スタッフN村による着物コラム
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長くて寒い冬が終わり、一気に春が押し寄せてきました。
我が山里でも待ちかねたように梅の花が一斉に咲き始めています。
でも、青梅というだけあって、そこいらじゅう梅だらけなので珍しくもなんともない。
今回は我が家の庭で早々と咲いたアネモウヌ(森茉莉風に)の写真にしました。
つい数日前まで氷点下の冷え込みだったのに、気の早いヤツ。
まだまだ霜のおりる日もあるでしょう。寒さにやられませんように!
21.市川團十郎のこと、など
なんということでしょう。中村勘三郎の死がまだ現実のこととは思えないのに、市川團十郎も亡くなるなんて。
昨年末の南座を途中休演したと聞いていましたが、それにしてもあまりに突然のことに驚きました。
もちろん、ここ数年、白血病と闘いながらの舞台でしたから、決して楽観できる状態ではなかったのでしょうが。
しかしびっくりするのはその重病と闘っていた役者のスケジュールです。
3月に予定されていた『オセロ』は生前に断腸の思いであきらめたそうですが、4月から6月まで歌舞伎座の杮落し公演がぎっしり。
しかも6月なんて『助六』ですよ、2時間近く舞台に出づっぱりの。
2月21日になってやっと配役変更が発表されましたが、松竹のHPには2週間以上もむなしく團十郎の名が掲載されていました。
いったい興行側は團十郎の、いや、役者全体の健康状態をどう考えていたのだろうと疑問に思ってしまいます。
などとエラソーに言いつつ、実は團十郎の舞台はあんまり観てません。
勘三郎の項でも書きましたが、仁左衛門の追っかけだったので、あくまで他の役者は仁左衛門のついでなんですね。申し訳ない。
それでも、マイベスト『勧進帳』は京都南座で観た團十郎弁慶、仁左衛門富樫、菊五郎義経トリオです。
『勧進帳』の弁慶は頭脳派っぽい仁左衛門、深刻そうな幸四郎、ひたむきな松緑、小粒ぴりりの三津五郎などいろいろ観ましたが、
大らかで剛毅な團十郎の弁慶、情深く誠実な仁左衛門の富樫、華やかな菊五郎の義経、これが極めつきでした。
また、玉三郎のお嬢、仁左衛門のお坊、團十郎の和尚という三人吉三、これも極めつきだったなあ。
エロエロでひ弱なお嬢とお坊に頼りがいのある兄貴分、って感じでした。
さて、私の貧弱な観劇歴はさておき、團十郎の不在は、勘三郎の不在と少々意味が異なります。
あえて「十二世市川團十郎」と書かなかったのは、團十郎とは個人ではない、という意味を込めたかったからなのです。
数ある歌舞伎の名跡の中で、十代以上を数えるものはそう多くありません。
中村勘三郎が十八代、市村羽左衛門が十七代、守田勘弥が十四代(現在はすべて不在)ですが、
この三つは実は座元(興行主)の名前で、そのすべてが役者だった訳ではない。
そして勘三郎家は、三代目中村歌六の三男である先代が、松竹預かりとなっていた名跡をもらう形で襲名したもので、
先代が新たに興した家と言ってもいいでしょう。
仁左衛門は十五代ですが、これは上方の名前です。
市川團十郎は、現在まで連綿と続いている江戸歌舞伎の純粋な役者名で、最も古い名跡なのです。
團十郎家は初代が元禄時代に荒事という新しいジャンルを創出し、二代目がそれを大成させ、四、五代目が受け継ぎ(三、六は早世)、
幕末期の大立者であった七代目が、歌舞伎市川流宗家を名乗り、家の芸としての十八演目を選んで、これを「歌舞伎十八番」として制定します。
八代が早世したあと明治の「劇聖」とまで言われた九代目に至ります。
その間に御一新があり、明治時代になると歌舞伎は猥雑で低級なものと指弾され、時代遅れ扱いされ始めました。
九代目は座元の守田勘弥らとともに「演劇改良運動」を始め、明治天皇の御前で『勧進帳』を上演、歌舞伎は立派な芸術であると世間に認めさせたのです。
そしてこの頃から歌舞伎が古典化し始め、演出も多く九代目のものが固定化していったようです。
浅草の浅草寺本堂裏に巨大な『暫』の像がありますが、あれは九代目の舞台姿をかたどったものです。
十代目は九代目の娘婿、銀行員から歌舞伎役者になった人で、役者としては大成せず、死後十代目を追贈されました。
しかし研究熱心で市川宗家の権威を守り抜き、次代にバトンタッチを果たした功績は大きいとされています。
そして太平洋戦争をはさんで、戦前の名優が相次いで没し、世代交代が進むなか、ひときわ光彩を放ったのが、
團十郎の後継者として松本幸四郎家から養子に迎えられた九代目市川海老蔵、後の十一代目團十郎です。
このあたりのことは十一代目(の妻)をモデルに書かれた宮尾登美子の『きのね』が抜群に面白い。
興味のある方はぜひご一読を。役者の名前や屋号がていねいにもじってあって、これは誰のことだろうと類推するのがまた楽しい。
たとえば松本幸四郎家の本姓は「藤間」ですが小説では「菊間」で、屋号の「高麗屋」は「白木(しらぎ)屋」。
「高麗(こうらい)」じゃなくて「新羅(しらぎ)」かよ!と思わず膝を打ったものです、ってそれは余談。
十一代目は30歳で海老蔵を襲名していながら、大きすぎる名前のプレッシャーからなかなか團十郎を襲名せず、
53歳のとき、ようやく九代目没後59年ぶりに新しい團十郎が誕生しますが、癌に冒されわずか3年半で没。
このとき十二代目はまだ19歳。これだけの歴史を背負って、團十郎となるべく運命づけられた青年の苦労は想像を絶します。
十代目海老蔵を経て1985年に38歳で十二代目市川團十郎を襲名。享年66ですから30年に満たなかったのですね。
十二代目の人となりは、親しかったという作家の松井今朝子さんのブログによくうかがえますが、その人柄、芸風はともかく、
「團十郎は個人ではない」というのは、いわば「團十郎機関説」のようなものです。
世阿弥の『花伝書』に「家、家にあらず、続くをもって家とす」とあります。
芸の家は血統じゃなく、芸が続いてこそ家である、と。
十二代目はインタビューで、今度生まれて来るときには「市川團十郎」にだけは生まれたくない、と言ったとか。
それほど重い名前なんですね。
ちなみに「歌舞伎十八番」は市川宗家の者しか演じられない、というわけではありません。
中でも『助六』『勧進帳』『鳴神』などは人気演目ですから、しょっちゅう誰かが演じてますが、
それでも市川宗家は特別、ということがたくさんあります。
『助六』の正式タイトルは『助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)』ですが、これは市川宗家が演じる場合だけで、
他家の役者のときは演題が変わります。
Ex.菊五郎なら『助六曲輪菊(すけろくくるわのももよぐさ)』、仁左衛門なら『助六曲輪初花桜(すけろくくるわのはつはなざくら)』。
また、助六の出の時の音楽は宗家の時は「河東節」で、御贔屓連中(つまり素人)が(わざわざお金を払って!)演奏します。
これも他家ならプロの清元や長唄です。
他にも独特の型(演出)や、髷や衣装デザインや、「にらみ」や、
細かいことを言えばキリがないのですが、要は江戸時代の歌舞伎を今に伝える重要な資料の固まりだってことです。
十二代目が長命したとして、人間国宝になれたかどうかはわかりませんが、家自体、團十郎の名跡自体が重要無形文化財みたいなものなんです。
幸い、海老蔵という立派(かどうかはおいといて)な跡取りを残してくれましたから、家系そのものは大丈夫。
この上はこの跡取りがいかに精進して、立派な「十三代目團十郎」になってくれるか、家の芸を子々孫々まで伝えてくれるか。
そこんとこが他家の御曹司とアノヒトとの違いなんですよね。いち歌舞伎ファンとしては、よろしく頼んます、と祈るような気持ちです。
悲報続きの歌舞伎界ですが、尾上菊之助と中村吉右衛門四女の瓔子さんとの、世紀の政略けっ…もとい、ビッグカップルも誕生。いやめでたい。
今後の歌舞伎界の弥栄(いやさか)を、願ってやみません。
なんだか辛気くさい話になっちゃいましたが、落語の方は2月11日、隣町のあきるの市・秋川キララホールで木久扇、雲助、喬太郎の会があったので、20分ほど車を走らせて出かけました。
去年ここでさん喬・権太楼・白鳥の会があったんですが、700人のキャパに客は100人くらい。あれは寒かった。
今回はさすが笑点メンバーの御威光か、客席はほぼ埋まってます。ほっ。
前座の林家けい木は『やかん』。20分以上は長い!前座は15分でさくっと切り上げていただきたい。
このメンツだと最初に上がるのは喬太郎ですね。三重県から近鉄、JRを細かく乗継いで、秋川にたどり着いたマクラで笑わせ、
長逗留の客に宿賃の催促をする亭主…「お!『竹の水仙』か!?」と思ったら、客が屏風に絵を描き始めたので『抜け雀』でした。
東京も青梅や秋川あたりだと田舎扱いで客をナメてんじゃないの?という噺家もままいますが、そんなこともなくきっちり大ネタ。
後ろの席の客が「見たことない人だけどさすがベテランは上手いな」って、そりゃ笑点には出てないけどね。
ちなみに白髪メタボの喬太郎、いくつだと思われてるんだろう。昇太より年下だって言ったらびっくりするだろうな。
次は五街道雲助。今一番円熟している一人でしょう。いつもオシャレな着物姿です。この日は焦げ茶に霰の散ったやわらかものでした。
ネタは『お見立て』。うーん、この前のたい平とかぶるなあ。ちょっと残念。
喜瀬川花魁のキャラクターがたい平のより年増っぽくなって、それがまた色っぽい。たいへん結構でございます。
ここで時間切れ、5時までに帰宅しなければならないので、木久扇はぶっちぎってホールを出たら、そんなヤツは私一人。
ホールの係員がびっくりしてましたが、いや、この二人のあとに木久扇聞いてもな、とツウぶってみたりして。
やっぱり田舎では笑点メンバーは強い! ってなんだ、やっぱ田舎なんじゃん。
演歌ウォッチングもちょっこしレポ。
最近びっくりしたのは藤あや子。『浮雲二人』という新曲で、黒の長羽織で出てきましたよ。
金糸の刺繍は入ってるけど、豪華な袋帯を黒羽織で覆ってしまうのは実に贅沢でよかったです。
曲想からして林芙美子、昭和レトロ、のイメージなのかな。演歌歌手の長羽織、初めて見ました。
神野美伽は相変わらず吹っ切れてます。ある番組のメインコーナーでは、山吹色の色無地に黒地の織帯。
もう派手なんだか地味なんだか。
こないだは笠置シヅ子の『買い物ブギ』を歌う時、朱とアイボリーの棒縞お召しになんかカラフルな帯だと思ってよく見たら、
ビートルズの4人の顔をウォーホル風のイラストでカード状に散らしたプリント。あんたまさかそれ、コットンじゃないだろうね!?
それに★の帯留。もうテレビに向かって拍手しちゃいました。
この時も曲に合わせて激しく飛び跳ねてましたが、決して裾が乱れないんですよ。
男歌が多いのでスローな曲でもぐわっと膝を割ったりしますが、多分日本舞踊、しかも男踊りの素養がかなりあるんだと思います。
ジャンルは何であれ、芸達者でセンスの良い人はホントに見ていて気持ちがいいですね。
今回はビジュアル要素なしですいません。次はもうちょっと華やかなネタ探します。
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