スタッフN村による着物コラム

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H24.2.20更新

毎回寒い、寒いで申し訳ありませんが、ほんっとうに寒いですね、今年の冬は。

それでも季節は少しずつ進んでいるようで、ふきのとうが芽を出したり、

福寿草が咲いたり、かすかな春の接近を伝えてくれます。

玄関の日だまりに置いていた盆栽の梅が花を付けました。

少しばかり、あったかさを感じていただければ幸いです。

 

 

4.キモノ東西・銘仙のこと

 

唐突ですが、NHKの朝ドラ「カーネーション」、見てますか?

もう私なんか毎朝夢中で、視聴中は電話も取らないくらい。

登場する女性たちがみんないいですねえ。主人公はもちろん、お母さん、おばあちゃん、娘たち、近所の人やお客さん。

ところで朝ドラは東京と大阪の局が一作ずつ交代で制作しているのは皆さんご存知ですよね?

今作は大阪局、前の「おひさま」は東京の制作で、長野が舞台でした。

どちらも描いている時代はほぼ同じですが、「おひさま」から「カーネーション」に代わって、あれ?と思いました。

銘仙が出てこない…。 

「おひさま」の姑役・樋口可南子の着物はほとんど銘仙でした。

色目の濃い、紫や黒や臙脂に矢絣や縞の、いかにも銘仙!って感じの。

大正から昭和にかけて、主に東日本で大量に生産された着物ですから、松本のそば屋の女将が着るには妥当な衣装だと思います。

しかし、「カーネーション」の登場人物たちが着ているのはなんか違う。

関西では銘仙は流行らなかったのかな、と勝手に解釈して、kimono gallery 晏店長の母上(高松生まれ高松育ち)にうかがったらあっさり、

「戦前から普通に流行っていて、戦後は馬場呉服店でもよく売れた」とのお返事。

高松でそうなら、大阪でも普通に着ていたでしょうとのこと。

先日、「あさイチ!」に主演の尾野真千子が出演、過去のシーンをダイジェスト的に放映していたので、

目を皿のようにして見てみたら、あらら、これも銘仙、あれも銘仙。

着手が若いからか、地色も淡く、模様も赤やピンクの華やかな物だったので、私が銘仙と認識できなかったみたいです。

なんかねー、私のイメージだと樋口可南子が着てたようなのが「ザ・銘仙」だったのですよ。

ドラマと史実を混同するな! とツッコミが入りそうですね(笑)。

ちなみに、着物仲間たちの詳細な観察によれば、それら銘仙の着物はことごとく肩に継ぎ目があったそうです。

一所懸命、古着を仕立て直して使ってるんですねえ。

 

私が生まれ育ち、現在も居住している地域は、かつて秩父〜八王子に至る絹の一大生産地でした。

私が小学校にあがる頃まで(祖父の生存中)は、我が家でも養蚕をしていました。

繭を茹でるいやーな臭いや、無数のカイコが桑の葉を喰む雨のような音をかすかに覚えています。

近隣の農家もみなやっていて、家の周りは桑畑だらけでした。

折しも高度成長期、着物=絹の需要は急速に減り、サラリーマンとなった父は養蚕をやめ、近所も相前後してやめていき、桑畑はほとんど姿を消しました。

しかし、関東一円で養蚕がもっとも盛んだった頃、手頃な女性のおしゃれ着として爆発的に流行したのが銘仙だったのです。

おもな産地は桐生、伊勢崎、秩父、八王子などの関東地方。

もとは農家の主婦の副業として、くず繭からひいた玉糸で手織りしていたものでした。

組織は単純な平織りで、柄も簡単な絣や縞模様。

それが紡績・織機・染料の向上で、より複雑で華やかな柄のものが大量生産されるようになり、安価でおしゃれな着物として大流行したのです。

ひところのアンティーク着物ブームで、銘仙が大復活してましたね。

アールデコっぽい柄とか、化学染料特有の日本離れした色彩とか、ちょっとキッチュな感じがかえって現代感覚なんでしょう。

私が祖母のおさがりでもらった黒地の絣の銘仙には、玉糸特有の節がありました。

およそ90年ほど前のものだと思います。

しかし、母の箪笥から出てきた縞の銘仙は、すべっすべで色目も華やか。

聞けばそのはずで、戦後、買い出しに来た人に、米と交換してあげたものだというのです。

若い娘さんの持ち物だったのか、手放した人の気持ちを思うと、ちょっと胸が痛みます。

祖母のものは仕立て直して着られましたが、母のは生地が弱っていてダメでした。

おそらく大量生産品だったのでしょう。

ことほどさように、祖母や母、叔母たちにとっては、ちょっといい普段着、として銘仙はデフォルトだったようです。

かつて撚糸業をしていた80歳の叔母に、「銘仙は今でも少し生産されていて、一反10万円くらいだよ」と言ったら、

「銘仙が10万!?」と驚きましたが「でも今は生産量も少ないし、正絹なんだからそれくらいはするかもねえ」とも。

彼女たちにすると、銘仙は、我々にとっての「GAP」や「コムサ」くらいの感覚みたいです。

叔母もかつては「これぞ銘仙!」というようなのをいーっぱい持っていたそうですが、みんな人にあげてしまったとのこと。ううむ、残念。

ところで先日、夕方のNHKニュースで秩父銘仙の展示会を取り上げていました。

アナウンサーのイントネーションが「め↑いせん」で、めにアクセントが付いているのがなんともキモチワルイ。

一緒に見ていた父も「めいせ↑ん」(せにアクセント)だよなあ、と言います。

そしたら、同じような指摘が多かったらしく、翌日の番組で訂正していたようです。

着物なんか持ってもいないし、着ることもできないであろう昭和生まれの父でも「め↑いせん」はおかしいと思うのです。

男性でも常識的に知っているくらい、このへんじゃあたりまえな事なんですね。

しっかりしろよ、NHK(笑)。

NHK、といえば朝ドラの話に戻りますが、一昨年放映の「ゲゲゲの女房」で、主人公の布美枝さんが、お見合いの時に銘仙の着物を着ていました。

これはちょっとあれれ?と思いました。

戦中戦後の島根で銘仙がどういう位置づけだったかはわかりませんが、たとえば舞台が関東なら、お見合いの席で銘仙はまず着ないでしょう。

叔母にも聞いてみましたが「お見合いじゃあちょっとねえ」と。

戦後の物のない時代だからといっても、布美枝さんの家はもとは呉服屋です。

お見合いから5日で嫁いだというのに、お母さんは綸子の色無地を持たせてくれたじゃないですか。

余談ですが、あの色無地もちょっとピンクがきつかったですね。

後年、水木さんのパーティーで布美枝さんが着てましたが、設定年齢からしていかがなものか。

もう少しサーモンか藤色がかかってればなあ。

まあ実際に着るのは若い松下奈緒だから、似合ってましたけどね。

大好きな、いいドラマだっただけに、「銘仙でお見合い」は妙にひっかかったのを覚えています(しつこい?)。

そうそう、朝ドラつながりでさらに余談。

「カーネーション」で、主人公の母方の祖母が、こちらは大金持ちですが、戦時中に一番いい大島をもんぺに仕立てて着てました。

「辛気くさいんは寿命を縮めるで」というのはいいセリフでしたね。十朱幸代なんでよけいハマってました。

たしかに相当よさそうな大島紬だったなあ。

「おひさま」でも呉服屋の女将の吉村実子が大島のもんぺでした。こういうこだわりは見ていてうれしくなります。

ちなみに、私の地域では、大島というと、奄美ではなく、一般的に村山大島を指します。

これもどうやら銘仙と同じように、武州一帯で織られていた絣織物の発展型のようです。

大島紬によく似た柄と質感ながら、糸染めは板締めという技法で本場大島より手間がかからず、安価に流通できたのです。

瑞穂町在住の高校の同級生は、「おばあちゃんがウチで織ってた」と言ってました。

また、さきの叔母は「本場物だって正式な場で着られるわけじゃなし、見た目そう違わないんだから、村山で充分」とも(笑)。

戦後、ウールと並んで爆発的に流行したようですが、これもまた着物の需要衰退と、韓国で生産された「韓国大島」に押されてフェイドアウト。

私の姉は結婚祝いに入間の大叔母からアンサンブルと着尺をもらったそうですから、

昭和50年代まではまだそれが普通のことだったんですね。

その村山大島は今、私の羽織と雨コートになっています。

あと、祖父のと母のを仕立て直して、アンサンブル2組、長着1着持ってます。

ワードローブ中の村山大島率、異常に高いなあ(笑)。

最近姉が友人のお母さんの形見分けで、韓国大島のアンサンブルを反物でもらってきたのをゲット。

一見泥大島っぽいんですが、よく見るとけっこう荒っぽい織りで、これに村山大島が駆逐されたのかと思うとちょっと複雑。

でもしっかりkimono gallery 晏で仕立ててもらい、普段着として愛用してます。これも余談。

さて、なんだかとりとめなくなってしまいましたが、要は着物のワードローブって、けっこう地方色が出るんじゃないかってことなんです。

皆さんの箪笥の中も、よく見ると、地域や家族の歴史が浮かび上がってくるんじゃないかな、と思います。

いろんな地方色に彩られたひとさまの箪笥、こっそりのぞいてみたいもの。

こんなカラーがあるよ、というコメント、いただけたらうれしいです。

 

それはともかく「カーネーション」と「平清盛」の今後の展開が私の目下最大の関心事です。なんだかNHKの回し者みたいで恐縮ですが。

あ、いや、受信料はちゃんと払ってますよ。父親が、ですけど(笑)。

 

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