつにも増して首を振り振り、すっとんきょうな声張り上げてすっかり舞台はドリフの全員集合。

逆上して脇差しを抜こうとする治兵衛を女房や兄が止めたところに、小春の抱え主・才兵衛が現れ、小春が書き置きを残して消えたと言う。

書き置きには本当に愛しているのは治兵衛ではなく太兵衛だとあり、舞い上がる太兵衛、企みを記した文を落とし、悪事が露見してすごすご逃げ出す。

入れ違いに女房おさんの母がやって来て、夫に見せるから小春との縁切りの誓紙を書けと治兵衛に迫る。

書き置きの文面を信じた治兵衛はあっさり書いて差し出し、母は孫娘のお末を連れて帰って行く。

このあたりでもうあまりのドタバタぶりに唖然呆然。ここでぶんまわしが回って床交代。おっと長老・嶋大夫だ。ちょっとほっとする。

炬燵に潜ってグズグズ泣いている治兵衛、その夫に恨み言をかきくどく女房おさん、ああ、やっと近松らしくなってきた。

〽女房の懐には鬼が棲むか蛇が棲むか、それほど心残りなら泣かしゃんせ泣かしゃんせ、その涙が蜆川に流れたら小春が汲んで飲みゃろうぞ

うんうんこの辺は原文通りで嶋大夫の名調子。治兵衛、この涙は小春にフラれたからじゃない、金がなくて太兵衛に負けたと噂されることの悔し涙だと言う。

それを聞いたおさんは、小春は死ぬ気だと騒ぎだす。実は治兵衛に内緒で、小春に夫を思い切ってくれと手紙を書き、承知したとの返事をもらった。

太兵衛に請け出されるくらいなら、小春は死ぬに違いない、それでは女の義理が立たぬと、こちらで身請けの金を作るため、へそくりを差し出すおさん。

箪笥の底をはたき、帯着物一切合切風呂敷に包んで治兵衛に渡し、小春を正妻に据え自分は子供の乳母としてでも置いてもらえればいいと言う。

治兵衛女房を伏し拝んで曾根崎へ向かおうとするところへ、おさんの父親が現れる…はい、ここまではほぼ原作通り。名場面なのであります。

さて、このあとがまたおかしくなるんだよなあ。

治兵衛をおやま狂いとののしり、離縁状を書けと迫る父におさんは、そもそも父親が事業に失敗して、治兵衛に借りた金を返せず、

分家する時に本家からもらった金も底をついた。その金の行方の言い訳に、治兵衛は廓通いを始めた。もとはと言えばあんたのせいだと言い返す。

そこへなんと門口に小春が現れ(!)取り込み中と見て用水桶の陰に身を隠す。

空っぽの箪笥の中を改めた父親、夫婦の言う事に聞き耳持たず、母を慕って泣く息子を置いて、おさんは引きずられるように連れ戻される。

ここでまた大夫が交代して、再びどたばたコントの始まり。おさんと父親が出て行くと、様子をうかがっていた小春が家に入り、

子供の目の前でひっしと抱き合い心中の約束。そこへアホの丁稚が現れて、おさんから言いつかったと、祝言の支度を始める。

酒がないから水でいいかな?エヘヘ、と注がれた水を末期の水杯として飲み干す二人。そこへ幼い娘のお末が坊主頭に白装束の尼姿で現れる。

お末の白装束にはおさんの文字でくどくどと、二人は夫婦となって幸せに、息子を頼むと書かれた手紙、

さらには父親の文字で、箪笥に小春の身請け金を入れておいた、ちなみにおさんとお末は尼にした、とある。

小春はびっくり、おさんが尼になった(現世を捨てた)からには、自分も生きてはいられぬと取り乱す。

そこへ太兵衛が仲間の善六と戻って来て、恋敵の治兵衛に斬り掛かるが、治兵衛と丁稚の防戦にあって同士討ち。やむなく治兵衛はとどめを刺す。

怯える小春の手を取ってかねて定めた死処へ向かう治兵衛。ちなみにこれすべて子供の眼前で行われましたとさ。

 

幕が閉まって、近藤さんは「くどーい!」Tさん夫妻は「こんな話だったっけ?」私は「近松先生がこんな人だと思わないでね!」と口々に。

文楽研究者の内山美樹子氏も新聞の評で「初めて観た人が文楽とはこんなドタバタなものだと思うのではないか」と心配されていたし、

私もあまりの原作改悪ぶりに、演者が誰だったかも忘れて腹を立ててましたが、あとあと考えてちょっと腑に落ちたことがあります。

近松の世話物って、初演時は時事ネタとしてセンセーショナルにヒットしたんですが、その後長く上演が絶えていたものが多いんです。

『曾根崎心中』『女殺油地獄』などは戦後になってまず歌舞伎でその価値が見直され、文楽に逆輸入されたりしています。

美しい詞章、深い心理描写、リアルな人物造型、実は原作は非常に現代的なんですね。

しかし、それはあまりにシブすぎて、江戸時代の、しかもナニワの庶民にはウケなかったんじゃないか。

まあ、原作の治兵衛は文楽の主人公中サイテーのヘタレですからねえ。曾根崎の徳兵衛、新口村の忠兵衛と較べても突出したダメんず。

なんでおさんも小春もこんな男がいいんだろうと思わないでもないですが、

それじゃあ観客の共感が得られないと思ってか、ヘンに手強さを加えられたこの治兵衛、却ってリアリティー皆無のステロタイプになっちゃった。

原作を読み直すと、太兵衛への借金、口三味線での嘲弄、アホの丁稚、子供おきっぱなどのエピソード、あることはあるんですが、

別の場面だったり、ちゃんとフォローされていたり、程よくちりばめられているんです。

それを一場に詰め込んで、過度にデフォルメしたもんだから、こーんな珍作が出来上がったわけですね。

ちなみに、太兵衛と伝界の悪巧み、脇差振り回す“勇敢な”治兵衛、誓紙を取りに来る母親、父親の借金、小春の来訪、丁稚の祝言、白装束の手紙、

これらすべて原作にはありません。よくもまあこれだけ盛ったもんだ。

そしてこの改作を手がけた近松半二の代表作を見てみると、『本朝廿四孝』『妹背山婦庭訓』『新版歌祭文』など、スペクタクルありドタバタあり、

こういう人が手を加えたんだからさもありなん。しかし原作よりも改作の方がウケたからこそ、作品が生き残ったとも言えるんでしょう。

実際調べてみたら今でもけっこう上演回数多いんです。でもさあ、私ら江戸時代の庶民じゃないんでね。もういいんじゃない?こういうの。

フツーに原作の紙屋内の段を上演した方が、現代の観客は喜ぶと思う。少なくとも私はそうですけど。文楽関係者の皆様、御一考を。

 

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