スタッフN村による着物コラム

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3月は中旬頃まで真冬並みに寒い日があって、

ただでさえ遅い山里の春がなかなか進行しなかったのですが、

最後の一週間で一気に加速。

我が家の庭の片隅では、カタクリの花が咲きました。

植え込みの陰でひっそり咲くので、うっかりすると見逃すのですが

今年はちょうどいい具合の時に見ることができました。

世間は桜騒ぎの真っ最中、世の中に絶えて桜のなかりせば。

喧噪をよそに、足元でつつましく咲くこの花が、私は好きです。

 

32.『国民の映画』

なんかいかめしいタイトルですが、三谷幸喜の芝居の外題です。

この芝居は、3年前の3月、新作として上演され、あの11日以降にもおさまらぬ余震の中、上演し続けたといういわく付きの作品。

私もチケットを取っていたのですが、計画停電により電車の運行が不安定で、泣く泣くキャンセルしたものでした。

おのれ東電、忘れるものか、あのロウソクと石油ストーブの日々を。

チケットを払い戻してくれたのは幸いでしたが、三谷作品はめったに再演がないのであきらめていました。

でも劇場側も三谷氏も、もう一度落ち着いて上演したかったんでしょうね。再演と聞いて勇躍チケットを確保しましたよ。

三谷作品ですから笑いが基調ですが、本作はタイトルの通りいささか重い内容です。

舞台は1941年のドイツ。ナチス一党独裁の絶頂期。宣伝相として有名なヨゼフ・ゲッベルズの別荘でホームパーティーが開かれる。

映画、演劇、音楽、ラジオ、新聞など、あらゆる芸術とメディアを監視・検閲する絶大な権力を握ったゲッベルズは、無類の映画マニアでもある。

彼は当代ドイツ最高のスタッフと役者を集め、大好きなアメリカ映画『風と共に去りぬ』を超える理想の映画、

全ドイツ国民が誇りに思える「国民の映画」を作ろうともくろんでいる。

その夜別荘に招待されたのは、伝説の名舞台役者から新進の人気俳優、トップ女優に新人女優、ベテラン映画監督にナチス御用達の女流監督、

反ナチスの国民的人気作家、そこになぜか紛れ込んでいる親衛隊隊長ハインリヒ・ヒムラー。

レニ・リーフェンシュタール、エーリッヒ・ケストナーなんて名前は、我々でも普通に知ってますね。

そう、この芝居に登場するのは、ゲッベルズ家の執事と、ゲッベルズの愛人である新人女優を除いて、すべて歴史上実在した人物。

ゲッベルズの計画を聞いて、映画関係者は色めき立つ。監督を、主演を、企画をと、我先に取り入ろうとする俗物ぶり。

一人ケストナーはシニカルな態度を崩さないが、ゲッベルズの妻・マグダとは過去に因縁がある模様。

執事のフリッツは黙々と騒がしい客たちの面倒を見、ヒムラーは唯一の映画オンチとして場違いな言動で引っ掻き回す。

そこへ招待されていないナチスの高官ゲーリングもやって来て、ことごとくゲッベルズをコケにする。これで役者がそろった。

三谷幸喜得意の、入り乱れる人間関係、役者の出し入れ、それぞれの事情はコミカルで、芸達者ぞろいの役者が笑わせる。

しかし、後半、映画とは別の恐ろしい計画が明らかになってくると、舞台は一変、重苦しい空気に覆われる。

 

ここから先、ネタバレされたくない方は読まないで下さい。

ゲッベルズ、ヒムラー、ゲーリングの間で話し合われるユダヤ人問題の「最終解決」。ユダヤ人を「物理的に殲滅」するためのガス室プラン。

これを知った映画人たちは一斉にドン引き。みな逃げるように去って行くが、トップ女優の不用意なひと言で、フリッツがユダヤ人であることが露見。

ゲッベルズはそれを承知で、映画通で優秀な映写技師でもあるフリッツを雇っていたが、

警察の全権を握るヒムラーの前にごまかしはきかない。フリッツは翌日収容所送りと決まる。

屋敷を去る準備のため、フリッツが自室に戻ると、ゲッベルズは大好きなエルンスト・ルビッチ(アメリカへ亡命したドイツの映画監督)の映画を観ようとするが、

映写機にフィルムをセットすることもできない。

ビシッとした執事姿から、胸にユダヤの星をつけたみすぼらしい上着に着替えたフリッツが現れ、映写の準備をする。

フリッツはユダヤ人でありながらゲッベルズに仕えていたことへの本音を語り、二人は黙って映画を見始め…暗転。

 

三谷氏は、これはあくまでもウェルメイド・プレイだと言っています。

たしかに前半の映画人たちのドタバタ、新人女優を巡る若手俳優とゲッベルズの恋のさやあて、マグダとケストナーのいきさつなど、

三谷氏らしい小ネタ満載だし、ファシズムの狂気というものは、チャップリンの『独裁者』のようにある意味滑稽ですらあります。

しかし、この芝居の中で「ヒットラー」という名前は一度も語られず、ナチス高官たちは「あのお方」としか言いません。

トップ女優、ツァラ・レアンダー役のシルビア・グラブを除けば出演者はみな東洋人ですから、

ドイツ第三帝国というよりも北朝鮮やオウム真理教を連想してしまいます。

そして、国際関係がギクシャクし、声高なヘイトスピーチが叫ばれる昨今、あらわになりつつあるレイシズム。

この時はまだ『アンネの日記』引き裂き事件の犯人も捕まっていませんでした。

フリッツの収容所送りが決まって、自室に戻るマグダの最後のセリフ「寂しくなるわ、いい人だったのに。…ユダヤ人にしてはね」。

単に「よくできた芝居」としてああ面白かった、では済まないものが観る者の胸に沈潜する舞台でした。

役者はほぼ完璧な名優ぞろい。ゲッベルズの小日向文世、ヒムラーの段田安則、フリッツの小林隆、ケストナーの今井朋彦、俗物監督ヤニングスの風間杜夫。

彼らは初演と同役。三谷氏は小日向文世に演技賞を取らせたくてこの芝居を書いたそうです。

いい人じゃない方の「黒小日向」ですが、やっぱり巧いよね。そしてなにより舞台俳優だなあ。

今井朋彦は巧い人だと思ってたけど、生で観るのは初めてかな? セリフと演技のあまりのキレのよさに改めてほおおお。

主役はゲッベルズだけど、後半からラストにかけては小林隆の独擅場。『新選組!』の源さん以来(笑)のハマり役。

段田安則は害虫のカイガラムシも殺せないのに、眉一つ動かさずユダヤ人虐殺を語る冷酷さが秀逸。

ゲーリングは渡辺徹。初演は白井晃だったそうで、ずいぶん印象がちがうんだろうな。いや、この人舞台俳優だったのね(失礼!)。

マグダは吉田羊。あの出演者全員罰ゲームみたいな朝ドラ『純と愛』で、唯一トクした人ですね。舞台でもそりゃあキレイです。

人気俳優フレーリヒは平岳大。最近とみにお父さん(平幹二朗)に似てきたなあ。姿と声の良さは親譲りかな。

伝説の名優・グリュンドゲンスに文学座の小林勝也。あ、今井朋彦も渡辺徹も文学座だ。

レニ・リーフェンシュタールはミュージカル女優の新妻聖子、新人女優のエルザは元AKB48の秋本才加。そして先述のシルビア・グラブ。

ずっと三谷芝居の劇伴でピアノを弾いてる荻野清子も演技に参加してるから、舞台には13人上がってるけど、俳優は12人。

12人の優しい日本人』じゃなくて、「12人のおかしなドイツ人」ですな。

パンフの中の対談で今井朋彦が「東条英機とかをメインにして軽いタッチで描くのはどうかと話したけど、それはまだ生々しくて難しい」

てなことを言ってましたが、たしかに関係者もまだ存命だし、思想的、政治的なもろもろがからんでうっとうしい。

時代は同じでもドイツを舞台に日本人が演じる、というのはテーマやキャラクターをシンプルに、スリム化できるうまいやり方かも。

これを欧米人の俳優で映画にしたら、いろいろ問題が多いだろうなあ。

などと、珍しく見終わったあともあれこれ考えてしまう作品でした。

今回はバイト先から直で行ったので、着物着てるヒマはありませんでした。大雨の日で、会場にも着物姿はいませんでしたね。

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