スタッフN村による着物コラム
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8月なかばに一度降ったきり、また日照り続きです。
業を煮やしてブロッコリーの苗を植えましたが、毎日水やりをしなければなりません。
庭の植木と畑の水やりで、毎日2時間近くとられてしまいます。
水をやらずにスパルタで育てたトマトも
ついにやけどしたように果皮がカピカピになってしまったので、仕方なく水やりメンバーに追加。
ぎらぎらと夜空に輝く月を見上げて「ああ、明日も快晴だあ」とため息をつく日々…。
と、ぼやいていたら、9月の初日、夜半から断続的に土砂降りの雨。
草木が喜んでるのがわかります。
どうもここでぼやくと雨が降るようです。
また日照りが続いたらここでぼやこうっと(笑)。
13. 8月の落語
6、7月にこれといったイベントがなく、前回はとっぴょうしもないネタでお茶を濁してしまい、申し訳ありません。
8月に入ってようやく落語会に行くことができました。しかも2日連続(笑)。
まずは11日、よみうりホールで「落語教育委員会」。
昼間の会で、私はほかにも用事があったので、着物は着られませんでした。
でも、さすがに8月、浴衣姿がそこここに。
男性の浴衣姿も見受けられました。
さて、この会は、柳家喜多八、三遊亭歌武蔵、柳家喬太郎の3人会で、2004年から続いている老舗の会。
小三治の一番弟子で古典一筋の喜多八、元武蔵川部屋の力士(ただし半年で廃業)という歌武蔵、古典新作両刀の喬太郎と、
個性も体型も(笑)全く違う3人のアンサンブルが楽しくて、もう何度も出かけています。
今回、3人の鼎談本「落語教育委員会」(東京書籍刊)が出たというので、会場で購入、早速読みましたが、
少なくとも3人のうち誰かのファンじゃないと楽しめないかな。
それから、この会の名物は、落語の前に3人で演じるコント。
毎回違う設定だけど、喜多八は一言もしゃべらない役、というのがお約束。
みんなこれが見たくて来るもんだから、落語会には珍しく、開演時間に遅れる人が少ない(普通は前座をパスして遅れてくる客が多い)。
この日はロンドンオリンピック真っ最中で、落語がオリンピックの正式種目になったというネタ。
実況アナウンサーは喬太郎。120キロ級小咄競技で歌武蔵が金メダルを穫り、次は60歳超級所作競技決勝で喜多八登場。
対戦相手はアゼルバイジャンの選手だった…と思う(笑)。
所作だけで「長短」を演じている途中に携帯電話が鳴り、まさかの失格。
「この競技は観客のマナーも問われますからねえ」と解説する喬太郎、実は彼の携帯が鳴っていたというオチ。
もうおわかりですね。このコントは毎回観客に携帯の電源を切ってもらうために、常に携帯電話がオチにくるんです。
ところが! いるんですねえ、これだけやってもまだ電源を切らない客。
開口一番は二つ目の柳亭小痴楽、「湯屋番」の最中に鳴ったね、携帯が。
小痴楽も「まだ鳴りますかあ!?」と驚いてた。まるで仕込みのようなタイミング。
鳴らした人もいたたまれなかっただろうなあ。ま、いい薬だ(ザマミロ)。
小痴楽は「私も御曹司なんです」という今風のイケメン。故・5代目痴楽(綴り方教室の痴楽は4代目)の子息だそうな。
以前西荻に住んでいた頃、散歩の途中で「柳亭痴楽」という表札の家をみつけてへええと思ったことがありましたっけ。
続いて真打ち登場。この会は3人が回り持ちでトリを勤めるので、出演順はその時々で違います。今回は歌武蔵から。
出てくるなり「ただ今の協議についてご説明申し上げます」と、相撲の審判のアナウンス風に始めるのがお約束。
しかし今日は「協議」じゃなくて「競技」でしたね。
ネタは「看板の一(ピン)」。若い衆が集まってサイコロ博打で盛り上がってるところへ昔鳴らした親分が登場。
「博打なんてもなあ場で朽ちるからバクチっていうんだ」と説教しながらも壷を伏せると、なんとサイがこぼれて一(ピン)の目が丸見え。
「親分ボケたな」とほくそ笑んだ若い衆はこぞってピンに張る、すると親分、「さて看板のピンはしまって」とこぼれたサイを取り上げ、
壷を空けると出目は五(グ)。「親分ひでえや」と不満たらたらの若い衆に「おめえら一人でもサイがこぼれてますと言ったか?」と親分。
「そんな了見なら金輪際博打はやめるこった」とかっこよく場を締める親分、ところが必ずいる、これをよそでまねする奴…。
当然失敗する訳ですね。歌武蔵は体もでかいが声もでかい、大らかで明るくて、いつも楽しい高座。
中入りはさんで、次は喜多八。「お、するってえと今日のトリは喬太郎だな」。
喜多八は3人の中では最年長。学習院大学落研出身で、「柳宮喜多八殿下」を自称してます。
縦横異様にでかい歌武蔵、意外と縦もでかい喬太郎にはさまると小学生みたいにちっちゃい。
顔は老けたアル・パチーノって感じで二枚目だけど、これがものすごくやる気なさそうに出てきて、気だるく座る。これもお約束。
愚痴めいたマクラをぼそぼそしゃべり、いざ噺にはいるとびっくりするくらいの大きな声になる。
かんしゃく持ちの大金持ちの旦那、運転手付きの自動車で帰宅。やれ玄関に帚が立てかけてある、帽子掛けが曲がっている、
茶が入ってない、座布団が出ていない、と怒鳴りまくる。
ん?自動車?運転手?帽子?そうか、これは大正時代あたりの新作だな?
古典一筋の喜多八ですが、羽織袴に山高帽の岩崎弥太郎@香川照之かなんかが目に浮かぶのは芸の力。
あまりのことに耐えきれなくなった奥方は実家へ帰ってしまいますが、父親に「書生や女中に仕事を分担させてうまくやりなさい」
と諭されて戻ってきます。完璧に整えて旦那を迎えると、拍子抜けした旦那がまたかんしゃく、
「これではわしが怒ることができんではないか!」
江戸時代か、せいぜい明治の初め頃の風俗が多い落語で、こういう近代の情景描写は実に珍しい。
調べたら、演題は「かんしゃく」。
三井財閥の一族で、男爵家の次男・益田太郎冠者が初代三遊亭圓左に書き下ろし、先代桂文楽が得意にしたネタとのこと。
どうりで近代のお金持ちの生活描写が生き生きとしてます。こういうふうに古典として残る新作もあるんだなあ。
ってまあ、すべての古典はもとは新作なんですけどね。
さて、トリは現代新作派の雄、喬太郎です。
いつもは寝転がったり、禁煙ばやりに毒づいたり、ウルトラマン話が止まらなくなったりとにぎやかなマクラが妙に端正。
「11日という日は、9.11とか3.11とか、なにかと大事件が起きる日なんでしょうか、今日、8月11日は三遊亭円朝の命日で」ときて、
始まったのは三遊亭円朝作の大ネタ「牡丹灯籠」。
円朝は近代落語の祖として、落語の世界では神のような存在です。多くの大作、名作を残してますが、これはその代表作ともいえるもの。
お露新三郎のカランコロンな発端部分は怪談としてよく知られていますが、実は脇筋が複雑にからまった長大なストーリー。
殺人に次ぐ殺人、仇討ちに次ぐ仇討ち、登場人物も膨大で、全段通したら一日かかっても終わらない。
私は見てませんが、喬太郎は1週間かけてこの大ネタを全段語ったことがあります。
立川志の輔がやったパネルやプロジェクターを駆使して2時間で全段語る会は見てますけどね。
それと、仁左衛門・玉三郎で歌舞伎の舞台も観ましたが、これは発端から栗橋宿までというほんの前半部分でした。
今日は「お札はがし」という発端の部分。旗本の息女・お露が浪人・萩原新
三郎に恋いこがれて焦がれ死に。
これが女中お米とともに幽霊となって夜な夜な新三郎を訪ねてくる。幽霊と知らず契った新三郎に死相が現れる。
知人の助言で家中にお札を貼り、海音如来の尊像を身につけて幽霊の訪問を阻むと、
幽霊は萩原家出入りの下男・伴蔵、おみね夫婦に百両与え、お札はがしと尊像強奪を依頼。
首尾よく障害を取り除いた幽霊は、ついに新三郎を取り殺す。
ここまでが「お札はがし」。このあと百両を元手に栗橋宿で荒物屋を開いた伴蔵がすったもんだの末におみねを殺すまでが「栗橋宿〜おみね殺し」。
「栗橋宿」は以前一門の勉強会で聴いてるので、やっとつながりました。
喬太郎はあれでなかなか上品な女性の描写もうまいので、しっとりたっぷり、あえて笑いも取らず、終始端正。
やせ衰えた新三郎の亡骸に二体の骸骨がからみついていたという締めくくりには、満員の会場にひやーっと冷気が漂いました。
作者の円朝に敬意を表してか、「お長くなりました、どうぞお気をつけて」と最後まで品よく通してました。
これが翌日にはあのぶっ壊れっぷり…、ってこちらもお長くなったので、翌日の「前進座にわか演芸場」の模様は次回に。お後がよろしいようで。
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