スタッフN村による着物コラム
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いきなりアホな写真ですいません。
ご近所で、こんなのができちゃった、といただいたニンジン。
目と口と鉢巻きをつけたらタコになってしまいました。
撮影後、しっかり食しましたが、フツーにニンジンの味…って当たり前か。
ばかに暖かい日があったり、寒さがぶり返したり、
不安定な気候ですが、季節は確実に春に向かっています。
小さな春シリーズ(笑)、今回はふきのとう。
昨年は3月更新分でアップしてますから、3週間くらい早いですね。
摘むのがかわいそうなくらい小さいのですが、実はこれくらいが食べごろです。
今夜のおつまみになってしまう前にパチリ。
20.『道成寺』の披(ひら)き
今回はお能です。
古典芸能好きではありますが、最難関は能です。
狂言は大丈夫なんですが、能を観に行ってまともに起きていたことがありません。
だいたい上演時間の半分は爆睡という落第生ですが、今回は特別。
大学の先輩の息子さんが能楽師になり、『道成寺』を披く(初演する)というのです。
『道成寺』は歌舞伎舞踊『京鹿子娘道成寺』の元曲で、有名な「安珍清姫」伝説に基づく話。
数ある能の中でも最も重い曲のひとつで、これを演じて一人前と言われているそうです。
上演時間も長く、厳しい決まり事が多く、スペクタクルもあるという難曲。
昔は五十代、六十代になってやっと披きを許されたものだとか。
今回演じる川口晃平さんはまだ三十代。1年以上も前に日程が決まり、その間厳しい稽古を重ねて来たとのこと。
そして昨年11月18日、東中野の梅若能楽学院会館にちょっとドキドキしながら出かけました。
能に関しては先輩格の近藤ようこさん、そしてkimono gallery晏店長の冨田も
高松から駆けつけました。
この日は能三番、狂言一番、間にお仕舞もいくつか入る長丁場。
最初は『安宅』。これも角当直隆さんの披きだそうです。
歌舞伎の『勧進帳』の元曲で、鎌倉幕府に追われる義経一行が安宅の関をいかに突破するかというお話。
現在進行形の話なので、舞台の上にやたらいっぱい人が出てきます。
そして全員直面(ひためん)といって面をつけません。一般的な能のイメージとだいぶ違います。
義経も最初に登場し、子方(子役)が演じます。歌舞伎だと最初から強力(荷物持ち)に身をやつしてますが、こちらは立派な武将姿。
弁慶の計略で強力に姿を変えるというリアルな演出。
歌舞伎の『勧進帳』が好きなので、違いをじっくり味わいたかったのですが、朝早かったためあえなく沈没。後半は爆睡してしまいました。
勧進帳の読み上げも義経打擲の場面も見逃しちゃったよorz。
続いて仕舞が三番。あとで『道成寺』を舞う川口さんが地謡に出て来てびっくり。自分のことだけにかまけてられないのね。厳しいなあ。
ここで休憩。ロビーはやはり着物姿が多いです。
次は狂言『伊文字』。
主人が清水寺のお告げで妻と決めた女に「恋しくば尋ね来てみよ伊○の国…」と歌いかけられた従者、○からあとがどうしても思い出せない。
道行く人を捕まえては伊の字のつく国名を尋ねまくるが、伊予とか伊賀とかけっこうあってなかなか正解の伊勢にたどりつかない。
演者は大蔵流山本家の則俊さんと泰太郎さん。人間国宝・山本東次郎さんの弟さんと甥御さんです。
話がナンセンスなのに演者はにこりともしない大真面目なギャップが山本家の狂言の面白さ。
台詞も独特の抑揚と朗々たる発声が聞き取りやすく、もちろん寝ないで堪能しましたよ。
次は人間国宝・梅若玄祥師の『菊慈童』。大鼓(おおかわ)の亀井忠雄さんとダブル人間国宝の威力をもってしても睡魔には勝てず、轟沈。
玄祥師の大口袴の裾が擦り切れていて、えらく年代物の衣装だなあ、と思ったことしか覚えてない…。
ついに次のお仕舞はパスしてロビーに脱出してしまいました。『道成寺』で沈没したら目も当てられないし。
ロビーに出たら川口さんの関係者たちが英気を養ってました。思うことはみな同じ(笑)。
コーヒーを飲んで気合いを入れ直し、いよいよお目当ての『道成寺』。
設定は安珍清姫伝説の後日譚。蛇体となった清姫が焼き尽した鐘が再建され、その鐘供養の日の出来事です。
まず狂言方の手で人の背丈ほどの大きな張り子の鐘が運び込まれ、舞台の中央に吊り上げられます。
梅若会の道成寺では必ず山本家の方々がこれを勤めるそうです。
能舞台の天井と後方の柱には、この演目の鐘を吊るためだけに滑車と金環が取り付けられています。
長い竿で天井の滑車にに綱を通し、数人掛かりでぎりっ、ぎりっと鐘を吊り上げて行くと、場内の空気がぴーんと張りつめてきます。
そうです。もう能は始まっているのです。
天井から半分ほどの高さに鐘が吊り上がると、綱は後方の柱の環にいったん結びつけられます。
そして囃子方、地謡の他に、さらにたくさんの人が出てきます。おっと、梅若玄祥師まで!
道成寺には演者以外に重要な役目があります。後半、シテ(主役)が鐘の中に舞いながら飛び込む場面がこの演目のクライマックス。
このとき、シテがジャンプするタイミングに合わせて鐘を落とす役目が「鐘後見」といって、ベテランでなければ勤まらない役。
張り子とはいっても数十キロもある鐘ですから、下手をすると首の骨を折る危険すらあるのだそうです。
逆に、シテのジャンプと鐘の落下がうまく合い、シテの姿が鐘の中に吸い込まれ、一瞬消えて見えれば大成功。
今回の鐘後見は玄祥師自ら勤められるようです。さらに先輩方が4人。
そして小鼓との一騎打ちとなる「乱拍子」も緊迫感あふれる見所とされていますが、私は以前その最中に寝てしまった前科者。
今回は大鼓を能楽界屈指のイケメン・亀井広忠さんが勤めることだし、がっつり起きてますとも。
まずワキの僧が登場し、狂言方の寺男に今日の鐘供養は訳あって女人禁制である旨を告げます。
そしてシテの白拍子が「作りし罪も消えぬべし」と謡いつつ登場。鐘の供養に舞をひとさし舞いたいと願います。
美しい白拍子の頼みに、ついその願いを聞き入れてしまう寺男。
実は白拍子はかつてこの鐘に逃げ込んだ男を焼き殺した大蛇の化身。妄執いまだ醒めやらず、再び鐘に恨みを晴らすべくやって来たのです。
小学生の頃から知ってる青年が舞う道成寺、それだけでもドキドキものですが、
また広忠さんの掛け声が「イヨオーッ」、「ハアーッ」ともう裂帛の気合いで、寝るどころじゃありませんw。
続いて舞う乱拍子という舞は実に異様で、静止しているかと思えば急に動き、
小鼓の鋭い音と、演者の動きに伴う衣擦れや中啓(扇)や足拍子の音だけがしんとした場内に響きます。
舞の巧拙は私にはわかりませんが、女の妄念がきりきりと鐘一点に集中していく緊迫感は伝わってきます。
そしてだんだん謡もテンポが上がり、舞は「急の舞」という激しいものになり、
白拍子は鐘の真下に進みます。
その間に舞台後方があわただしくなります。
それまでじーっと座っていた鐘後見たちが結びつけた綱をほどき、運動会の綱引きよろしくガッキと綱を引き絞ります。
謡は「思えばこの鐘恨めしやとて、竜頭に手をかけ飛ぶとぞ見えし」、そしてシテは鐘に手をかけジャーンプ!
鐘後見が手を放す、鐘落下、謡「ひき被きてぞ失せにける」、鐘ずうーーーん。
思わず手に汗握りましたが、消えた!消えたよ!一瞬シテの全身が確かに消えました!
さて。落ちた鐘の前でワキの僧が寺男になんで女人禁制と言ったのか、その訳を語ります。
その間、鐘に入ってしまったシテは何をしているか、というと、中で一人で装束や面を替えているのです。
白拍子の本性は蛇体ですから、般若よりもっと鬼濃度の高い「蛇(じゃ)」という面を使います。小袖はおなじみの鱗模様ですね。
狭くて暗い鐘の中でこの作業をするんですから大変らしいです。閉所恐怖症だと能楽師にはなれないなあ。
鐘の外では恐ろしいその因縁が語られ、調伏の相談がまとまります。
ワキ僧たちが数珠を摺りながら名号を唱えると鐘がするすると上がり、中から恐ろしい蛇身が現れます。
激しい攻防の末、蛇は調伏され、橋懸りの奥へ去って行くのでした。
玄祥師は解説文の中で「一年間稽古をした通り、如何に段取りをうまく運んで行くかが演技以上に大事なこと」とおっしゃっています。
師から見て、どんな出来だったのかは窺い知る余地もありませんが、知人としては無事に済んでよかったなあ、とホッとしました。
後日、演者本人から聞いたのですが、鐘入りのとき、やや後ろ気味に立ってしまったのだそうです。
師はちょっとマズいと思われたようですが、川口さんが少し前気味に跳ぶ癖があるのをご存知なので、ま、いっか、で鐘を落とされたんだとか。
その結果、見事に鐘入り成功。いやあ、リアルにスゴイ話です。
もちろん『道成寺』で大事なことは鐘入りばっかりじゃない、とは思いますが、演者は披き、見物は素人、ってことでご容赦ください。
自ら能管や謡をたしなむ冨田は、中途脱出もせず、この長丁場を堪能しきったようです。
このあと冨田、近藤さん、それからこの欄ではおなじみのMさんこと目白花子さんは神楽坂へ移動して、
ボタドリデザイナーの大野さんと合流、ディナーを楽しんだようですが、私はお家の事情で直帰。むうう、無念でおりゃるう(山本家風に)。
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