スタッフN村による着物コラム

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あけましておめでとうございます。

今年も当サイト、kimono gallery 晏をよろしくお願いいたします。そして当コラムも時々のぞいてやっていただければ幸いです。

1月2日の午前10時頃、ふと空を見上げると、雲の切れ間がなにやら五色に輝いているではありませんか。

これは「瑞雲」というやつに違いないと、慌ててカメラを構えました。

こういう光の具合で現れる自然現象って、たいていうまく撮れてないことが多いので、すぐにパソコンに取り込んで開いてみると、今回はばっちり。

実際に見えた色よりもくっきり映っていました。

こいつあ春から縁起がいいわい。

さっそくプリントし、年賀状としてあちこちに瑞祥のお裾分け。

皆様にとっても今年一年が、良い年でありますよう。

 

40.日本舞踊猿若流「吉代会」

しばしばこのコラムにも登場する着物仲間のTさんは、猿若流の日本舞踊を習っています。

かれこれ10年にもなりましょうか、50の手習で始めたというのもエラいもんですが、よく続いたものだと感心しています。

師匠は猿若流分家の猿若吉代先生。そのご縁で『お悩み解決!着物術』という本でもインタビューさせていただきました。

江戸前のきりっとした、じつにかっこいい舞踊家なんですが、このほど舞台に立つ事からは引退し、後進の指導に専念される事になったとか。

先生のお弟子さんが勢揃いする「吉代会」、二十回目の今回は、吉代先生の出ない初めての吉代会です。

んで、出るんですね、Tさんは。7年前に舞台デビューした時、私がにわか付き人を仰せつかり、いろいろ面白い目に遭ったんですが、今回は野次馬。

会場はいっちょまえに(もちろん吉代先生の御威光で)国立劇場小劇場、清元は人間国宝までご登場の豪華版。

出演順はキャリアとか技術とかもろもろの要素で決まるらしいんですが、後に行くほど巧い人が出る。Tさんの出番は前回も今回もトップ。

つうことは…まあ、みなまで言うな、ですね(笑)。

曲は「花がたみ」。真っ白塗りで鬘を着け、裾を引いて登場したところはなかなか堂に入ってます。

写真はご主人が隠し撮りした舞台姿。静止画だとそれらしいでしょ。

13分の短い曲ですが、友人としては手に汗握るサスペンスフルな13分間。酒を飲む振りがあって、そこは上手だったねと皆の感想。

出番が終わると、仲間内でどやどやと楽屋訪問。前回付き人やっているので、関係者オンリーの通用口も勝手知ったるナンとやら。

当サイトでおなじみの漫画家・近藤ようこさんも駆けつけてくださいました。みんなで記念写真をパチリ。私はこの日はちょっと気張って矢絣のお召し。

Tさん、招待客はスター並みに多く、次々と楽屋見舞いの人がやって来るので、我々はひとまず辞去して、近所の中華料理屋でのど湿し。

Tさんの友人で、藤間流の名取の方が、もう緊張してのどがカラカラ!とビールをごきゅごきゅ空けながら、いろいろダメ出し解説して下さるのが面白い。

こうこうこうやらないとダメなのよー、と、指先、首、肩、目線と上半身だけ動かして見せると、やっぱりプロは違うなあという動き。

踊りもやっぱり「体幹」が大事なんですと。スポーツと同じなんですね。

さてそろそろいいんじゃないかと劇場に戻ります。

堂々と楽屋口の玄関を入ると、下駄箱にずらりと歌舞伎役者の名前が。

ちょうど大劇場では『伽羅先代萩』が上演中。中村橋之助、板東弥十郎、なぜか中村梅玉と坂田藤十郎は高砂屋、山城屋と屋号が。

ちなみにほとんど靴でした。みんな楽屋入りのときは洋服なんですね。

白塗りを落として、いつもの姿に戻ったTさんと、楽屋食堂でお茶して、みんなで客席に。

プログラムはだいぶ進行していて、舞台の上にはちゃんとした(笑)名取の皆様が。

ちょうど歌舞伎でよく見る『お祭り(ここでは申酉という外題)』が上演中。ほろ酔いの鳶の頭が若い衆と達引きする、いなせで威勢のいい曲。

踊っているのは女性です。いやあ、女性でこの役って気持ちいいだろうなあ。

続いては猿若本家の家元・猿若清三郎氏の『時雨西行』。家元は特別な衣装を着けない、紋付袴のいわゆる「素踊り」。

そのあと、ちっちゃなちっちゃな奴さんがちまっと登場して『旅奴』。堀越君という小学生の男の子が、髷を乗せて半纏姿に状箱かついで可愛らしい。

おやおや、後見にさっきの家元が! こりゃただもんじゃねえなと思ったら、すっと向こうを指差したその動きがすでに舞踊家のもの。

あとで聞いたら家元の息子さんですと。やっぱりなあ。芸事ってこーんなちっちゃい頃からやらないとモノにはならないんだなあ。

次に女性二人でこれも歌舞伎でよく上演される『二人椀久』。踊りはプロの踊りなんだけどなにか違和感がある。なんでだろう…

と思っていたら、最後の『鏡獅子』で、その理由がわかった。演者は若見匠祐助氏という若い男性。

私が普段見慣れているのは、男性が女性の髷と衣装を着けて踊る日本舞踊(すなわち歌舞伎舞踊)なもんで、舞台の空間を男性サイズで捉えてたんです。

小劇場とはいえ国立劇場の舞台に女性だけだと、なーんか舞台が広いなあと感じたんですね。祐助さんが出て来て、初めて見慣れた舞台面になりました。

ちなみに祐助さんは小さな流派の家元らしいんですが、前半の女小姓は可憐で綺麗、後半の獅子は勇壮で、歌舞伎座の舞台でも十分勤まると思いました。

 

さてさて、Tさんの手習の様子を10年ほど斜めに観察して来ましたが、いやいや、日本舞踊を習う、って想像以上に並大抵のことじゃないですね。

まず、50すぎて始めるってことは体も頭も硬くなってるし、お辞儀一つから始めなきゃならない。

Tさんが一曲仕上げてなんとか舞台に立ったのは3年目くらいだったでしょうか。でもって、私がにわか付け人を頼まれた訳です。

付け人といっても、結髪も化粧も着付けもぜーんぶプロがやる訳で、私はそういう裏方さんにひたすらご祝儀を配って歩くだけ。

もちろん地方(演奏)の皆様、他の出演者に至るまで、ご祝儀と名入りの手ぬぐいとちょっとしたお菓子の折を添えて。

他の出演者も同じ事をしますから、こっちの手元にもそういう品々が積みあがって行きます。

招待客のお弁当だってなだ万だったり吉兆だったり、えーと、あと食べた事もないような名だたる料理屋のものばかり。

で、招待客のチケット代、衣装、結髪、演奏者の出演料や会場費(これは割り勘なんだって)などなど、気が遠くなるほどお金がかかります。

ま、Tさんは自分で稼いだお金で、自分の道楽でやってるんだからいいけど、子供に習わせようなんて思った日にゃあもう。

さすがに2度目のTさん、今回はそういう配りものなんかはだいぶ簡略化して、代わりに招待客を増やしたそうです。どうりで楽屋は大混雑(笑)。

やっぱり伝統芸能は、お金払って見て、あーだこーだと好き勝手な事を言ってるのが無難ですな。実際やってみたら…あら大変。

 

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