スタッフN村による着物コラム

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すっかり更新が滞ってしまいました。

いや、初夏はホントにあれこれ忙しくて。

我が家の一番古くて一番大きな梅の木に、どっさり実が成りました。

去年はほとんど実がつかなかったので、そのぶんまでカバーする勢いです。

しかもスモモですかあ?という大きさ。

これを味噌や醤油や酢に漬けて、梅味噌梅醤油梅酢を楽しみます。

さらに黄熟した実は梅干しに。

他にもジャガイモ掘ったり雑草抜いたり秋冬野菜の準備をしたり、

ああ忙しい。でもおいしいもののためなら頑張れます。

動機はすべて食い意地ですね。

 

24.5月の文楽鑑賞『一谷嫩軍記』『曾根崎心中』

いやもうすっかり古典芸能から遠ざかっちゃって、文楽も古典はまるっと1年ぶりです(去年の8月に三谷文楽は観たけど)。

文楽仲間のTさんが昨年一年間パリに行ってしまった(当サイト内あちこちに登場)こともあり、なかなか腰が上がりませんでした。

昨年末に帰国したTさんと久々の観劇です。

着物で出かけるのも久しぶり。5月は勝手に単衣月と決めているので、ぜんまい繊維入りの紬の単衣にしました。

母の箪笥から発掘した紋紗の羽織はこの時を逃すと機会がないので、待ちに待っての登場。

帯は交通機関の関係で時間が惜しく、1分で締められる半幅です。ヘビロテの八重山みんさー。

私はお太鼓というか、帯揚げが苦手で、いつもこれで時間を取られてしまうのです。最近いよいよ半幅ばっかりになってきました。

そのぶん羽織の登場機会が多くなるとも言えます。

襦袢は迷ったのですが、結局この時期便利な保多織のうそつき。足袋は川唐、草履はこれもヘビロテのカレンブロッソです。

5月も27日、晴れていたので暑いかと思いましたが、風もあり、紗の羽織はよく風を通して、脱ぐほどもでもなく快適でした。

さて、本日昼の部の演目は『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』と、近松門左衛門生誕360周年記念の『曾根崎心中』。

とくに『一谷…』は、歌舞伎で「熊谷陣屋」の段をよく観ていて、文楽では初めてなので楽しみにしていたのですが、

時間の都合でどうしても開演に間に合わず、国立小劇場に着いたのは1時間遅れでした。

平家追討の命を受けた源義経配下の熊谷次郎直実。一谷の戦のために、須磨に張った陣屋に妻の相模が訪ねてきます。

桜の花盛りの陣屋には若木を守るよう「一枝を伐らば一指を切るべし」との制札が。そこへ平経盛の妻で敦盛の母、藤の局が逃げ込んできます。

再会を喜ぶ旧知の二人ですが、藤の局は熊谷こそ息子敦盛の仇と、仇討ちの助太刀を相模に迫ります。

そこへ源氏方の梶原景高がやってきたので、相模は藤の方を奥へかくまいます。

ここまでが「熊谷桜」の段。まるっと見逃しました。

続いて「熊谷陣屋」。ここが歌舞伎でよく上演される段。4月の杮落し公演でも吉右衛門の熱演が評判でしたね。

熊谷は相模が女の身で戦場にしゃしゃり出て来たとプンプン。息子小次郎の身を案じる相模に、傷は浅手だともにょります。

しかし敦盛を討ったことを話すと、陰で聞いていた藤の局が飛び出し、刀を振り上げます。

藤の局と知った熊谷は飛び退り、敦盛最期の様子を物語り始めます。

私が会場に入ったのはまさにこのあたり。床では、美声の呂勢大夫が、相三味線の人間国宝・鶴澤清治と丁々発止の真っ最中。

歌舞伎でも義太夫でも、ここの「物語」が聞かせどころ。仁左衛門の名調子は大好きですが、やはり義太夫の分厚さも素晴らしい。

熊谷を遣うのは吉田玉女。夜の『心中天網島』では紙屋治兵衛ですが、やっぱりこの人はつっころばしより豪快な役が似合う。

相模はコワい顔して繊細な女方を遣う桐竹紋壽、藤の局は吉田和生。

さてストーリーは細かいことを言い出すとものすごく字数を食うので、ざっとかいつまみます。

熊谷が首実検の場に首桶を持って行こうとすると、御大将義経が自ら陣屋に現れ、その場で首実検となります。

熊谷が差し出した首を見て、相模も藤の局もびっくり仰天、その首は敦盛にあらずして熊谷の一子小次郎。

実は敦盛は藤の局が院に仕えていたときに身ごもった後白河院の落とし胤。

なんとしてもこれを助けたい義経は、「一枝を伐らば…」の制札で謎をかけ、熊谷はこれを正しく読み取り、

一子小次郎の首を敦盛の身代わりに差し出したのです。相模に「小次郎の傷は浅手」ともにょったのはここの伏線。

義経はすべてを承知でこれを敦盛の首と認めますが、熊谷は戦のむなしさがつくづく身にしみ、出家を願い出て許されます。

歌舞伎だと戦支度を解いたその下には剃髪したくりくり坊主と墨染めの衣が現れますが、

文楽は髷を切っただけの落武者ヘア。そのほうがリアルですわな。

そして歌舞伎との最大の違いは熊谷の述懐「十六年は一昔、夢であったなあ」です。

歌舞伎では熊谷一人が法体となって幕外に出て、花道で思い入れたっぷりに語ります。これがまた役者の見せ所。

文楽では相模に言い聞かせるように、義太夫の文脈の中でわりとあっさり流してました。そして相模と「夫婦連れ」という詞章があります。

歌舞伎では舞台に相模を置きっぱなしにして一人で出て行ってしまうので、

勝手に息子は殺すは、あげくにさっさと出家しちゃうは、なんちゅう自己中亭主かと思いますが、これなら納得。

主演の役者(だけ)をよく見せることを主眼とする歌舞伎と、文楽との違いがよくわかる場面です。

誰だか知らないけどこのセリフだけを抽出した人もエラい。いや、好きなんです、歌舞伎の演出。特に仁左衛門のつぶやくようなセリフ回しが。

この段の後半は英大夫と竹澤団七。

休憩はさんで、次は『曾根崎心中』。

去年の『其礼成心中』ではすっかりギャグにされてましたが、醤油屋の手代徳兵衛と天満屋の遊女お初の心中を描く近松の代表作。

初演で大当たりを取り、以後の心中ものブームの嚆矢となった作品ですが、なぜかその後は昭和30年まで上演されませんでした。

現行の脚本はその復活上演の時のもので、近松の原文とはやや違います。

大学時代に日文講読の授業で『曾根崎心中』を取ったのですが、心中場面のリアルな描写にびびったものです。

「この年月愛し可愛と締めて寝し肌に刃が当てられふかと」

「突くとはすれど切っ先はあなたへ外れこなたへ逸れ、二三度ひらめく剣の刃」

「あっとばかりに喉笛にぐっと通るが“南無阿弥陀、南無阿弥陀仏”とくり通しくり通す腕先も、弱ると見れば両手を伸べ断末魔の四苦八苦」

「剃刀取って喉に突き立て、柄も折れよ刃も砕けとえぐり、くりくり目もくるめき、苦しむ息も暁の知死期につれて絶え果てたり」

どうです、スゴくないすか?

さすがに現行台本にこの描写はないです。脇差しを抜いて、あとはなんか抽象的な文章でおしまい。

ところがね、リアルにこれやっちゃった映画があるんですよ。増村保造監督の『曾根崎心中』、主演は宇崎竜童と梶芽衣子。

昔テレビで見て、たしか映画デビューの宇崎竜童の棒演技もスゴかったけど、「うわー、心中場面、原文通りじゃん」とこれもびびりました。

文楽や歌舞伎を見る前にこれ見ちゃったんで、トラウマになってます。

でも梶芽衣子はホントに綺麗だったなあ。目がくりっとして、人形みたいだった。そう言えば夜の部の『心中天網島』も映画がありますね。

こちらは篠田正浩監督で中村吉右衛門と岩下志麻。岩下志麻が遊女小春と女房おさんの二役なんだけど、小春はやっぱり人形みたいだった。

この写真は小春です。

作風は全然違う2作ですが、監督は主演女優に文楽人形の美しさを求めたのかもしれません。

だって文楽人形って生身の人間では絶対にありえない美しさなんですもん。

じゃあ、歌舞伎ではどうかというと、お初役は坂田藤十郎の専売特許というのが困りもの。

いや、藤十郎はスゴイ役者ですよ、でもあのたっぷりとした腹回りに抱え帯を締めて、しばらく会えなかった徳兵衛から

「そなたは少しやつれたような」などと言われると、思わず客席から失笑が。徳兵衛もぷっくり肥えた息子の中村翫雀だし。

初演で父親の二代目鴈治郎と演じた時はそりゃあ綺麗だったらしいんですが。写真で見てもホント綺麗。

というわけでね、近松の心中ものは文楽で見るのが一番いい、ってことになるんです。

まして今回、お初を遣うのは女方の第一人者・吉田蓑助。徳兵衛は硬軟男女なんでもござれの桐竹勘十郎。こりゃベストでしょう。

今回は生玉社前の段、天満屋の段となぜか黒衣(黒い頭巾で顔を隠す)で、出遣い(裃姿で顔を出す)ではなかったのですが、

このお初の嫋々たる色気、蓑助しかあり得ない。黒衣か出遣いかの選択基準は未だに私はわからんのですが。

徳兵衛は主人の姪との縁談を嫌い、継母が受け取った結納金をなんとか取り返して主人に返そうとしますが、

悪友の九平次に頼み込まれてその金を貸してしまいます。約束の期日が近づき、徳兵衛が返済を迫ると

九平次はそんな金を借りた覚えはないとシラを切り、あげくに徳兵衛を衆目の中でさんざんに打擲。

恥と絶望に打ちのめされ、天満屋に忍んで来た徳兵衛を、お初は打掛の裾に隠して店の縁の下にかくまいます。

そこへ千鳥足の九平次がやってきて、徳兵衛の悪口三昧。

怒りに震える徳兵衛を足で押しとどめながら、独り言を装って死ぬ覚悟を問うお初に、徳兵衛はお初の足首をのどに当てて答えます。

徳兵衛が死んだら自分が可愛がってやるという九平次にお初は

「徳様と離れて片時も生きていると思うていやるか、どうで徳様一緒に死ぬる」と啖呵を切ります。カッケー。

床下の徳兵衛はお初の足を抱きしめて男泣き。この「天満屋の段」が最大の見どころです。

文楽の女人形には通常足がなく、着物の裾を折り畳んで足を表現しますが、この演目に限り足をわざわざつけてこの場面を演じるのです。

床下で女の素足を抱きしめて泣く男、うっとりと目を閉じて恍惚の表情を浮かべる女。人形ならではの硬質なエロチシズムが漂います。

いや、この段、人形遣いは最高の配役だったのですが、床のほうは源大夫と鶴澤藤蔵親子。

源大夫は2人しかいない国宝大夫の一人なんですが、声が小さくくぐもっていて聞き取りづらく、私はいつも寝てしまうんです。

襲いくる睡魔と戦いながら、人形の名演を見届けようと頑張りましたが、ところどころ轟沈。やっぱり文楽は大夫次第だなあ。

この後は「天神森の段」で、大夫も三味線も5人ずつ、あの道行きの名文を大合唱。

「この世の名残、夜も名残、死にに往く身をたとふれば、あだしが原の道の霜、一足づつに消えてゆく夢の夢こそ哀れなれ」

「あれ数ふれば暁の七つの時が六つ鳴りて、残る一つが今生の鐘の響きの聞き納め、寂滅為楽と響くなり」

古典芸能にさっぱり興味のなかった二十歳の学生の私でも、この名文にはしびれました。暗唱しちゃったくらいです。

それから三十有余年、節付き、三味線付きで生きた芸能として味わえる有り難さ、南無阿弥陀仏…。

そしてお初徳兵衛は曾根崎の森の雫と消え、未来成仏疑いなき恋の手本となりましたとさ。

しかしまあ、大夫の善し悪しはおいといて、吉田蓑助は今見るべし。これぞ国宝、文化遺産。

桐竹勘十郎との師弟コンビは絶好調です。生身の芸はうつろいやすくはかないもの。見られるときに見なけりゃもったいない。

この日は千秋楽だったこともあってか、平日の昼間ながら満員御礼。いや、千秋楽でなくても東京じゃたいてい満員ですが。

そうそう、ロビーに『其礼成心中』再演のポスターが貼られていました。

昨年この欄で、古典芸能の新作は再演を重ねなければ意味がないと申しましたが、我が意を得たり、の感あり。

頑張れ文楽協会、無粋無教養な行政に負けるな。面白い、素敵な公演をこれからも頼むぜ! と思わず拳を握りしめました。

拳を握りしめたまま、時間も半端なので佃島のTさん宅へ移動し、パリから送ったワインと、私が青梅から送った野菜で乾杯。

ちなみに冒頭の写真はTさん宅のベランダで撮影しました。高層マンションの25階からは真正面にスカイツリーがよく見えます。

そういえば、ナマでスカイツリーの全容を見るのは初めてだったかもしれません。

いやはや、東京都在住のおのぼりさんですわ。んとに。

 

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