スタッフN村による着物コラム

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うっとうしい天気が続きます。皆さんいかがお過ごしでしょう。

我が家の裏庭に工事が入って、あじさいが伐られてしまいました。

かわいそうなので、切り花にして活けました。

切り花にしようと思って切ると、こんなにたくさんは切れませんよね。

思いがけず山盛りになってしまいました。

こちらはご近所で栽培している紅花をいただきました。

出荷するには開きすぎてしまった花のようです。

しばらく楽しんだら、ドライフラワーにするつもり。

去年いただいたのも籠一杯あるんですけどね。

 

115月の文楽鑑賞

最近は歌舞伎より文楽をよく観てます。

なんつってもチケ代が歌舞伎の1等席の半額以下だしね。

歌舞伎は高すぎますよ。若手公演は3割引、とかできないのかなあ。

できないんだろなあ。衣装床山、大道具小道具、三階さんに義太夫清元常磐津、フルでやったらコストは同じだもんなあ。

そこいくと文楽は、衣装の着せつけなんか人形遣いが自分でやるし、伴奏は義太夫だけだし、どうかすりゃ大夫一人に三味線ひと棹。

琴も胡弓もみんな三味線弾きがやっちゃうし。

中身ほとんど同じでこのローコスト。低料金で楽しめるんですから観なきゃソンソン。

というわけで、今回の演目は歌舞伎でもよく上演される『吃又(どもまた)』『酒屋』『阿古屋琴責(あこやことぜめ)』。

『傾城反魂香』通称『吃又』は、歌舞伎が3月に平成中村座、仁左衛門・勘三郎で上演されたばかり。

仁左衛門の又平は見たかったのですが、平成中村座の小屋が嫌い(外の騒音丸聞こえ)なので涙を呑んでパス。

吉田玉女さんの遣う人形を仁左衛門だと思って…ととところが

又平の首(かしら)は「又平」という丸顔でどっちかというと中村梅雀似。

ちょっと仁左衛門と思うのは無理がありました(笑)。

それはさておき、この日の私のいでたち。

着物ニューカマーの私はルールテキトー主義なので、5月は単衣月と決めています。

この日も雨との予報なので、雨対策として、白地ですがパールトーン加工済みの縞の紬にしました。

帯はみんさーの八寸。木綿なので丈夫。

これに先月も着たポリ絽の羽織でお太鼓ガード。足下はまたもやカレンブロッソ。

ロビーを見渡すと、着物姿の半数は単衣の模様。皆さん現実的というか、背に腹は代えられないというか。

でも、ルールガチガチじゃなくなってるのはいいことじゃないでしょうか。

ところで、いくら5月は単衣と決めても、悩ましいのは襦袢です。

絽じゃ早い(そこはこだわる)し、うそつきも絹の無双袖では暑苦しくてせっかく単衣の意味がない。

で、保多織ですわ。やわらかものはともかく、紬なら全然オッケー(と自分で決めている)。もちろん半衿も。

汗ばむ日には汗を吸ってくれるし、この日はちょっと肌寒かったんですが、そんな時はエアイン構造であったかい。

当コラムでも、展示会でもさかんにお勧めしている保多織うそつきですが、先日の展示会で気がついたことがあります。

保多織は、柄によって裏表がはっきりしているものとほとんど変わらないものがあります。

うそつき袖にする場合、単衣仕立てですから裏表の差がないものをお勧めします。襦袢の袖は中(裏)のほうが目立ちますから。

私は2枚持っているんですが、ひとつは少し差がある生地。ちょっこし気になるので、これから作る方のご参考までに。

HP画像ではわからないので、ぜひ実物を手にとって確かめて下さい。

さて宣伝(笑)はここまでにして、お芝居のほうは、まず最初に『傾城反魂香(吃又)』。

宮廷絵師の土佐将監は勅勘を受けて山科閑居中。このあたりに最近虎が出ると、百姓たちが騒いでいる。

しかしこの虎には足跡がない(そもそも日本に虎はいないw)ので、将監は絵から抜け出たものと看破。

弟子の修理之介が墨で塗りつぶす(漫画用語で「ベタでつぶす」)と虎は消滅、その功で土佐光澄の名を許される。

ここ笑うとこじゃないです。ぬいぐるみの虎かわいいよ虎。歌舞伎でもかわいいけど、文楽のはちっちゃいのでさらにカワイイ。

そこへ将監の不肖の弟子・浮世又平が女房お徳とやってくる。又平は生まれつきのどもり(なので、「吃又」)。

ほとんど何言ってるかわからないので、お徳がすべて代弁。このお徳が旦那を補って余りあるおしゃべり。

弟弟子が先に土佐姓を許されたと知って、オレニモクレと懇願しますが、なんの功もない者にはやれんと、師匠の冷たい返事。

主家の姫君救出の使者(ここんとこややこしいので省略)を志願するも、どもりじゃなあ、とこれも修理之介に命が下る。

絶望した又平は、自害して贈り名を願おうと、手水鉢に自画像を描く。

すると一念凝って、絵は石の厚みを通って裏面に抜ける。この奇跡に師も感激し、土佐光起の名と、使者の役も与えられる。

でも敵との問答できる?と案じる師に、お徳は節をつければよどみなく話せると言い、不安解消。

将監が餞別代わりに手水鉢を叩き割る(もちろん断面にも自画像アリ)と、あら不思議、又平の吃りは治り、勇んで出立、めでたしめでたし。

通称タイトルが『吃又』では、まずテレビで放映されることはない演目。

死を決意した又平にお徳が「手は二本、指も十本ありながら、なぜ吃りには生まれしゃんしたぞいなあ」と嘆く(かなりヤバイ)セリフが泣かせどころ…

と思ったら、丸本(義太夫の原本)にはありませんでした。なんで、お徳と又平の悲壮さがいまいちあっさり。

絵が手水鉢を抜けるところも「かか、抜けたあ」という間抜けな又平のセリフがほのぼのするんですが、これも歌舞伎の入れ事でした。

むしろ、手水鉢を叩き割ったことで又平の吃りが治り、大喜びで早口言葉をまくしたてる、こっちは歌舞伎にはないところ。

そういえば映画『英国王のスピーチ』では、怒ると吃らない、って場面がありました。

大夫は国宝の住大夫。吃りのセリフを大げさにならず、なんとかわかる程度に語るのが難しいそうな。

又平を遣うのは玉女、お徳はこれも国宝の文雀で、格調高い『吃又』でした。

次はパンフの表紙写真の『艶姿女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)』通称『酒屋』。

酒屋を営む茜屋半七に嫁いだお園、半七には子までなした愛人・三勝がおり、嫁をかえりみない(お園はなんと処女妻)。

お園の父・宗岸は怒って娘を連れ戻し、半七も父・半兵衛に勘当を受ける。半七は三勝のために殺人を犯し、お尋ね者に。

さて、そこまでが前段で、『酒屋』の冒頭、茜屋に御高祖頭巾の女客が現れ、丁稚に幼い女の子を押しつけて消える。

さては捨て子かと思案する半兵衛、そこへお園が父とともに茜屋へ。

連れ戻したお園が泣いてばかりいるので、詫びを入れて嫁に戻してくれと言う宗岸に、

半兵衛は息子を勘当したのだから、嫁もいないと聞き入れない。

宗岸は、ならばなぜ勘当息子の代わりに縄にかかったのかと問う。

驚いたお園や半兵衛女房が着物を脱がすと半兵衛は縄で縛られている。

我が子助けたさに代わりに縄目にかかり、お園を若後家にするのはしのびないと、宗岸の詫びを聞き入れない振りをしたのだった。

親たちが今後のことを話し合うため奥に入ると、有名なお園の口説きの場。

「今頃は半七さん、どこにどうしてござろうぞ」で始まるお園の独白。

去年の秋に患ったとき、いっそ死んでしまっていたらこんなこともなかったのに、

お気に入らぬと知りながら、未練な私がこれまで居たのが仇になった、

と、身勝手な夫を恨みもせず、自分ばかりを責めるお園の口説き、

これまでは私、「ばっかじゃねーの、前時代的きわまりない、あー理解できない」と思っていましたが、

今回、宗岸と半兵衛の親心、お園を不憫に思う舅の心、それが心に沁みて、

結婚というのは夫婦二人の問題じゃなく、両家の親も含めた家族の問題なんだなあと

改めて思った次第です。

お園を遣うのは人間国宝・吉田蓑助。後ろ向きで背中を反らせる「後ろ振り」という型が実に美しく、大拍手。

大夫は松香・嶋・源のリレー。嶋大夫で全段聴きたかったけど、メインの口説きは源大夫。

源大夫は住大夫と並ぶ人間国宝ですが、休演が多く、もっちゃりして聞き取りにくいのでちょっと苦手。

でもまあ、親どうしのやりとりが好きな嶋大夫だったので、より親たちの気持ちが理解できたのかもしれません。

結局、冒頭の謎の女は三勝で、子供は半七とのあいだの子と判明。

子供の懐から書き置きが出てきて、お園あてに「来世では夫婦だ」と。

半七・三勝は心中するつもりだと涙に暮れる一同を、そっとのぞき見ている二人。

親の縄目を解くため、半七は名残を惜しむ三勝をせき立て、死を急ぐ、で、幕。

最後は『壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)』通称『阿古屋琴責』。

平家の残党・悪七兵衛景清を探索する秩父庄司重忠は、景清の愛人で遊女の阿古屋を捕らえて詮議する。

景清の行方を知らぬものは知らぬとつっぱねる阿古屋に、重忠は琴・三味線・胡弓を演奏させる。

もし偽りならば演奏に乱れが出るという心。阿古屋は見事に三曲を弾ききり、無罪放免となった、というそれだけの話。

しかし実際に阿古屋が演奏するという趣向が珍しく、歌舞伎でも人気の演目です。

とはいえ、現在これを歌舞伎で演じるのは坂東玉三郎ただ一人。

かつては戦後歌舞伎界の「女帝(?)」と言われた六代目中村歌右衛門の独擅場でした。

劇中で琴・三味線・胡弓を演奏しなければならないので、そんじょそこらの役者にはできない芸当。

いや私も玉三郎の阿古屋、観たことないんですけどね。

そのかわり、というか、以前大阪の文楽劇場で、吉田蓑助の遣う阿古屋を観ました。

文楽人形は主遣いというメインの人が首と右手を遣い、左手、足とそれぞれ一人ずつ、通常3人で遣います。

阿古屋は楽器をフルで弾くので、普通「左手は添えるだけ」なのに、この演目ではものすごく忙しい。

蓑助の時は、左が当時まだ蓑太郎だった桐竹勘十郎。なんかすごい豪華だなあと思いました。勘十郎襲名の直前だったので。

で、この演目に限り、通常黒子姿の左も足も、顔を出した「出遣い」で遣います。いやだからこそ左が誰かわかるんだけど。

もちろん人形が本物の楽器を弾くわけもなく、実際には床で三味線弾きが三曲すべてを演奏します。

三味線弾きは三味線だけ弾ければいいってもんじゃないんですね(笑)。

今回はかつて左を遣っていた勘十郎の阿古屋。左は吉田蓑紫郎…だったかな?

三味線に人間国宝の鶴澤寛治。ちなみに三曲を弾くのはお孫さんの寛太郎。

もうひとりの最年少国宝三味線・鶴澤清治は昼の部で一人国宝。

夜の部は年配の国宝そろい踏みなんです。

勘十郎は豪放な英雄も、へなちょこな二枚目も、可憐な少女も遣うオールラウンダー。

女形メインの師匠・蓑助とはひと味違う、きりりと凛々しい阿古屋です。

4分の一スケールくらいの琴や三味線を激しくかき鳴らし、床を見なければまるで人形が弾いているかのよう。

衣装は助六の揚巻ばりの花魁フル装備なので、さぞ重かろうと思うのですが、当代の実力者は表情ひとつ変わりません。

師弟二代の阿古屋を堪能できて大満足でした。

さて、この日も着物仲間のMさんと一緒でしたが、雨の予報でMさんは着物パス。

帰りに劇場近くのおでん屋に連れて行ってもらい、関東・関西・名古屋の三種おでんを堪能。

結局雨は降りませんでした。肌寒く、羽織とおでんが大正解の一夜でした。

 

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