スタッフN村による着物コラム

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いやはや、梅雨入りしたとたん、バケツをひっくり返したような雨また雨。

天気予報に従って、梅雨入り前に苗類の植え付けやら草むしりやらタマネギの収穫やら、やるべきことはやっておいたから良かったけど。

先月まだポットの苗だったズッキーニは、畑で元気に育っています。

写真は大雨の翌朝、一輪だけ咲いていた雄花。

カボチャ類は雄花と雌花があって、人口受粉してやらないと、うまく実らないめんどくさいヤツ。

しかも朝9時頃にはしぼんでしまうので、早朝が勝負どころなんです。

雄花の陰にある小さな実は、受粉後4、5日たったもの。

あと3日くらいで収穫できるかな? 手間がかかる分、カワイイヤツです。

 

34.七世竹本住大夫引退公演

私が文楽を見始めてほぼ10年、ほとんどの公演で切り場(落語で言えば大トリ)を語っていた竹本住大夫が今回限りで引退するといいます。

御年89歳、いつかはその日がくると思っていたけど、やっぱり寂しい。

チケット取りは激戦を極め、コネクションを駆使してなんとか手に入れた5月19日の第1部。平日ですがもちろん満員御礼。どうよ、大阪市長さんよ。

ロビーにも出版社や関係各位から贈られた胡蝶蘭がいっぱいです。

住大夫は近年脳梗塞を患い、もうあかんのとちゃうか、と思われたのを、不屈のリハビリで復活。

しかし、往年のようには諸事ままならず、晩節を汚さぬようにと引退を決意したとのこと。

ちょうど一週間ほど前に、なにげにつけたテレビで住大夫の復帰公演にむけたリハビリのドキュメンタリーをやっていて、食いつくように見たばかり。

89歳とは思えない気力と体力で、腹筋を鍛え、稽古に励み、ついでに弟子を怒鳴り飛ばす。

中堅の大夫として揺るぎない文字久大夫が初心者のように「あー」と語りだしから「あかん! そんなんちゃう!」とぎゅうぎゅうに絞られる。

ま、住大夫のドキュメンタリーで文字久さんが絞られるのはお約束の場面なんですが。

なもんで、引退狂言『恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)』「沓掛村」「坂の下」の段で、師匠の前後を語る文字久大夫がなんだかカワイイ。

それにしても、大坂での引退狂言は、大曲『菅原伝授手習鑑』「桜丸切腹」の段という華やかな演目なのに、こっちはなんか地味—。

しかもポピュラーな「重の井子別れ」の段じゃなくて、なぜめったに上演されない「沓掛村」? つか見たことないっす、この段。

パンフには住大夫の父、六世住大夫の引退公演がこの演目だったとあり、それならまあ、と一応納得。

お話は、というと元は武家に仕えた馬方の八蔵、訳あって主人の子を養育している。病の母を抱えて馬方の仕事にも出られぬため、内職に頼る極貧生活。

主人の子の与之助は、侍よりも馬方になりたいとぬかすやんちゃ盛り。

久しぶりに馬方の仕事に出た八蔵は、追い剥ぎに襲われた座頭を助け、一夜の宿を貸すが、この座頭が実は主人の兄で与之助の伯父だった。

そして座頭を襲った追い剥ぎが、主人を陥れた悪人で、八蔵はみごとに主人の仇をうち…と、細部は説明するまでもないお約束の話。

舞台は極貧の馬方の家、登場するのは馬方とその老母と、小汚いガキと座頭と追い剥ぎ。地味でしょ?これ以上ないくらい。

しかーし! そこは人間国宝の引退公演、人形役割はこれ以上ないくらい豪華絢爛。

馬方八蔵がいま最も脂ののっている桐竹勘十郎、老母は人間国宝吉田文雀、小汚いガキ与之助が同じく人間国宝吉田蓑助。

座頭の慶政に文雀の高弟・吉田和生、追い剥ぎの手下に女形のベテラン・桐竹紋壽と近々吉田玉男を襲名するんじゃないかという吉田玉女。

いやー、ありえねえありえねえ。こーんな配役ありえねえ。

そして前場を文字久大夫が語り終え、床のぶん回しがくるっと回って住大夫が登場すると、場内割れんばかりの拍手。

観客は住大夫の一息も一挙手一投足も見逃すまい、聞き逃すまいと固唾を呑む。

さすがに全盛期に較べれば声も小さく、体も一回り小さくなったような気がするけど、なんといってもこれが最後。

数々の名舞台が脳裏をよぎる。あの吉田玉男、蓑助の人形とともに一段語りきった『伊賀越道中双六』「沼津」、

仁左衛門の記憶を吹っ飛ばしてくれた『恋飛脚大和往来』「新口村」、そして『曾根崎心中』、『摂州合邦辻』、『菅原伝授手習鑑』…

それらの記憶が頭の中をぐるぐる回って、目の前の舞台のことはあまり覚えてないなあ。

思えばこの10年、何度となく文楽を観劇し、そのうち何割かは寝ていたとしても、住大夫に間に合ったことはほんとうに有り難い。

本人も言ってるけど、どちらかといえば悪声(美声ではない、という意味で)だし、顔はコワいし、初めはその良さがわからなかった。

でも、聞き込んで行くと、わかりやすいのよ。聞き取りやすい(ほんっとうに聞き取りにくい大夫っているからな)し、

聞き取りやすいから登場人物の心情がぐぐっと迫ってくる。「沼津」や「新口村」ではマジ泣いたっす。

もちろん吉田玉男、吉田蓑助、吉田文雀という手練の人形遣いの力もあってだけれど。

そういや、故・吉田玉男も最初はただ人形が立ってるだけにしか見えなかったわ。それが、しまいにゃ立ってるだけでイイ!って思ったもんね。

最初にぞくっときたのは吉田蓑助の「封印切」の梅川だったかな。人形遣いの姿が消えた一瞬でした。

そうした名人たちの数々の名舞台を見せてもらって、もはや見るべきほどのことは見つ、って感じ?

今は、人形は勘十郎や玉女や和生が大活躍で、大夫は(比較的w)若手の千歳大夫や呂勢大夫や文字久大夫が安定してるし、

三味線は最若の人間国宝・鶴澤清治を筆頭に若い人が頑張ってるから、文楽の将来はそう悲観したもんでもないと思う。

(管轄行政のトップがアホだから、そこはちょっと心配だけど)

でも、かの名人たちの円熟した芸を堪能できた、っていうのはとても贅沢だったし、幸せだったんだなあ。

歌舞伎では、かつてふたことめには先代の菊五郎は、吉右衛門は、と言う輩が「菊吉ジジイ」と呼ばれて嫌われてたし、

私もやれ六代目歌右衛門だの七代目梅幸だのとしたり顔で語るババアが嫌いだったけど、そろそろそういう域に達して来たかな?

これから文楽を見ようという人に「いやーそれにしても吉田玉男は、住大夫は」と上から目線で語って嫌われないようにしなくちゃ。

とはいえ、住大夫には、お疲れさまでした、そして心からありがとう、と言いたいです。

最初の演目『増補忠臣蔵』「本蔵下屋敷」の段は開演に間に合わなかったのでパス。

『恋女房…』のあとの『卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)』は、ま、「葛の葉子別れ」みたいな話。

柳の木の精が、伐られるところを助けてくれた男に嫁いで子まで成したが、白河法皇の命で三十三間堂の建材として再び伐られることになる。

女房は柳の精に戻って姿を消す。伐られた木は押しても引いても動かないが、残した息子が綱を引き、亭主が木遣りを歌うと動き出す。

柳の精・お柳はこっちが本役の吉田蓑助。亭主の平太郎に玉女。大夫は嶋大夫。

嶋大夫はベテランの、ちょっとクセはあるけど好きな大夫。でも今回はちょっとクサかったかな。この人は世話物のほうが好きだなあ。

なんにしても、住大夫の引退興行のあとはやりにくかろう。

夜の部は『女殺油地獄』の通し。演目としてはこっちのほうが見たかったけど、まあそこは記念興行だからね。

終演後は例によって築地のTさんちへ行って宅飲み。写真はベランダで撮ってもらいました。

5月は単衣月と決めているので、この日は塩沢お召しの単衣に、洒落袋帯をカクマ式二部式名古屋に仕立て直した帯。

それにこの時期しか着る時がないので必ず出てくる母のお下がりの紋紗の羽織。足元はカレンブロッソです。

塩沢は雨でもシミになるめんどくさいヤツ。単衣時期は雨が多いのにそれじゃダメじゃん。

帯も袋帯のまんまだとめんどくさくて締めないので、思い切って二部式にしてもらっちゃいました。楽チンだよー。

 

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