スタッフN村による着物コラム

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すっかり秋も深まって来ましたね。

今回はうちから車で7〜8分のところにある紅葉の名所をご紹介します。

飯能市・美杉台ニュータウンの街路樹です。

モミジバフウ(紅葉葉楓)というアメリカ原産の樹木で、日本の楓とは少し違うんだそうです。

毎秋、関東のローカルニュースで紹介されて、今ではわざわざ観光客が訪れるほど有名になりました。

このニュータウンの中のスーパーが最寄りなので、食料品はいつもそこで買うのですが、この季節は買い物に行くのが楽しみです。

 

28.9月の文楽鑑賞『伊賀越道中双六』

9月の文楽東京公演は、『伊賀越道中双六』の通し。

この中の「沼津」の段は、文楽でも歌舞伎でも上演機会の多い人気演目で、私も何度か観ていますが、通しは初めて。

919日ですから単衣の出番。絽の襦袢に赤い果物柄(イチゴか柿か唐辛子かよくわからんw)の半襟を付けっぱなしだったので、

そこから合わせていったら結局無地の川越唐桟にみんさーの半幅、赤の帯締めという構成になってしまいました。

写真だと帯締めの赤ばかり目立ってますが、半襟にも赤の模様が入ってるんです。

無地の唐桟、というのは大いに矛盾してます。これにはちょっと説明が必要ですね。

唐桟というからには縞であるべきですが、これは川越唐桟の織元が、100番手という極細の綿糸を2本引きそろえて織った双子(ふたこ)織です。

購入・仕立ても川越の呉服屋さんで、「川唐」のタグもついています。

双子織はもともと川越近郊、入間市近辺の織物ですが、織元が同じなのでまとめて川越唐桟(略して川唐)と呼んじゃってるみたいです。

無地のものはもう作られていないので、けっこう貴重なものなんですよ、へへ。

川唐はkimono gallery晏でも扱ってますので、店頭で縞柄じゃないのを見たことがある方もいらっしゃると思います。

あれが(厳密にいえば)双子織なんですね。あ、もちろん縞柄の双子織もあります。

単糸織(70番手、それでも一般的な木綿織物の中では最も細い)よりさらに細い糸を使っているので、

しなやかで手触りのいい織物です。機会があったらぜひ触ってみてください。

って、着物の話はこのへんにして、文楽です。

『伊賀越道中双六』は、荒木又右衛門の「鍵屋の辻の仇討ち」に題材を取った全十段の時代物。

いや、「沼津」の段だけ見てるとどう見ても江戸時代なんで、時代物とは知らなかったです。

ちなみに歌舞伎や文楽で時代物というのは室町時代以前のことをいいます。江戸時代は現代ですもんね。

上杉家(文楽の名家はたいがい上杉家)の重臣・和田行家を、主君に反目する沢井股五郎が殺害。

いったん上杉家に引き渡された股五郎は、将軍直参の親戚に奪還され、出入りの呉服屋・十兵衛の手助けで九州へ落ち延びる。

上杉家の使者・丹右衛門と行家の息子・志津馬は股五郎奪還戦で深手を負い、

丹右衛門は仇討ちの助太刀に志津馬の姉婿・剣豪の唐木政右衛門を頼れと助言して絶命。

ここまでが「和田行家屋敷」「円覚寺」の段で事件の発端。申し訳ないけど夢うつつであんまり覚えてません。

昼の部の開演に間に合うために朝早く家を出て…、という事情もありますが、ここまでですでにものすごく話が入り組んでて、いまいちノれなかった。

ここからさらに話はややこしくなります。

「唐木政右衛門屋敷」の段。

行家の娘・お谷は政右衛門と駆け落ちして父の勘当を受け、許しを得ようと鎌倉の和田家を訪れていて惨劇に遭い、

大和郡山の婚家に戻ってみると突然夫から離縁を言い渡される。政右衛門の屋敷では早くも次の嫁を迎える準備で大騒ぎ。

お谷の親代わりの宇佐美五右衛門は怒りの果たし状を政右衛門に突きつける。

そこへ到着した花嫁は、お谷の妹で、行家の後妻が生んだわずか七歳のおのち。

勘当されたままのお谷の夫では、和田家の婿とは名乗れず、志津馬の助太刀もできないので、

お谷を離縁しおのちを嫁にすることで、晴れて舅の仇討ちを主君に願い出ることができるというのが政右衛門の本心。

五右衛門もお谷も得心し、婚礼の運びとなるが、肝心の花嫁は三三九度の杯より饅頭を欲しがり、しまいには乳母に抱かれて眠ってしまう。

(歌舞伎ではこの場を「饅頭娘」というらしい。ミもフタもないですね)。

政右衛門は藩の剣術指南役の座をかけて、御前試合を控える身。

しかし仇討ちの旅に出るため、わざと負けて浪人するつもりだと推挙してくれた五右衛門に明かす。だがそれでは五右衛門の責任は免れない。

そこで政右衛門は五右衛門にその責任を取って切腹してくれと涙ながらに頼む。仇討ちのためならばと快く引き受ける五右衛門…

どうです、さっぱり理解できませんね。結婚を反対されて駆け落ちまでしたのに、その義父の仇討ちのために愛妻を離別し、恩人に切腹を迫る男。

大夫は咲大夫、政右衛門を使うのは玉女、お谷は和生、みなさん熱演ですが、主人公にさっぱり感情移入できない。

結局御前試合でわざと負けの政右衛門、しかし主君はその心中を見抜いていて仇討ちを許し、五右衛門も切腹しないで済むんですが。

いやはや、ここまではひたすら眠気との戦いでした。次が待ってましたの「沼津」です。

話はガラリと変わって、沢井股五郎の逃亡に手を貸した呉服屋の十兵衛。東海道を西へ向かい、沼津の里に着くと、

年寄りの雲助(ここでは荷物持ち)・平作に声をかけられ、朝から一文の稼ぎもないというので荷を持たせてやる。

これがへろへろのヨタヨタで、しまいには木の根に躓いて怪我をする始末。

十兵衛が股五郎から預かった秘伝の妙薬を塗ってやると、痛みはたちどころに治まった。

そこへ平作の娘・お米がやってきて、その美しさに十兵衛はぽわん♡。二人に勧められ、十兵衛は平作の家に泊まることに。

よもやま話のうちに、平作は二歳で養子に出した息子があることを語る。十兵衛は守り袋の書き付けの話から、自分のことだと確信。

それを隠して実家に金を渡したいと思い、お米を嫁に欲しいと言って支度金として渡そうとするが、お米は夫のある身と断られる。

平作と十兵衛は眠りにつくが、お米は一人物思いに沈む。実はお米は和田志津馬と深い仲の元遊女・瀬川で、夫とは志津馬のこと。

深手を負った夫のために、妙薬の入った印籠を盗もうとして十兵衛に気づかれる。

お米の詫び言から事情を察した十兵衛は、印籠は恩人からの預かりもので渡せないが、その恩人のために石塔を寄進したいと、金包みを置いて去る。

十兵衛が去った後、その場に落ちている印籠を見つけたお米、よくよく見れば憎い仇の沢井股五郎の持ち物。

平作が金包みを開けるとかつて我が子につけた書き付けが。さてはあれは息子の平三郎であったかと、仇の行方を尋ねるべく後を追う。

折からやって来た志津馬の家来・池添孫八とともにお米も追いかける。

千本松原で十兵衛に追いついた平作は、金を返すから印籠の持ち主の居所を教えてほしいと頼むが、股五郎への義理から拒む十兵衛。

平作は諦めたふりをして、十兵衛の道中差しを抜き取り、いきなり自分の腹に突き立てる。

陰で見ていたお米は駆け寄ろうとするが孫八が制止。平作はわが命と引き替えに、仇の居場所を教えてくれと懇願する。

十兵衛はこれが孝行の仕納めと、お米が聞いていることを承知で「股五郎が落ち着く先は九州相良」と口にする。

そして「親仁様、平三郎でござります」と名乗り、闇の中、孫八が打った火花のかすかな火影で親子の対面を果たす。

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と念仏を唱えながら平作は絶命、悲嘆のうちに十兵衛はこの場を去って行く。

…はい、これが「沼津」です。ね?これまでの話と全然違うでしょう? 武士の争いに巻き込まれた庶民の悲しい物語です。

とはいえ、ここだけ見ていると、お米が元吉原で全盛を誇った遊女だとか、深手を負った夫だとか、「?」な話が続出するので、

そういう意味では辛抱して前段を見て来た甲斐もあるんですが、残念なのは十兵衛の「恩人」。

沢井股五郎は徹底的に卑劣で下司なクソヤローなので、商人ながら侠気もあってかっこいい十兵衛なのに、あんなヤツに義理を立てるわけー?

で、あんなヤツのために平作じいさんが腹切って死ななきゃならないわけー?

と、理不尽な思いこの上なし。大好きな「沼津」なのに、なにかモヤモヤが残ってしまいました。ああ、知らなきゃよかった。

かつて大阪文楽劇場で初めて観た「沼津」は、人間国宝・竹本住大夫が全段を語り、十兵衛は故・吉田玉男、平作は故・吉田文司、

お米は吉田蓑助というこれ以上ない配役で、幕が閉まってからも涙が止まりませんでした。

今回は津駒大夫、呂勢大夫とつないで、千本松原のみ住大夫。さすがに声が小さくなって、かつての勢いはありませんが、

逆に平作の哀れさ、十兵衛の悲しみが際立って、最後の消え入るような念仏の透明感は、以前とはまた違う涙を誘いました。

人形は平作が勘十郎、ほんとにこの人はなんでも巧い。十兵衛はお谷に続いて和生、お米はもちろん蓑助。

昼の部はここまでで、夜の部のラストで見事仇討ちの本懐を遂げるらしいのですが、私は残念ながら観られませんでした。

写真は昼夜通しで観た人だけもらえる、義太夫稽古本のレプリカです。

開いたページには「杖を力に息すたすた、申し々旦那様、ヤレ々お早い足元…」と書いてあるらしいのですが、全く読めませんね。

夜の部を見た人の話によると、後半はさらに理不尽で、首は飛ぶ、手足は飛ぶ、子供は殺すで異様にテンションが高いらしいです。

でもいいや、『伊賀越』は「沼津」に限る、ってことで。届かないブドウは酸っぱいのさ(笑)。

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