スタッフN村による着物コラム
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今年もいよいよ押し詰まって参りました。
寒い! 青梅は寒いです。今年の寒さは特に厳しいです。
畑のブロッコリーも大根も白菜も毎朝かちんかちんに凍り付いています。
姉が友人のお母様の形見分けで、お母様が縫ったという綿入れ半纏をもらってきました。
いかにもこれぞ、いう感じの銘仙の仕立て直しです。
裏はモスリンのかわいい襦袢地。
昔の人は偉いですね。ほんとうに何も無駄にしない。
丈も長くて腰回りもぬくぬく。
これで冬の夜をあったかく過ごせそうです。
18.十八回目なので十八世中村勘三郎丈のこと
12月5日の朝、ニュースでその訃報を聞いたとき、思わず「バカ!」とつぶやいていました。
週刊誌などで、病状がかなり悪そうだという推測は流れていましたが、まさかこんなに早く亡くなるとは思ってもいませんでした。
私は決して中村屋ファンではありません。むしろあまり好きではない役者でした。
しかし彼の発想力、実行力、プロデュース能力、そして役者としての力量は、10年このかた歌舞伎にハマっていた者として、認めざるを得ません。
華やかに、にぎやかに彼が歌舞伎界を引っ張って行くことで、私の好きな役者たちも活躍の場を広げることができていました。
57歳、あまりにも若い。誰もが言ってることですから、今さらではありますが、今後の歌舞伎界にとって失ったものが大きすぎます。
そういう意味での「バカ!早すぎるよ!」というつぶやきでした。
私は歌舞伎ファンというより片岡仁左衛門丈のファンですから、観るものと言えばほとんど仁左衛門の出る舞台。
しかし仁左衛門と勘三郎は公私ともに仲がよく、しょっちゅう共演してましたから、いきおい勘三郎の舞台も観ることになります。
その程度の観劇歴ですが、それでも勘三郎の芝居にはしばしばうならされました。
印象に残っているものとしてはまず、勘三郎が芯を勤めた『髪結新三』。仁左衛門の弥太五郎源七、玉三郎の白子屋お熊。
勝奴は染五郎。メンバーを挙げただけでも華やかで、ああ、もう二度と観られないのだと寂しくなります。
そうそう、このときの手代忠七は昨年亡くなった勘三郎の岳父・中村芝翫でした。
人の良さそうな廻り髪結いの新三がガラリと悪党の本性を現し、忠七を踏みつける憎々しさ、格上の親分・源七をあざけるふてぶてしさ。
そしてその上をいく大家に金をまきあげられる単純さ。ああ、だんだん思い出して来た。大家も亡くなった中村富十郎でした。
「鰹は半分もらったよ!」と言う富十郎の台詞がまだ耳に残ってます。
今から思えばすごいもん観てたんだなあ。
それから、やはり仁左衛門・玉三郎共演の『籠釣瓶』。これはたしか京都南座だったと思います。
佐野次郎左衛門(勘三郎)は、顔中あばたの醜男ですが、上州佐野の大金持ち。吉原の花魁・八ッ橋(玉三郎)を身請けしようとしています。
ところが八ッ橋は義父への義理や間夫の栄之丞(仁左衛門)への未練でがんじがらめ、満座の中で次郎左衛門に愛想尽かしをしてしまいます。
後日、妖刀籠釣瓶を引っさげて現れた次郎左衛門、八ッ橋をはじめ多くの人を殺害するという凄惨な話。
中村屋のファンには、私が知る限り勘三郎に「笑い」を期待する方が多いようで、出て来るだけで笑うんですね。
このときも、このシリアスな芝居で、隣の客がよく柿食う、じゃなくてケタケタ笑ってる。
「花魁、それァつれなかろうぜ」という、振り絞るような次郎左衛門の台詞でも笑ってる。
こいつはいったい何を観に来たんだとイライラしていたのですが、大詰め、完全に目がイッちゃってる勘三郎の登場でさすがに黙りました。
その客のことも含めてこのときの舞台はよく覚えています。
そういう客を育てたのも勘三郎ですが、それをぴたりと黙らせるウデもあるんだなあ、と。
それから、平成中村座での『仮名手本忠臣蔵』。ずっと仁左衛門の大星由良之助が観たくて観たくて、でもなかなか配役が来ない。
平成中村座はテント小屋なので、外の騒音が丸聞こえで好きではないのですが、
このときは勘三郎に感謝しました。
四段目幕切れ、大星が討ち入りの決意をする大事な場面で、救急車のピーポーが聞こえたときにはちょっと恨みましたけど。
このとき勘三郎は塩谷判官で、神妙に演じてました。
そうですねえ、あとはやはり仁左・玉共演の『刺青奇偶』、野田版『研辰の討たれ』、野田版『鼠小僧』、藤山直美と共演した『桂春団治』…
なんだ、結構観てるんじゃん。
イヤだな、と思ったのは仁左衛門・玉三郎の『切られ与三郎』に蝙蝠安をつきあったとき。
与三郎の「おかみさんへ、ご新造さんへ、いやさお富、久しぶりだなあー」という名場面。
仁左衛門の名調子にうっとりしていると、後ろの方でちょこちょこ小芝居をしてる。
こういう場合、安は頭を下げてじっとして、主役の邪魔をしないのが役者の行儀というもの。
このときはマジで腹が立ち、舞台に駆け上がってひっぱたいてやりたいと思いました。
それから、これも仁左・玉共演の『浮舟』。源氏物語の宇治十帖を原作とする北条秀司脚本の舞台。
玉三郎の浮舟、仁左衛門の薫大将はいいとして、匂宮が勘三郎。
もうなんか平安のプレイボーイというより、おちゃらけたバカ殿。台詞もちゃんと入ってなかったし。
脚本も女性の貞操観が古臭くて噴飯ものでしたけど。仁左・玉・勘共演のワーストとして印象に残ってます。
脇に回ると、いかにもウケ狙いのおちゃらけで主役の邪魔をしたり、舞台から特定の客に愛想をふりまくようなところもありました。
そういうところはキライでした。ちゃんとやれば巧いのに、とイライラしたものです。
でも、それを含めて勘三郎という役者だったんでしょうね。
私が歌舞伎にどっぷりハマっていた10年間、なんだかんだと楽しませてもらったことは確か。
これからはどんどんイヤらしいジジイになって、それこそ長男の新三に大家で出るとか、次男の八ッ橋を叩っ斬る次郎左衛門とか…
かと思えば太めの白拍子花子となって『娘道成寺』を踊るサプライズ爺。
それが当たり前だと思ってたんですよね。
なぜあんなにも生き急いだのか。命を縮めるほど働いたのか。残念でなりません。
収入と熱意が激減した今、歌舞伎はそろそろ卒業しようかなと思っていた矢先の勘三郎の死。
一歌舞伎ファンとして、大きな喪失感を抱えています。
総選挙の結果も含め、なにやら先行きがいよいよ不安なこの年末。
せめて心穏やかに新年を迎えられることを願ってやみません。
皆様もどうぞよいお年を。
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