スタッフN村による着物コラム
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いや、異常気象ですねえ。
異様に暑かったり、急に寒さがぶり返したり、何週間も雨が降らなかったり。
今年は近所でもタケノコが出ない、マズい、出てもイノシシにやられてしまうとの声しきり。
私は毎年我が家の空き地に生えるフキでキャラブキを作るのですが、
今年は生育が悪く、育っても硬く、例年のようにはうまくできませんでした。
それでも花は咲きます。ご近所のシャクナゲの群れが見事な花をつけました。
もう、初夏ですね。
23.久しぶりの結婚式
ちょっと前の話ですが、2月に甥(姉の長男)の結婚式がありました。
甥たちはもう1年くらい一緒に住んでいるので、簡単に済ませるのかと思ったら、ちゃんと神社で神前式を挙げて、ホテルで披露宴もやるといいます。しかも由緒ある湯島天神で。
湯島天神と言えば『婦系図〜湯島の白梅』、「別れろ切れろは芸者のときに言う言葉」というセリフがすぐに頭に浮かんでしまう私ですが、
縁起でもないので黙ってましたw。
大学の同級生で、学生の時からずーっとつきあってて、バンド仲間でもあるという30歳同士。
しかも新婦は新郎より背が高く、剣道三段で、普段からまったく化粧っけもなく、大型四駆を乗り回すオットコマエな岩手出身のお嬢さん。
ちなみに新郎はその四駆の助手席でちんまりしているペーパードライバーで、優しいのが取り柄の典型的な草食男子。
それが文金高島田に白無垢と紋付袴でカケマクモカシコミとは、なかなかコンサバティブなことで。
我が家としては弟以来20年ぶりの結婚式です。
とはいえ、弟の時はちっちゃなブライダルホールみたいなところで家族だけの人前式だったし、
もっと前の姉の時は市民ホールみたいなところで、何よりあんまり昔でどんなことをやったか覚えてません。
そして私は結婚自体してないし、ちゃんとした神社で挙げるちゃんとした結婚式に出席するのは初めて。ちょっとワクワクです。
新郎の母たる姉はまあ当然黒留袖ということになりますが、当初は貸衣装で済まそうとしていました。
しかし姉の結婚式のときに仕立てた亡き母の留袖と袋帯がいい状態で発見され、これを仕立て直すのとどっちがいいか悩み始めました。
仕立て直しマニアの私としては、それは当然仕立て直すべきだと主張。姉は母に似て小柄なのでサイズもそれほど問題ないし。
しかしコスパの面でどうなのか。次男のときにまた着ればいいじゃん、と言うと、次男が結婚するかどうかはわかんないと言う。
それじゃ私が知り合いの呉服屋さん(kimono gallery晏のことですがw)に着物と襦袢を送って見積もり取ってもらうよ、ということになりました。
で、なんだかんだで貸衣装代とそう変わらない費用で直してもらえることになり、それならと一件落着。空の上で母も喜んでくれるでしょう。
着物を送ったとき12月に入っていたのに、1月の下旬にはもう仕上げてくれました。
広げてみると、あれ?もとは裾綿が入ってたけど、これは入ってない。問い合わせると、最近はほとんど入れないんだそうです。
母が仕立てたのは30数年前ですから、こういうものにも時代の流れってあるんですねえ。
姉が母の留袖ということで、私も母の帯を使うことにしました。
母がお嫁入りのときに締めたという丸帯を、京都のカクマさんで二部式袋帯に直してもらったもの。
吉祥柄まみれの大変めでたい、また古風な帯なんですが、ところどころ糸が切れたりして、そろそろお役御免かなと思ってました。
まあこちらは60年近く経ってますからね。最後のお勤めかな、と帯締めだけは新調して、こちらも母親孝行です。
着物は色留袖も訪問着も持ってないので、一つ紋の黒地極鮫小紋。思いっきり地味ですが、帯が派手だからまあいいか。
で当日。晴れ上がってはいますがものっそい寒く、風も強い。式場は神社の本殿ということで、おそらく吹きっさらしでしょう。
格式ある神社ならなおのこと。これはがっちり固めねばと、例によってヒートテックのタイツと長袖シャツ、足袋はソックスと重ね履き。
いつもは嘘つき襦袢だけど、さすがに正絹の長襦袢を着て、さらにステテコと裾除けもつけて。
長羽織にマフラー巻いて、披露宴会場のあるお茶の水に降り立てば、ますます寒風が吹きすさんでます。
ホテルに入るとまもなく新郎新婦がロビーに登場。白無垢に綿帽子の花嫁さん、ほほう、いつものオトコマエが今日は一段とデカ…いや、キレイ!
新郎も黒紋付に仙台平の袴でシックに。演歌歌手みたいな白紋付にキンキラの袴じゃなくてよかった。その今風の眼鏡はどうよ、って感じですが。
親掛かりで人並みの式は挙げますが、つましいところはつましくて、
式場丸投げじゃなく、貸衣装もあれこれ調べて生協かなんかで割安に借りたんだそうです。甥姪、GJ!黙ってりゃわからないからな!
さて、列席者はバスで坂の上の神社に移動ですが、新郎新婦はここから人力車に乗って行くんですと。車夫の人、ご苦労様。坂、けっこうキツいよ。
バスの車窓から見ていたら、綿帽子が風で吹き飛ばされそうになってます。いやいや、新郎新婦もなかなかにご苦労さん。
式場の湯島天神の門をくぐると、早咲きの梅が満開で、梅祭りの最中。観光客でごったがえしてます。
案の定、控え室から本殿に向かう回廊はさながら花嫁さんオンステージ。しずしずと進めば観光客から歓声が上がり、シャッターが次々と切られます。
見ず知らずの人たちなのに、なんでみんなこんなに花嫁さんが好きなんでしょうね。
そしてこちらも案の定、寒風吹き抜ける吹きさらしの本殿。防寒対策、大正解でした。
神主さんの祝詞、巫女さんのビミョーな感じの舞に続き、三三九度。列席者も白木の折敷に載せられた杯にお神酒を注がれ、一緒に杯を干します。
新郎新婦は本殿の奥の方で玉串を奉納したり、誓いの言葉を述べたりしてるんですが、外側の席の私は庭の騒ぎが気になって仕方がない。
本殿では笙ひちりきの厳かな調べが生演奏、庭からは薩摩琵琶だが平家琵琶
だかの生演奏が聞こえてくる。
参拝者はひっきりなしにお賽銭を投げ、柏手を打つ。なんだか自分たちが神社の備品になったような気分です。
式が終わると庭に出て記念撮影。ここでもまた観光客大喜び、シャッター切りまくり。
青空、満開の梅、白無垢の花嫁さん、まあ、赤の他人でも見ていて幸せな気分になるのはよくわかります。
かつて観光地の神社で何度か結婚式に遭遇しましたが、やっぱりガン見しちゃったもんなあ。
新郎新婦は再び人力車に乗せられ、今度は坂を下ってホテルへ。我々もバスに乗り込みます。
車窓からふと次の組の花嫁さんが門をくぐって行くのを見て一同仰天。
衣装は白無垢なんですが、頭はウエディングドレス用みたいな盛り盛りアップで脇の方にでっかい造花をつけています。
新郎側親族(つまり私たち)は口が悪いので、「わー、何だあれ、カッコワリー」「いや白無垢にはやっぱ高島田っしょ」「なんかどさ回りの演歌歌手みたい」
と口々に勝手なことを言い合っていると、新婦側は笑いをこらえるのに必死。
いやしかし、どういう事情があったのか、また最近はああいうのもアリなのか、いまだに謎なんですが。
披露宴会場のホテルに着くと、友人や会社の人たちが集まっていて、三々五々談笑していますが、圧倒的に男ばっかり。
新郎新婦が大学の同級生で、しかも理系なので、共通の友人が男だらけ。新婦の出身地が遠方なので地元の友人なんかも呼ばれてない。
新郎は高校が男子校、大学が理系で、そもそも女友達なんて新婦くらいしかいなかったらしい。
若い女性は新婦の会社の後輩などほんの4、5人で、着物姿は一人だけ。その子も受付を頼まれたので仕方なく、らしいです。
今風のシックな振り袖でしたがそれにしても一人とはサビシイ。
披露宴では赤の打ち掛けにお色直しして、さあ新郎新婦の入場、って曲がエレファントカシマシ。じぇじぇ。
次甥に「エレカシで入場ってアリか?」と訊くと「あの人たち変わってるから…」と苦笑い。
まあ、甘ったるいラブソングじゃないところは評価しよう。
スピーチを聞いていると、新婦が学校では後輩に頼りにされ、職場では周囲に期待され、あげくは「結婚しても辞めないで」と上司に懇願され、
いかにオトコマエかがよくわかります。
新郎は…うーん、素直で優しくていいヤツ、なんだな。
地方出身のガッツある女子と、東京(郊外ですが)出身の優しい草食男子、今どきっぽい、これで案外いいカップルなのかも知れません。
さて、50人くらいのこぢんまりした披露宴でしたが、新郎新婦とその母親たちを除き、
着物だったのは受付のお嬢さんと、私と、姉の義妹(ダンナの弟の嫁さん)だけ。
全招待客中3人。まあ、新婦側は遠方だし、招待客のほとんどが男性だったりといろいろ事情はあるにせよ、
ささやかながら着物に関わってる人間としてはちょっとサビシイです。
普段Tシャツにジーンズの女子がやっぱり白無垢に高島田で式を挙げたいと思う反面、
招待される側の礼装はどんどん着物から遠ざかっている感じ。
…なーんてエラそうなこと言ってますが、これまで何十回となく結婚披露宴に招ばれたなかで、着物で出たのは初めてです。
はい、着物の礼装、ハードル高いです。
決まり事も多いし、それを無視するとみっともないような気がするし、なんだか不安だし、じゃあ洋装でいいや、ってことになりがちですよね。
既婚女性の第一礼装とされる黒留袖を着ることはこれからもないと思いますが、じゃあ、未婚者の礼装ってどうすりゃいいんでしょう?
未婚女性の第一礼装は大振り袖らしいですが、まさか50振り袖はあり得ない。
まあ、当然仲人の機会はないし、叙勲や園遊会も絶対ない(笑)から、別に悩まなくてもいいんですけどね。
やっぱり着物はお気楽なカジュアルシーンで着るのが一番いいや、と逆説的なことを思った私でした。
ちなみに新婦は岩手でも内陸の出身で、驚いた時は「じぇ」じゃなく、「じゃ」と言うそうです。じゃ。
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