スタッフN村による着物コラム
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4年ぶりの2月29日、東京は大雪。
せっかく開き始めた梅や椿の花が凍えていました。
でも、東京は2月、3月に雪が多いのです。
重たい雪が降ると、ああ、そろそろ春だなあと思います。
ふきのとうが雪の下から元気に芽吹きました。
土の中はもうすっかり春なんですね。
5.文楽鑑賞「義経千本桜」
えー、今回はお詫びから始めなければなりません。
第3回で、「義経千本桜」のすし屋の段の衣装についてあれこれ書き連ねましたが、すみません、間違ってましたorz。
いや、間違い、というか、それは歌舞伎版の衣装だったんですね。
文楽の衣装はまるで違うものでした。謹んでお詫びいたします。
というわけで、文楽公演「義経千本桜〜すし屋の段」、見て参りました。
2月9日、場所は東京・三宅坂の国立劇場小劇場。
寒風の中、蠟梅が健気に咲いていました。
もーのすごい寒い日でしたが、もちろん着物で出掛けましたよ。
つか、最近、よそゆきの洋服が底をつき、ちょっとおしゃれしようとすると、着物しかなくなってきちゃいました。
まさに「ユニクロか、さもなくば着物」状態です。
あれこれ迷いましたが、みじん格子のモノトーンの着物に、大きな格子の二部式帯。
これはネクタイ地のあまり布で作っていただいたもので、生地代タダ(笑)。
その上に着尺から作った長羽織(残った生地は無駄なく帯になっています)。
一見、寒い中頑張って着物着てます、って感じですが、防寒対策はがっつりやってます。
ヒートテックの9分袖シャツに、同じくヒートテックのトレンカ(爪先とかかとのないタイツ)を履き、さらに保多織のステテコ。
腰には補正を兼ねて薄手のバスタオルを巻き、足下は保多織のネル裏足袋。
これでかなりあったかいです。
いやー、ユニクロはえらい。あ、保多織も(笑)。
ご一緒した着物仲間のMさんに「暑くない?」と言われましたが、かさばらないので暑苦しくはないです。
Mさんは春らしい辻が花ふうの絞りの小紋に絞りの道行、その上にウールのケープ、ってその方が暑そうなんですけど…。
文楽は地元・大阪では、市長(前知事でもある)が助成金を削るのなんのと論議の的のようですが、東京公演はいつも盛況。
私が観に行った第二部も、人間国宝3人競演(結局一人は休演)もあってか満員札止め。
平日の昼間だったので、比較的年配の方が多く、着物姿はあまり多くはありませんでした。
最近は、年配の方の着物って案外少ないような気がします。
一番多いのは40〜50代じゃないでしょうか(ってじゅうぶん年配かW)。
ま、私とMさんもそのクチですが。
今回はいつになく前の席が取れて、3列目の中央という人形どアップで見える席。
文楽は床(大夫・三味線)と舞台がいっぺんに見える10列目くらいが最も見やすいと言われていますが、そこは人それぞれ。
人形の顔がはっきりと見え、そのぶん遣い手の技量をたっぷり堪能できました。
今公演はもっとも有名な「すし屋の段」の前に「椎の木」「小金吾討死」の段がつきます。
敗れし平家の公達・平維盛を追ってきた、妻の若葉内侍と若君六代、家臣の主馬小金吾が大和の茶屋でひと休み。
ここで若君が椎の実を拾って遊ぶところにならず者・いがみの権太が親切めかして接近し、あげく因縁をつけて金を巻き上げる、これが発端。
この権太が主役ですが、ここではただの悪いヤツ。
当代の実力者・桐竹勘十郎が憎々しげに権太を遣います。
内侍一行は追っ手に追われ、小金吾は若君と内侍を落とし、自らは討ち死に。
この小金吾の人形の頭、二枚目に使う「源太」という、見慣れた頭なんですが、
今回若武者の前髪で、これがまた闘いのさなかにサバキ(髷がほどけた乱れ髪)になると、ウツクシイやら色っぽいやらMさんともどもほれぼれ。
この場は歌舞伎でも若手の二枚目の役どころ。でもこんなお耽美な小金吾、歌舞伎でも見たことない。嗜虐美、とでもいうかな。
前列で見た甲斐があるというものです。
大夫はお気に入りの文字久大夫だったんですが、この場は斬り合いの場面(語りがほとんどない)が長くて聴き所なく残念。
ここを通りかかった下市村のすし屋の主人・弥左衛門は、なにを思ってか小金吾の首を打ち、こっそり持ち帰ります。
弥左衛門は権太の父ですが、かねて平家の恩を受け、現在維盛を絶賛おかくまい中。小金吾の首を維盛と偽って差し出すつもり。
そしていよいよメインの「すし屋」の段。
弥助と名を変え、姿もすし屋の手代にやつす維盛、弥左衛門の娘・お里となじみ、夫婦にもなろうかというその日。
歌舞伎だとここでお里と弥助のデレデレなやりとりがあるんですが、ありゃりゃ、文楽にはなかったわ。
前回有名なセリフとしてご紹介した「お月さんもねねしてじゃわいなあ」も歌舞伎の入れ事(追加のセリフ)でした。再びお詫びします。
月の帯にしなくてよかった…(汗)。
ここに権太が母親に金をせびりに現れます。
厳しい父と違って息子に甘い母親は、権太の嘘にころっと騙され、金を寿司桶に入れて持たせようとします。
そこへ父帰る、あわてた権太は寿司桶の並んだ棚に、金の入った桶を置いて隠れます。
弥左衛門もまた隠し持った首を寿司桶に入れ、権太の桶の隣に置きます。
弥助こと維盛を上座に据え、いよいよ追っ手が迫ったことを伝え、さらに奥の村へ逃れるよう勧めます。
その割には、娘お里と今宵夫婦となるようにとけしかけるところがなんだかなあですが、まあ、そこはお芝居の常。
お里が先に床に入ったところで、表の戸を叩く者あり、開けてみれば、追っ手を逃れた若葉内侍と六代の親子。
思わぬ妻子との対面を蔭で聞いてた娘のお里、義理で契ったとはあんまりじゃわいなあと泣き崩れ、私もいつもこの場はひでえなあ、と思います。
お里を遣うのは人間国宝・女形の第一人者、吉田蓑助。
この人の遣う人形には何度も魅了されてきましたが、今回ももうぶっちぎりの色っぽさ。
お色気過剰と言う人もいますが、お里は娘とはいえ、すでに弥助(維盛)とデキてますから、生娘ではありません。だからイイのだ。
特に今回、お里が床入り前にはデレデレと笑っているように見えたし、
弥助の正体を知ってからはあきらかに泣いているのがわかります。
表情のない人形が笑ったり泣いたり、いや、名人とはこういうものかと感服つかまつった。
追っ手の梶原景時がもうじきここへ来るという知らせを聞いて、維盛一家はその場を落ちますが、
権太が「話は全部聞いた。梶原殿にいいつけてやるもんね」と、お里を蹴倒し寿司桶抱えて駆けだしていきます。
で、すし屋にやってきた梶原の前に、権太が「維盛の首」と猿ぐつわをかませた若葉内侍と六代君を引き出し、褒美の陣羽織をせしめます。
意気揚々と梶原が引き揚げた後、弥左衛門は権太を「なんちゅうことするんじゃワレ!」と刺してしまいます。
実は権太はオヤジの計略の危うさを思い、親孝行の一心で桶の首に月代を剃り、自分の女房子供を維盛妻子として引き渡したのです。
虫の息の権太が合図の笛を吹くと、権太妻子と入れ替わった維盛一家が無事に現れます。
後悔先に立たず、日頃お前がもうちょいまともなら、我が子を刺すようなことにはなるまいにと嘆く両親の目の前で、権太は息絶えるのでした。
ここでの弥左衛門の嘆きが最大の聴き所なんですけどね…。
この段は、大夫が住大夫、源大夫の人間国宝リレーだったはずなんですが、
住大夫はお里が床に入るまでで、そのあとの源大夫は病気休演で英大夫の代演。
さらに梶原が去った後を中堅の千歳大夫という、なんだかよくわからないリレーでした。
源大夫の休演は最近デフォルトだし、高齢の住大夫が一段全部語り通すのは無理だとわかっちゃいるんですが、一段を3人リレーではいかにも散漫。
せめて住大夫を最後に持ってきて欲しかった。
そういうわけで、大夫陣には大いに不満がありましたが、豪快にして繊細な勘十郎の権太と蓑助のお里と、人形の充実で今回は堪能。
そうそう、権太の衣装は歌舞伎の白黒格子じゃなくて、ちょっと伊勢木綿の布団縞みたいな格子でした。
偶然配色が私の帯の格子に近く、結果オーライでした。
帰りはバスで有楽町へ出て、ガード下のレトロな居酒屋でMさんと文楽・落語・着物談義。
2ヶ月ぶりの上京(笑)をたっぷり楽しませていただきました。
そうそう、履き物はカレンブロッソの花緒サンダルです。やっぱり疲れなくて快適でしたぞ。
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